炭鉱労働を伝えていきたい/ドキュメンタリー映画『作兵衛さんと日本を掘る』 | |
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炭鉱労働を伝えていきたい〜ドキュメンタリー映画『作兵衛さんと日本を掘る』志真斗美恵ドキュメンタリー映画『作兵衛さんと日本を掘る』(熊谷博子監督・2018年・111分)が、ポレポレ東中野で公開されている。山本作兵衛の炭鉱の記録画と日記はユネスコ世界記憶遺産に登録されている(2011年5月25日)。上映後、熊谷博子監督と出演もしている井上忠俊、緒方恵美(ふたりは作兵衛の孫)、そして上野朱(英信の子息)4人の話を聞くことができた。 作兵衛は、尋常小学校の時から親について炭鉱に入り、高等小学校には80日通っただけで退学する。60歳を過ぎ、閉山で解雇されたが、炭鉱事務所の夜警をしながら自分の記憶にある炭鉱労働を絵に描いて記録する。子供の時から経験した炭鉱の労働を「伝えていきたい」と作兵衛は描く。「残す」のではなく「伝える」。それを受け止めて、熊谷監督は、7年かけて作品に仕上げた。 映画は、作兵衛の絵が坑道に点々と置かれた印象的なショットからはじまる。作兵衛は絵の説明を書くために、漢和辞典を借り、一文字づつ写して漢字をおぼえたという。その文字に私は圧倒された。絵画教育も漢字教育も受けることのなかったかれは、「伝えていきたい」一心で2000枚とも言われる画を残す。写真によっては記録されなかった時代の炭鉱労働を憑かれたように描いた。 〈炭鉱の聖母子像〉と言われる「入坑(母子)」は、赤ん坊を背負いカンテラを持って母の後についてゆく少年と母の図。「亭主先山は一足先に入坑し切羽に挑んでおる(採炭)女房後山は後始末をして、いどけない(ママ)10歳未満の倅に幼児を追わせ、4人分の弁当。茶ガメ(ブリキ製)」炭札、カルイなど振りわけに担げてワレも滑らず、うしろも転ばぬ様に気を配りつつ下がりゆく。……」と文が添えられている。作兵衛自身の姿だ。 私は、絵の強さを実感した。作兵衛の記録画を最初に認めた画家菊畑茂久馬は「不純物がまったくないこれらの絵からかなしみがにおう」と映画の中で語っている。 映画は、作兵衛の記録画を現地の映像と対比するようにとらえる。さらに、100歳を超えたかつての女性炭鉱労働者・橋上カヤノを探し出し、インタビューする。彼女は先山の夫について、上半身裸で後山としてヤマに入る。夫が出兵してしてからは別の先山について働く。夫は片腕ともう一方の手の指をなくして戦地から帰る。8人の子どもで生き残ったのは1人だけ。その子にも夫にも先だたれた橋上は、施設の部屋で、炭鉱に入るときの手ぬぐいのかぶり方、石炭をいれた竹かごを背負い炭車に入れるしぐさをカメラにむかって再現して見せる。 熊谷は、かつて福島の常磐炭鉱で働き、今は鶏舎を展示場所にして私設の炭鉱資料館を開いている老人・渡辺為雄も訪ねる。かれがカンテラに火をつけた時、私は一瞬、画面からカーバイトのにおいが出てきたような錯覚にとらわれた。熊谷の撮った映画は、炭鉱のにおいまで流れるようなドキュメンタリー映画となっている。映像からは、声をあげずに亡くなっていった無数の炭鉱労働者の声が聞こえる。そして炭鉱の閉山と入れ替わりに、クリーンだとして原発が推進される。職を失った多くの炭鉱労働者は原発労働者になっていく。 上野朱は、父・英信は、作兵衛を、「〈記録者・労働者・酒飲み〉で、この世で一番尊敬していた」と語った。子供の時に朱が録音した作兵衛の歌う『ゴットン節』も映画におさめられている。 ポレポレ座1階では「上野英信の坑口展」が開かれている。関連映画の上映もあり、土本典昭監督『はじけ鳳仙花―わが筑豊 わが朝鮮』も上映される。 炭鉱の遺産からわすれてはならない歴史を掘りだしたこの『作兵衛さんと日本を掘る』。ぜひみてほしい。 Created by staff01. Last modified on 2019-05-29 23:03:28 Copyright: Default |