太田昌国のコラム : 「抱きつき外交」の夢破れた日に来るものは? | |||||||
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「抱きつき外交」の夢破れた日に来るものは?*4月下旬の安倍トランプ会談 『「抱きつき外交」のはずが』――去る4月27日付け朝日新聞夕刊一面の見出しである。見出し文字のそばには、これから会談に臨もうとしている米日首脳ふたりの写真がある。朝日新聞も含めて、昨今のマスメディアからすっかり消えてしまっていた、皮肉と風刺の効いた表現である。 編集委員・佐藤武嗣の解説によれば、5月下旬にはトランプ大統領が「国賓」として来日するし、その1ヵ月前に首相が訪米して協議すべき案件はない、逆に貿易案件で米国から圧力を受けてやぶ蛇だとの危惧が政府内部にはあったという。その通り、トランプは「5月末にも日米貿易交渉合意」との展望を記者団に語った。もちろん、環太平洋経済連携協定(TPP)を離脱した米国からすれば、日本市場で不利な米農産物への関税を「TPPレベル」まで下げさせることが眼目である。 日本政府内部にすらこのような危惧があったとすれば、トランプにしてみれば「なんで来るの?」といった思いだったのかもしれぬ。日本側の足元を見抜いたのだろう。「日本は途方もない数の軍事装備品を米国から輸入している」と持ち上げておいて、米国にとっての最重要課題に切り込んだのだと推測するのが妥当なところだろう。
そのころ私は旅先にいたので、ホテルのロビーに山と積まれた無料の産経新聞を読んでいた。そこには日米首脳会談の「成果」が得々として書かれていた。戻ってから、もう一つのエピソードを知った。記者団を前にしての日米首脳夫婦4人の記念撮影の際の出来事である。韓国のテレビが詳報していたが、少し先に訪米した文在寅韓国大統領はトランプと並んで赤絨毯の上に立っている。日頃は何の関心もないので知らなかったが、赤い絨毯の上には二人しか立つことができない。トランプの脇には金正淑が、文在寅の脇にはメラニアがそれぞれ絨毯から外れて立っている。ところが、日米首脳会談後の記念撮影では、トランプとメラニアが絨毯の上に立っていて、記者団からもっと寄ってと言われた日本国首相が絨毯の上に乗ろうとすると、トランプが「ストップ」と言ったために、トランプ夫婦が絨毯の上に、首相夫婦はそこから外れて記念撮影が行なわれることとなった。私は日ごろは、「こぼれ話」的なこの種のエピソードを重視しない。韓国の一テレビ放送が、日韓のどちらが米国によってヨリ重視・尊重されているかを比較する素材としてこれを使うのも、「志が低く」過ぎて、共感はない。だが、1945年9月27日(日本が敗戦を認めてから6週間後)、天皇裕仁が東京・赤坂の米国大使館にマッカーサーを訪問した際の、かの有名な記念写真を思い起こしてみよう。写っている人物同士の関係性を物語ってしまう写真というものはあり、そこを読み取ることは必要だ。 「国民」からも「民族」からも遠く離れて生きたいと考えている私は、それらの自意識に基づいた「義憤」から言うのではない。政治論理も歴史的な展望も欠き、虚飾に満ちた首相を長い間政治的に支えてきているのは、無念にも他ならぬ民衆自身だ。日米関係を貫く本質を見抜かない(見抜けない)ままに、怖い相手には「抱きついて」しまうが勝ちといった子どもじみた振る舞いを首相が続け、それを民衆が「暗黙の裡に」支持してこそ、2019年の「現在」がある。だが、この「首相が裸」であったことは早晩暴露されてしまう。国内に留まって不都合な事情があると「地球儀を俯瞰する外交」と言い募って外遊ばかりしていたその本質は、誰かが的確に言っていたが「ぐるぐる地球を回っている」だけであったことも、明らかになり始めている。 日本社会にこの間形成されてきた「城内平和」か「城内団結」は、為政者が外に「敵」をつくることで担保されてきた。その虚構が崩れたときに、理不尽にも「敵」に向かって民衆の怨念と憎悪が暴発する場合があることは、歴史が教えている。首相は米国訪問の後カナダを訪れた。歓迎会でトルドー首相は、日本国首相をファースト・ネームで呼びながら「カナダと中国の友情関係」を語った。日本国首相の「国際的な存在」は、かくまでに「耐え難くも」軽い。「安倍的な」ものが荒しまわった後に、この社会には大きく、深いツケが遺る。このツケは、私たち自身が支払わなければならぬ。決して「外」に向かって暴発することのないような形で。 Created by staff01. Last modified on 2019-05-10 16:35:32 Copyright: Default |