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LNJ Logo 〔週刊 本の発見〕『みな、やっとの思いで坂をのぼる―水俣病患者相談のいま』
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毎木曜掲載・第93回(2019/1/24)

ミナマタは終わっていない

●『みな、やっとの思いで坂をのぼる―水俣病患者相談のいま』(永野三智著、ころから、2018年9月刊、1800円+税)/評者:佐々木有美

 日本の公害病の原点ともいわれる水俣病。チッソ水俣工場が戦前から流し続けた有機水銀は、1950年代、多くの漁民や周辺住民を巻き込み、悲惨な病状を引き起こした。わたしは、土本典昭監督のドキュメンタリー映画「水俣」シリーズで、この事件を知った。そして、チッソに対する患者さんたちの命がけの闘いに胸を熱くした。しかしその後の経緯についてはほとんど関心を持つことなく、ミナマタはわたしの中で過去の出来事になっていた。そんなわたしが本書を読んで何よりショックを受けたのは、「水俣病は終わっていない」という現実だった。

 著者の永野三智さん(35歳)は、水俣病センター相思社の職員。自身も水俣生まれだが、差別を恐れ熊本市に住んで出身を隠していた。そんな彼女を変えたのが、恩師の溝口秋生さんの裁判だった。「先生が声を上げたことが、私自身が水俣病を我が事として考えるきっかけとなった」と記している。2008年に職員になってから、さまざまな患者さんや家族の相談にのってきた。その記録が本書である。

 日常的なめまい、頭痛、こむら返り、味覚障害、耳鳴り、手足の感覚麻痺、ふらつき。患者さんの症状は判でおしたように同じだ。耳鳴りを「頭の中にセミが4匹も5匹も住んでいるような」と表現する人がいる。初期の「劇症型」とは違って症状は目に見えにくい。しかし、自殺を考えるほど日常生活はたえがたく、医者を何軒まわっても、原因不明と言われるばかり。医療費はかさみ、生活は困窮する。「もしや水俣病では」という思いで、相思社を尋ねる人たち。この中には、年を取るほど重くなる症状に悩み続ける人たちと共に、第二世代と呼ばれる40代から50代の胎児性水俣病患者がいる。

 患者さんたちの思いは複雑だ。「水俣病は恥ずかしい病気、惨めな病気」という意識と積年の差別、被差別の空気が、水俣病である自分を素直に認めさせない。永野さんによれば、「瞬間を逃すと、『わたしは水俣病』とは言わなくなる、言えなくなるかもしれない人たち」なのだ。認定を申請することなく、ただ話を聞いてもらいたいと訪れる人も少なくない。「みな、やっとの思いで坂をのぼる」のである。


*病床の溝口秋生さん(右)を見舞う著者(本書より、撮影=葛西伸夫)

 認定患者を含め1995年と2008年の2度の政治決着を経て、水俣病で何らかの補償を受けた人は約7万人。しかしなお、潜在患者は10万人以上とも言われている。「いま、認定申請しても、認定される確率はゼロに等しい」と永野さんは書く。厳しい国の認定基準は、「申請を棄却するための条件」ともいわれている。水俣を離れて全国各地にちらばった人たちの中にも症状に苦しんでいる人は多い。

 「見ないふりをして無かったことにすることは、同じことを繰り返すことにつながる」という著者のことばが重い。ミナマタ、フクシマ、この国は何度同じ過ちを繰り返せば変わるのか。それは、ミナマタを忘れたわたし自身にも返ってくることばだ。

*「週刊 本の発見」は毎週木曜日に掲載します。筆者は、大西赤人・渡辺照子・志真秀弘・菊池恵介・佐々木有美・佐藤灯・金塚荒夫ほかです。

→レイバーシネクラブ2月例会で土本典昭監督のドキュメンタリー映画『水俣一揆』を上映します。詳細


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