追悼 : 松本昌次さんとの思い出(木下昌明) | |||||||
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●レイバーネットに連載コラムを書いてきた松本昌次(まつもとまさつぐ)さんが、1月15日午前11時16分すぎ、入院先で91歳で亡くなりました。老衰でした。ご冥福をお祈りします。故人を偲ぶ文章が寄せられていますので、順次紹介します。なお連載コラムの一覧はこちらです。(レイバーネット編集部) 松本昌次さんとの思い出木下昌明*2013年春の講座で 「松本さんが亡くなった」との電話が1月16日の朝にあった。その時は、そうか、もう年だからしかたないか、思って聞いていた。が、少しずつ時間がたつにつれて、じわりじわり胸にきた。しだいにやりきれない気分に襲われ、夜の街をよたよた歩いてみたりした。 松本さんといえば、戦後の編集者として文学者のあいだではその名を知らない人はいないといっても過言ではない。わたしが若い頃読んだ『虚構のクレーン』の井上光晴をはじめ花田清輝、埴谷雄高、吉本隆明、長谷川四郎、広末保、等々。政治学では丸山真男、藤田省三など挙げていけばきりがない。わたしはそれらの人々の著書を読んで育った一人だった。 のちにその奥書きに未来社の社名と松本さんの編集者名などをよんで、まるでお釈迦様の手のひらをあっち飛びこっち飛びしている孫悟空ではないか、と思い知らされた。 わたしが松本さんと親しくさせていただくようになったのは、わたしが(いまはない)『新日本文学』の編集者時代、もうかれこれ50年になろうか。 その頃、松本さんは未来社の編集長をされていて、わたしが花田清輝に原稿を依頼する電話をかけてもにべもなく断られるので、花田さんとよく会われていた松本さんに相談すると、即座に「電話ではダメです。家に押しかけることです」といわれた。さっそく電話せずに花田宅に押しかけると、奥から花田さんが出てきて、奥さんが紅茶を出して、いろいろ話すことができた。2度ともそれで成功した。 また、松本さんは出版の仕事以外に演劇座という劇団を高山図南雄さんたちとつくり、花田さんの『泥棒論語』や広末さんの『四谷怪談』などを大きな劇場でやられていた。なかでも俳優座での秋元松代の『常陸坊海尊』がすごかった。ラストで長ぐつをはいた農民の成り代わりの海尊像には感動した。そのとき母も連れていったが、母も同じように感動していたのに驚いた。 それから松本さんとはいろいろあったが、わたしの本を影書房(松本さんが社長)から3冊出してくれた。編集中はなんだかんだと小さなケンカをしながらも出してくれたのがうれしかった。完成すると駒込駅そばの焼き肉屋でごちそうになった。--楽しかったなあ。-- いまは、ちあきなおみが歌った「紅い花」のような「騒いで飲んでいるうちに、こんなに早く時は過ぎるのか」の心境である。 それから毎月、わたしが『月刊東京』で映画批評をかくようになって、そのつど松本さんに送って感想をきいた。松本さんは、誰よりも早く電話で批評してくれた。時々、批判したり、いやみをいったり、頭にきたこともあったが総じてありがたかった。よく議論をしたのは是枝裕和の家族映画をめぐっての評価で、よく意見が分かれた。 わたしが『万引き家族』についてかいたときは、「有楽町でまだ上映している」と、足が不自由なのにわざわざみにいった。これにはあぜんとした。いつも「足が悪くて外には出ない」といばっていたのに。 今度も『月刊東京』を送る矢先だった。残念である。松本さんの思い出をかけばきりがないが、ここでひとまずペンをおく。失ったものの大きさをいま噛みしめている。松本さん、ありがとうございました。 Created by staff01. Last modified on 2019-01-17 23:25:43 Copyright: Default |