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パリの窓から(51) : 民衆の蜂起と政体の危機〜「黄色いベスト運動」その2
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 第51回・2018年12月7日掲載

民衆の蜂起と政体の危機〜「黄色いベスト運動」その2

 12月1日、3週目に入った「黄色いベスト運動」のパリ(と地方の一部)のデモは、民衆の「蜂起」的な様相を帯びた。凱旋門付近での治安部隊との攻防戦や、車やバリケードが燃える映像が主に発信されたため、暴動的な印象が強まったが(後述)、全国の参加者136,000人(内務省発表、おそらくそれ以上)の大多数は平和的に行動した。特筆すべきは、自主オーガナイズでロータリーの封鎖やデモに集まった人々に共通するスローガンが「マクロン、辞任!」という大統領=政権への拒絶であること。人々の不満は、軽油・ガソリン税の値上げに象徴される不公平な税制に対する抗議を超え、生活難を訴える庶民の声を無視するマクロン政権と、その非民主的なやり方への拒絶に達した。12月1日の「Acte3(第3幕/行動)」には労組、警察のレイシズムに抗議するパリ郊外の団体も「黄色いベスト」に連帯するデモをよびかけ、バスティーユ広場付近でシャンゼリゼ方面に入れなかった「黄色いベスト」の人々と合流した。

 労働組合や政党、市民団体などが組織したのではない自発性は、この運動のめざましい特徴である。課税に対する中世やアンシャン・レジーム下の農民一揆に似ている点があるが、フランスの複数の革命は課税が引き金になって起きた。また近年、スペインの15M運動(キンセエメ)やOccupy Wall Street、2016年春パリ・レピュブリック広場の「Nuit Debout ! 夜、立ち上がれ!」(コラム36参照)など、代表民主制の既成政治・政党に対する不満と幻滅から、直接民主主義を訴える市民の動きがあったが、「黄色いベスト運動」は都市部ではなく、農村部・都市周辺の「目に見えない」人々、ふだん政治的な意思表示をしない人々の行動である。

 この全国的で自発的な民衆の立ち上がりこそ「夜、立ち上がれ!」の発起人のひとり、フランソワ・リュファン(LFI屈服しないフランスの議員、前回コラム参照/写真上)などが願ったことだが、2016年と今年の長期にわたるストや統一デモなど一連の社会運動は、一般民衆の大規模な動員につながらなかった。そこで12月1日のデモに先駆け、リュファンや経済学者・哲学者のフレデリック・ロルドン(写真下)は「民衆のための政治をせよと、全国各地の民衆が路上に出た。社会のすべての分野でマクロン政治に怒る理由が蓄積している。パリの人々も路上に出よう」と呼びかけた。

 「黄色いベスト運動」はフェイスブックなどネットを通して広がったが、ロータリーや高速料金所の封鎖、デモなどの自主オーガナイズ運動が続く課程でいくつものグループが生まれた。スポークスマンや「代表」のネット投票も行なわれたが、多様な年齢層と職業、さまざまな意見の人々がより集まった運動のため、全体を「代表」できる人物はいない。署名やビデオ、初期のフェイスブックの呼びかけで有名になった人、ネット投票や各地のグループで選出された人たちから複数の「要求」が出されたが、彼らを代表と認めない人々もいて、リーダーや交渉の相手を特定することができない。現場のルポなどでのインタビューでは、近年ますます家計が苦しくなった働く人々や年金生活者が多く、自らと家族の生活難を訴え、「子どもや孫のために路上に出た」という声も繰り返し聞かれた。

 要求の内容も税問題を超えて多岐にわたり、とりわけ11月29日に「民衆の綱領」として一つのグループが国民議会議員とメディアに送った42項目は、その1週間前にネット投票後に公開された内容がさらに発展した。最初に「ホームレス0人」を掲げ、富裕税の復活、所得税の累進性を高める、最低賃金を手取り1300€(現在のレートで約167000円)に引き上げ(現在1154€)、年金増額、公共サービスの充実化(ガス・電力は公共サービスに戻す)、緊縮政策反対、正規雇用の増加など、後退した社会政策を復活・強化させる内容が多く、「屈服しないフランス」の政策綱領「共通の未来」と重なるものも多い。また、極右の要素がメディアで強調されたのに反して、この綱領には亡命志願者の待遇改善が記され、環境政策として住居の保温改善、除草剤グリフォサート禁止などもあげられている。運動参加者には自営業や零細企業の経営者も含まれるため、雇用者の社会保障分担金の削減、小売業保護などもある。そして、民主主義に関するものでは国民・住民投票をもっと取り入れる、元老院の廃止、比例制の導入、議員の報酬を所得中央値にするなど。その他にもさまざまな要求が、フランス大革命のときの陳述書のように発せられた。


*凱旋門付近のバリケード 撮影=コリン・コバヤシ

 前回のコラムで、この運動が国粋的な極右のポピュリズム(国民連合)にとりこまれる懸念を表明する人々がいると書いたが、メディアなどで意見を言う「黄色いベスト」たちはみな、政党や組合などの組織やカリスマ的リーダーに指導されない自主独立性を強調する。「マクロン、きみはもう終わりだ。民衆は路上に出た」などのスローガンをとおして、自らを民衆と位置づける人々の政治意識が、運動が続く中で形成されていくのが見てとれる。

 特筆すべきは、多様な要求を掲げる「黄色いベスト」の不満の矛先が、政府や首相ではなくマクロン大統領個人に向けられ、怒りが大統領への憎悪にまで達している点である。政党の基盤をもたなかったマクロンは、大統領選キャンペーン中から国民との直接的なつながりを強調した。大統領に選出された後は、自ら前面に出て政策を指導し押しつけ、首相や閣僚は大統領に服従する代弁者にすぎない。国民議会では圧倒的多数の与党議員が機械人形のように法案を可決し、はなから少数派野党の意見に耳を傾ける気などない見せかけの民主主義で、三権分立の原則さえ無視されている。この極度の大統領への権力集中を可能にしたのは、第五共和政の制度と政体である。一方、マクロンと彼の新しい党「共和国前進LREM」が政権を握ることができたのは、棄権が過半数を超えた2017年の総選挙で、これまで政権交替を繰り返してきた左右二大政党の候補者を大量に落選させた既成政治への拒絶(「デガージュ(失せろ!)」現象)のおかげである。そこには、代表制政治(大多数が豊かな階層出身の議員から成る)が国民の声を代弁していないという不満も表されていた。したがって、「新しい政治」を掲げたマクロンのやることが結局、これまでの政治家と変わらないどころかもっとひどい(金持ちのための政治、生活難の深刻化)と実感する人々の幻滅と怒りは、「マクロン、辞任!」の叫びに収斂されたのだ。

 大統領辞任へのこれほど強い要求は歴史的に稀だ。前任のオランドは同性婚に反対する保守陣営からこの言葉を投げつけられたが、左右の枠を越えた大勢の「民衆」の憎悪を大統領が受けたのは初めてのことである。エリートの代表マクロンが発した民衆を見下した数々の侮蔑的な発言は、人々の尊厳を深く傷つけ、それが憎悪の感情を引き起こしたのだ。しかし、「私たちにも尊厳に値する生活を送る権利がある」という叫びから今、「民衆の私たちが自分で政治をやるのだ」という意識も生まれている。一部の「黄色いベスト」は国民投票、市民による新たな議会、新たな憲法を主張しているのだ。

 こうしたフランスの現在の状況を、憲法学者のドミニック・ルソーは「政体の危機」とみる。「屈服しないフランスLFI」の代表ジャン=リュック・メランションは、自発的で自主オーガナイズの「黄色いベスト」運動はまさに、自分が『民衆の時代』(ファイヤール出版、2014年)で言及した「市民による革命(レヴォリューション・シトワイエンヌ)」のプロセスであると評価し、フランスの社会史の新たな1ページが今、書かれているところだと指摘する。「自主オーガナイズで社会的弱者の女性が多数参加するという特徴は、歴史的な革命のプロセスだ。フランスはようやく、不公平な道理に対する全般的な不服従の状態に入った。黄色いベストは新たなフリジア帽(フランス革命時の、隷従から自由への解放の象徴)だ」とメランションは述べる。

 12月1日の暴力シーンにもかかわらず、世論調査(12月3-4日)での「黄色いベスト」運動への支持は72%と高い。複数の世論調査で支持が7割、「運動を理解する」人々は8割を超える。一方、マクロンの支持率は12月1日のデモ直前に18%に下がり、フィリップ首相も21%に急降下した。当然ながら圧倒的多数(85%)は暴力行為に反対だが、「暴徒」(極右・極左)の破壊行為を強調して運動が鎮まるのを期待した政権は、国民の政権への反発がいかに強いかが理解できないようだ。

 12月1日デモの凱旋門付近では、早朝から治安部隊が催涙弾、火炎弾(手榴弾の1種、この軍隊の武器を国内の治安に使うのはフランスのみ)、フラッシュボール(ゴム弾を発射する武器)などが10000発以上使われ、放水砲から14000リットルが放たれた。これらは非致死性武器と呼ばれるが、直撃されたり当たりどころが悪いと重傷や死の危険がある。やみくもに多量に放たれたとばっちりで、手や目を失うなど重傷を受けた被害者(「暴徒」ではない参加者ばかり)が出ている。近年、労組のデモ、空港やダム、核廃棄物最終処理場建設反対の「過激派」と見られた環境活動家などに対してこれらの武器が使われ、死者1名を含む重傷者が相次ぎ、使用禁止が呼びかけられている。それら治安部隊側の度を超えた暴力の映像を、主要メディアは流さない。治安部隊が過剰な暴力を使うのは、上(内務省、政府、大統領)から厳しく弾圧せよという指示が出ているからだ。暴徒(「壊し屋」)を口実にした市民戦争さながらの武器の濫用は、はたして適切な治安維持の方法・戦略だろうか?過度の弾圧が暴力のエスカレートを招いていないだろうか?凱旋門付近での「暴徒」(極右、ブラックブロック)との攻防戦に「黄色いベスト」たちは唖然としたが、何もしていないのに過度の攻撃を受けたために、応対した人たちもいるのだ(「暴徒」の警官攻撃や破壊行為を止めに入った例もある)。

 フレデリック・ロルドンは、「壊し屋」(暴徒)による暴力はネオリベラル勢力にとって、異議を唱えることを不可能にする最良の手段となったと指摘する。メディア(コメンテーターたち)は暴力を強調し糾弾するが、フランス大革命や1968年五月革命を暴力の要素を隠蔽して祝うことに問題を感じないのか?と。そして、閉鎖される工場の労働者やエール・フランスの従業員が暴力的行為に至ったとき、メディアは糾弾するだけで、平穏を愛する「善良な市民」(「黄色いベスト」たちもそうだ)がなぜ暴力という極限にいたったのか、その背景と原因を見せようとはしない。(https://blog.mondediplo.net/fin-de-monde

 今年カンヌ映画祭に出品されたステファヌ・ブリゼ監督の『En gerre(戦争状態)』という映画はまさに、エール・フランスの幹部がワイシャツを剥ぎとられたテレビ映像を見た監督が、なぜ労働者の怒りがそこまで沸騰したかを描こうとしてつくられたフィクションだ。善良な市民を暴力や自死など極限に追いつめるのは、人間の尊厳を踏みにじるネオリベラル経済論理による社会的暴力である。この社会的暴力を否認することこそ、社会学者のブルデューが名づけた「象徴的暴力」の最後の形態だとロルドンは言う。「黄色いベスト」たちは、マクロンやメディアが彼らについて使う言葉に現れる階級的な軽蔑(抗議ではなく「不平不満」、「非論理的」等々)に人間としての尊厳を傷つけられ、怒りと憎悪はますます沸騰したのである。

 フィリップ首相は12月4日、来年予定された軽油・ガソリン税、電気・ガス料金値上げを6か月間「保留」し、税制についての大規模な討論会を開くと発表した。しかし撤回でなく「保留」、最低賃金の値上げや富裕税の復元はない。こんな措置では政策を変えたことにならないと野党も「黄色いベスト運動」も反発し、12月8日土曜に黄色いベスト運動の「Acte4(第4幕/行動)」が呼びかけられた。翌日5日の夜、大統領の指示で1年間は軽油・ガソリン税を撤廃することになったが、政策の転換はなく6か月の「協議」が提案されたのみ。マクロンは国民に話しかけずに沈黙したままだ。フェイスブックで「黄色いベスト」運動の最初の行動を呼びかけた人物は、「エリゼ宮へ行こう」と呼びかけている。マクロンと政府の硬直した侮蔑的な対応が運動を広げ、過激化させているのだ。フランソワ・リュファンはそれを「激怒rage 」と形容する。

 そのうえ、先週からフランス各地の高校で、バカロレア(大学入試資格試験)の改革と大学入学の選抜システム導入に反対する高校生の運動も始まった。これに対しても警察が過度の弾圧を加え、フラッシュボール(未成年に対して!)で3人が重傷を追い、6日には700人の逮捕者が出た。加えて救急車運転手の行動が続いており、12月9日からは長距離トラック運転手と地方自治体公務員のストが始まる予定で、農民のストも告知されている。12月8日には「気候のための行進」もパリで予定されている。これら社会運動の累積的な盛り上がりを政権は怖れ、8日はパリで8000人、全国で89000人の治安部隊を動員し、首都では憲兵隊の装甲車を出動させるという。政治的に応答する明晰さも能力もないから、武力で応えるのだ。

 リュファンとメランションが言うように、声を発しなかった民衆が自主的に行動し、集団として力を発揮する「黄色いベスト」運動は「民主主義の再生」、「市民による革命」だと筆者も感じる。身近でも「誇らしいね」「これがフランスだよね」という声が聞こえてくる。8日のデモがどうなるのか、これから何が起きるのか、誰にも予想がつかないが、おそらく大勢が参加するだろう。重大な惨劇が起きないことを祈りたい。

    2018年12月7日 飛幡祐規(たかはたゆうき)


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