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LNJ Logo 〔週刊 本の発見〕『タクシー運転手』を見た人に読んでほしい本/『少年が来る』
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毎木曜掲載・第59回(2018/5/31)

『タクシー運転手』を見た人に読んでほしい本

●『少年が来る』(ハン・ガン、訳 : 井手俊作、CUON、2016年/原著は2014年、2700円)/評者:金塚荒夫

 私は2018年5月20日、韓国・光州市にいた。そのときの光州旧道庁前の風景(写真)は、1980年5月のそれと大きく違っているように見えた。小さな子どもたちが自転車やキックボードに乗って追い駆けっこする姿を1980年5月20日には見ることはできなかっただろうからだ。「隔世の感とはこういうことか」。そう思った私はすぐに戒められた。

 旧道庁前にあるビルに残る銃痕が光州で起きたことの意味や影響、その現在性を言葉なくも物語っているように思えたからである。あのとき、光州で何が起こったのか。そして今なお、何を起こし続けているのか。あの事件は過去であり、過去ではない。それを如実に物語るのはハン・ガンが書いた『少年が来る』である。


 *著者ハン・ガン氏(右)と原著の装丁

 物語はあのときに光州にいた、あるいは“いなかった人々”の物語である。実際、著者のハン・ガンは光州で生まれながらも、たまたまあのとき光州にはいなかった。あの事件を経験していない人間が「あの事件を物語る」ということは、さまざまな“危険”を多分に含んでいる行為である。それにもかかわらず、”危険“をおかしてまでも“あのときに光州にいた人々のことを書いたのはなぜだったのだろう? あるいは彼女に書かせたものは何だったのだろう?


 *旧道庁前広場にあるビル

 ハン・ガンが描く光州事件とは人々が「腐っていく/死んでいく」あり様である。

 これらの言葉の意味は多義的である。まるで行間からさまざまな死臭が漂ってくるかのようだ。軍人に殺され、人間として正常な形で埋葬されることも叶わず、遺体としてその場に置かれることしかできない死者。あのとき光州にいた人々の身体が無残に腐っていくさま。無残にも軍人によって”焼滅“させられてしまうさま。そしてその一方で人間を汚辱することを厭わない腐敗した軍人。

 じっくり読もうとすればするほど、本が描く実態に目を背けようとする気持ちが、それと同時に、本をもっと読みたい/読まなければならないという相反する気持ちを抱かせる。この本をハン・ガンが危険をおかしてまでも書かなければならなかったのは、1980年5月の”腐敗“と”死“の有り様を引き受けなければならなかった作家としての、光州にあの時いなかった者としての”パッション“(受難、受苦、情熱、苦難ないし苦しみを引き受けること・・・)があったからではないか、と推測する。


 ↑遺体が安置されていた尚武館 ↓現在の中

 そしてハン・ガンはあの事件が生と死に関する一般的な認識的判断的枠組みを根底から覆すものであったことを物語る。たしかにあの事件で死ななかったけれども、死んでいる。あの事件の前の生活に戻ろうにも、戻れない。もはや人間として食べ物を焼いて食べるという、ある意味では一般的な営みすらも苦痛を感じずにはいられない。それがあの事件を想起させるからである。そんな人々が数多く存在する。だから光州事件は終わっていない、それが今なお生者を死に至らしめようとする傷を生産しているからだ。

 あの事件を日本人が単なる、光州の人々のヒューマニティーの発露として、”消費“することは簡単なことのように思える。しかし、そのヒューマニティーと不可分にある、さまざまな腐敗と死をどれほど自分/自分たち(日本人)の問題として考えることができているのか、引き受けることができているのか、私は心もとない気持ちに襲われた。ある意味でそう考えることは”考えすぎ“で、”危険“なことかもしれない。しかしそれでも私はひとりの読者として、日本と朝鮮半島の歴史に責任を持つものとして、その“危険”をおかさずにはいられない。それがハン・ガンに問いかけに応えることでもあり、光州の”腐敗“と”死“者に応えることでもあると思うからだ。

 ちょうどいま日本では光州事件を描いた韓国映画『タクシー運転手一約束は海を越えて』が劇場公開され、大好評を博している。映画を見たあなたにこそ、ぜひ読んでほしい本だ。

*「週刊 本の発見」は毎週木曜日に掲載します。筆者は、大西赤人・渡辺照子・志真秀弘・菊池恵介・佐々木有美・佐藤灯・金塚荒夫ほかです。


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