太田昌国のコラム「サザンクロス」 : 人間の歴史の中での「70年」について思うこと | |
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人間の歴史の中での「70年」について思うこと昨年は「ロシア革命100周年」の年に当たり、何度かこのテーマで話をした。参考のためのレジュメを作りながら、「70年」という歳月が、人間の歴史の中で持つ意味を思った。まず考えたのは、ロシア革命に先駆ける意義深い社会革命を1910年以降の過程で経験したメキシコのことだった。この革命は、その後「凍結された」とか「中絶させられた」などの形容詞を付けずには表現できないほどに挫折するのだが、ともかく1917年には新憲法を制定した。その27条は、農民の伝統的な共同体的土地所有およびその水資源の権利を擁護し、株式会社が農場を取得・保有・管理することを禁じるなどの画期的な内容だった。ところが、米国・カナダとの自由貿易協定の締結を模索していた1990年前後のメキシコ政府は、多国間貿易協定締結を阻害する国内法整備の必要性に迫られ、憲法27条を改定して、共同体の土地の売買と私企業による農地保有とを一定の範囲とはいえ認めてしまった。南東部チアパス州の先住民族は、この協定が発効した1994年1月1日、これは「先住民族に対する死刑宣告に等しい」と訴えて、武装蜂起した。24年後の今も、彼(女)らは自主管轄区を維持し続けている。*写真=チアパス州の自主管轄区 抗議と抵抗は続いているとはいえ、こうして、1917年の憲法で制定された「土地は耕すものの手に」という原則は、グローバリゼーションの現代的な趨勢に合わせて国内法「整備」を目論んだ20世紀末の支配者によって、多国籍企業や私企業に有利なように改定されてしまった。1917年→1991年。74年の歳月が経っていた。 勃発(制定)から滅亡(抹消)まで、奇しくもメキシコ憲法27条と同じ年月の「1917年→1991年」を刻んだのがロシア革命である。この場合は、民衆レベルでは確かに存在したであろう「革命の初心」を裏切り、前衛党幹部による全的支配を画策し続けたことによるボリシェヴィキ派の「自滅」的な要素もあるから、メキシコ憲法27条の改定問題と同じレベルで論じることはできないにしても、74年の歳月の果てに、価値観および政治・経済・社会体制の根底的な転換が行なわれた事実は消えない。 翻って、日本を思う。1945年の敗戦から、今年で73年を経ることになる。この間に起きた大きな変化はいくつも挙げることができるが、私が最も注目せざるを得ないのは「戦争と平和」をめぐる意識と現実の変化である。愚かな侵略戦争の果てに1945年の敗戦を迎えた当時の日本社会では、戦争と軍備を禁じた新憲法の制定を歓迎する雰囲気が圧倒的に大きかったという。物心ついて以降の私が知る戦後史においても、人びとの中に根づいた「反戦・平和」意識は強く、その運動も実在した。アジア諸地域との関係においては日本が「加害」者であったという自覚を欠き、「被害」者側のように振舞った憾みが残ることは、しっかりと心に刻み続けなければならないが。 1945年→2018年。73年後の今はどうだ。戦前の侵略も、戦後過程での反省も、まるで何もなかったかのように公言し、振舞う〈宰相A〉の長期政権を許す社会へと変貌を遂げている。「70年」という歳月は、その間に行なわれる世代交代を通じて、過去へのこだわり(この場合でいえば、侵略と戦争への反省)が消え果て、過去の歴史に学ぶことを怠る新世代が現われて、戦争を美化しさえするようになるほどの「長さ」なのかもしれぬ。 こんなことを考えていたら、画家の内海信彦氏のFBで、中国との抗争の歴史を1千年にわたって刻んできたベトナムでも、「70年から100年に一度の割合で中国が攻めてくる」という捉え方があると知った。他国・他民族は知らず、自らの加害史を知ろうとしない日本社会でこそ、「70年」という年月の中で忘れ去られてゆくこと/捨て去られてしまうことに、さらに自覚的にならなければならぬ。それは、私たちの目の前で現在進行中の事態なのだ。 〔著者プロフィール〕 Created by staff01. Last modified on 2018-01-09 18:12:33 Copyright: Default |