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女性を犠牲にして生き延びた「告白〜満蒙開拓団の女たち〜」
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〔福岡県TSより〕 

8月9日は長崎に原爆が落とされた日であると同時に、「ヤルタの密約」のよ って、旧ソビエトが日ソ不可侵条約を破って、「満州(中国東北部)」、38度 線以北の朝鮮、南サハリン、千島列島に侵攻した日です。  原爆投下よりも、このソビエト侵攻の方が昭和天皇や軍部、政府中枢部に大き なショックを与えたと言われています。  ヨーロッパ方面から極東方面へソビエト軍が移動しているとの情報を得ていた にもかかわらず、昭和天皇や軍部、政府は、日ソ不可侵条約があるから、ソビエ ト軍が攻めてくるはずがない、と思い込んでいました。正確には「そうあって欲 しい」という虚しい願望でした。  ソビエト軍が「満州」に侵攻したとき、入植していた満蒙開拓団の日本人を守 ってくれるはずの「無敵100万人」関東軍はいませんでした。主要な部隊のほ とんどが、東南アジアや太平洋戦線に送り込まれていたからです。  そのことを知らなかった日本人入植者たちは、大混乱に陥りました。そこへソ ビエト軍が無差別攻撃をしました。逃げ惑う日本人入植者に、情け容赦なく砲弾 や銃弾を撃ち込み、戦車でひき殺しました。(例えば葛根廟事件)沖縄戦と同じ 殺戮が「満州」各地で繰り広げられました。  必死で逃げる日本人入植者たちの敵はソビエト軍だけではありませんでした。 日本人入植者に土地を強奪され、小作人として日本人に殴られながら畑を耕して いた中国人から報復されました。金品や食料を略奪されました。殺害された日本 人もいました。  秩序が崩壊した状況下、集団自決をする日本人開拓団が相次ぎました。新京 (現長春市)の近くにいた熊本県出身の来民開拓と広島県出身の高田開拓団は、 ほぼ全員が自死しました。  互いの頭を小銃や拳銃で撃ち、互いの喉元を刃物で突き、毒を飲み、母親は我 が子の首を絞めて自分は首を吊り、爆薬を爆発させて死亡しました。沖縄戦の集 団自決が「満州」でも再現されました。     来民、高田開拓団が集団自決したのに対して、その近くにいた岐阜県出身の黒 川開拓団650人は奇跡的にほぼ全員が帰国しました。しかし、黒川開拓団の生 存者たちはなぜ帰国できたのか、一切語りませんでした。  70以上年が経った今、90歳代になった黒川開拓団の生存者たちが語り始め ました。  ソビエト軍に若い未婚の女性を「差し出した」ことによって生存できたと言う のです。    侵攻してきたソビエト軍に、黒川開拓団は保護を懇願しました。  ソビエト軍は条件を示しました。 「若くて美しい女を抱かせろ。そうすれば守ってやる」  生き延びるために、このとんでもない条件を飲まざるをえませんでした。  開拓団は未婚の15人の女性を差し出しました。  ソビエト軍基地に設けられた「接待所」で、女性たちは昼夜を問わず、ソビエ ト軍の将兵を「接待」させられました。そこはレイプ収容所に他なりませんでし た。  約束通り、ソビエト軍は黒川開拓団を守りました。  開拓団はなんとか帰国できました。そして70年間沈黙しました。  人生の終わりを目前にした生存者たちは、女性を犠牲にすることによって生存 できた事実を語り始めています。  NHK教育が黒川開拓団の封印された悲劇を再放送します。  NHK教育  ETV特集  「告白〜満蒙開拓団の女たち〜」 http://www4.nhk.or.jp/etv21c/x/2017-08-09/31/432/2259585/ 放送日:8月10日 放送時間:午前0時00分〜 午前1時00分

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