〔週刊 本の発見〕『市民政治の育てかた 新潟が吹かせたデモクラシーの風』 | |
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簡単に絶望したくはない●『市民政治の育てかた 新潟が吹かせたデモクラシーの風』(佐々木寛、大月書店、1,600円)/評者=渡辺照子
新潟は田中角栄の本拠地。保守王国のイメージがある。一方で同県の巻町は1996年に日本で最初の住民投票を行い、原発の建設を食い止めた輝かしい歴史がある。保守的だからこそ中央の権力に容易に従わない伝統も息づいているとの見解が興味深い。ということで新潟に「デモクラシーの風」が吹いた背景がわかる。次いで、学者が活動するモチベーションが示される。「昨今の危険な政治状況を前にただ分析し評論しているだけでいいのか」「政治学者である前にひとりの市民だ」との気持ちがそれだ。学者と市民との立場のジレンマを抱えながら取り組み続ける誠実さに心惹かれる。 この本の何が興味深いって、帯に「勝利のメソッド」と記されているところだ。自分たちの成功譚や武勇伝、生々しい政治の現場の裏話なのではない。読者が自分たちの選挙区で実際に参考になる、実践できそうな方式を示している点が最大の売りだと思う。私が長年求めてきて、誰かに書いてもらいたかったことが、この本ではどのように著されているかを掟破りのようだが、次にほぼ記載する。「リベラルな政党や市民運動は『主張が正しければ選挙も勝てるはず』との確信が先に立ち、勝利の経験値が蓄積されない。大事なのは、特定の条件のもとで、どういうやり方が有効だったのか、どういう対立軸や争点のもとで選挙戦を闘い、どんな要因によって勝利したか。そうした要素を市民自身で検証し、次からまた使える汎用性の高い道具に磨き上げること。選挙民を扇動されやすい大衆とみてコントロールすることとは違う。」 常々、私の周囲では市民運動、労働運動、労働組合におけるかつての取り組みが継承されない、あるいは60、70年代の活動家の経験値が評価されない、という世代間の断絶が問題視されて久しい。思うに、日本型雇用領域をメインとした労働組合運動の成功体験を、その時代背景等の要因を検討の対象外にすることで普遍化し、不安定雇用のワーキングプアが標準化されたここ20年来の時代状況では通用しないことに無自覚なことに起因していると私は考えている。願わくは、本書のメソッドを構築したスタンスを労働運動でも構築したいものである。
話を本題に戻そう。この本では市民が政治に関わる際の本質的な問題点が言語化されている。気負いのないアフォリズムにも等しいフレーズが随所に見られる。「市民や生活者は、政治に大きな期待を抱きすぎず、だからといってシニシズムにもおちいらず、常にかかわりつつ距離をとるという成熟した関係性が求められる。」「政治とは悪さ加減の選択である。」「選挙は選挙のプロがやる、という常識をくつがえし、選挙を民主化する」「選挙は定期試験、一夜漬けでは勝てない」「対抗軸をつくるのが選挙の意義」「野党は市民の伴奏者になるべき」「民主主義はプロセスの中にある」等々、取り上げればきりがない。 座談会も魅力的。山口二郎法政大教授を交え、新潟で選挙を共に闘った人たちの言葉がリアルだ。選挙を楽しみながら取り組んだ達成感が伝わる。実践を重ねた人の言葉は強いのだ。 やはり一億総評論家の観客民主主義では空しい。実は私も今年の衆院選で東京1区(千代田区・港区・新宿区)の市民連合の呼びかけ人として少しだけ野党統一候補の選挙運動に関わった。選挙区の様々な場所で自分の言葉で語ることの大切さを体感した。東京1区ではおかげで野党統一候補が当選した。今後は、議員となった人物が我々と合意した政策協定を具現化するか否かを注視する責任を負う。 危機が迫った時代に、危機を認識できる人間が多く存在すれば、むしろ新しい時代への契機となる、との言葉で最後は締められる。本当の希望は、どこかの政党の名称にあるのではない。我々ひとりひとりの胸の中にある。冒頭で私が述べた「簡単に絶望したくはない」の所以がここにある。 *「週刊 本の発見」は毎週木曜日に掲載します。筆者は、大西赤人・渡辺照子・志真秀弘・菊池恵介・佐々木有美・佐藤灯・金塚荒夫ほかです。 Created by staff01. Last modified on 2017-12-15 09:40:25 Copyright: Default |