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牧子嘉丸のショート・ワールド : ロシア革命とは何だったのか
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    第47回 2017年12月1日

ロシア革命とは何だったのか〜無名の人々を忘れてはならない

 今年はロシア革命100周年で、都内各地でもさまざまな記念講演やシンポジウムが催され、これからも予定されている。私が参加した集会では、「レーニンがボリシェビキ党を指導し」、「レーニンの指示で労働者が武装蜂起し」、「レーニンによって史上初のプロレタリア国家が打ち立てられた」といったぐあいで、ドイツとの即時講和を実現したのも、反革命の内戦に勝利したのも、疲弊した経済をネップで立て直したのもすべてレーニンであるという、まさに「レーニン・オンパレード」ともいうべき内容であった。

 そこにはトロツキーはもちろん、カーメネフもジェノビエフも、またブハーリンの名前も出てこなかった。私はロシア革命に詳しい者では決してないが、それでもこれぐらいの革命家の存在は知っている。また教育相だったルナチャルスキーや外交官のヨッフエといった魅力的な革命的インテリゲンチェアがいたことも。ボリシェビキはもっと多様で、かつ多士済々のメンバーがいたのである。

 私はそれほどレーニン、レーニンというのなら、なぜそのレーニンと妻クルプスカヤが全世界の労働者に推薦したジョン・リードの「世界を揺るがした十日間」(写真下)に言及しないのか、不思議だった。ふたりが「ロシア革命の真実を知りたければ、これを読め」と推奨しことは有名である。同時に最も早い時期におけるボルシェビキ革命批判の書として、ローザ・ルクセンブルクの「ロシア革命論」があるが、これも必読であろう。ジョン・リードのこの迫真のルポルタージュはスターリンによって発禁にされ、ローザの批判はレーニンやトロツキーをかんかんに怒らせはしたけれど。

 私はまたアナキスト系の人たちが主宰するロシア革命のシンポジウムを覗いてみたが、ここではさすがにアナ・ボル論争やクロンシュタットの反乱事件、またマフノ農民運動についても触れられていた。私はここでは強烈なボリシェビキ批判やアナキストらしい熱情的な革命論が聞けるのかと思ったが、マフノ運動の年表やアンダルシア地方の騒擾史の細かい説明が書かれたレジュメを棒読みするだけの報告などには、いささかがっかりした。

 11月4日付けの朝日新聞は、「世界を揺るがした社会主義 ロシア革命100年」と題して、マルクス・レーニン・スターリン・ゴルバチョフの写真を掲げ、革命の高い理念と独裁の悲惨な現実の差を記事にしていた。侵略の原型として日本のシベリア出兵の残虐さを取り上げているのが、せめてもの救いであった。また11月25日にNHKは、ETV特集で「ロシア革命100年後の真実」を放送し、レーニンのテロ指令として、農民弾圧に毒ガス使用を許可した新資料を公開していた。被害にあった農民の子孫を取材し、裏もとっている。NHKは以前の「新・映像の世紀」などでもスターリン主義の元凶としてレーニンを描いているが、そういう側面があったことは今日否定できないのでは。強力な反証をあげて、ぜひ反論して欲しいという気持ちもあるのだが。

 一方、ロシア革命を評価してきた日本共産党は、どうか。11月7日の「しんぶん赤旗」では、「ロシア革命100年と社会主義を考える」と題し、紙面を大きく割いて論じている。革命の世界史的意義として、民族自決権や人権概念を発展させた社会権の伸張などを挙げている。レーニンについては、最晩年のスターリンの大国主義に対する生死をかけた闘いを高く評価し、その死後、スターリンとその後継者によるソ連社会の変質と崩壊が始まったとしている。ただ、レーニン評価については、共産党指導部に微妙な変遷があると、先のシンポジウムで村岡到さんが鋭く指摘していたことも付け加えておきたい。

 最近では、共産党の理論的支柱ともいうべき不破哲三氏の「スターリン秘史」が、党内外で反響を呼んだ。精緻な資料を駆使して、また読みやすく工夫もされていて、スリリングな政治ドラマを見るような面白さもある。その理論的営為に敬意を表しながらも、今さら感もぬぐえないのも正直な感想でもある。フルシチョフによる秘密報告があって以降、ドイッチャーやロイ・メドべージェフの批判、またオーウェルやソルジェニツインの告発など、多数の証言や史料が出版されてきたのである。そして、何といってもスターリン主義を弾劾しつづけたトロツキーを避けては、本質的な批判たりえないと思うのだが、どうだろう。

 それはともかく70年代か80年代に、遅くとも21世紀に入る前にこのようにきっぱりとスターリン主義との決別をしていたらと思うのである。これはまた、唯一の被爆国の共産党として、全世界の核兵器に反対する方針をとっていれば、あのような原水爆禁止運動の分裂もなかったのに、と思うのと同様甲斐のないことではあるが。もちろん、現在の共産党が「民主主義と立憲主義」のために、まさにマルクスのいう人民の護民官として、各階各層の国民的権利と要求を守って闘っていることは言うまでもない。

 最近、「禁じられた声」(写真 バーバラ・ミラー監督/2012年/スイス)というアムネスティが日本語字幕を制作した映画を見る機会があった。中国・キューバ・イランに住む三人の女性がブログで言論の自由と知る権利を訴え、闘いつづけている姿を描いたものである。絶えず暴力や逮捕・監禁・拷問の恐怖に怯えながらも、憲法で保障されている権利と自由を要求する勇気は感動的である。キューバのヨアニ・サンチェスさんは「革命の時代はすでに終わった。今は新たに取り組む課題があるのに、それについて何も言う権利がないのはおかしい」と、政府を批判する。中国もイランも国民の自由を奪うための革命ではなかったはずだ。これもロシア革命100年後の現実である。どうしても、新たな変革・改革にむけて立ち上がる必要があることを私は教えられた。

 以上は、私がここひと月ほどの間に「ロシア革命」をめぐる論議を見聞きしたことへの一市民としてのささやかな感想である。もとより専門家でも研究者でもない素人で、識者には笑止であろう。しかし、ロシア革命はボルシェビキだけでなく、メンシェビキや社会革命党、またアナキストや無党派層、そして何より無名の労働者や農民など庶民の支援があればこそ成功したのである。であるならば、革命の肯定・否定にかかわらず、また知識の多少にもこだわらず、普通の労働者・市民の間でもっと論議されてもいいだろう。「ロシア革命とは何だったのか」と。そして、これからの「革命」はどうあるべきかと。


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