拉致問題と首相の不作為/太田昌国のコラム「サザンクロス」 | |
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拉致問題と首相の不作為9月末、奥能登国際芸術祭を見に行った時、気になっていた場所の近くを通った。石川県能登町宇出津(うしつ)である(写真)。往時水軍の船が隠されていたという故事に由来する「船隠し」という場所そのものまで行く時間はなかったが、乗ったバスは入り江豊かな能登半島の東海岸一帯を駆け抜けたので、地理的な雰囲気は十分に感じ取ることができた。1977年9月18日夜、宇出津港の「船隠し」から久米裕という日本人が、待ち受けていた数人の男たちと共に外洋の闇へ姿をくらました。久米さんを現地まで手引きしたのは在日朝鮮人だった。彼は外国人登録証の提示拒否で逮捕され、泊まっていた旅館からはラジオが見つかった。被害者は姿を消しており、「犯罪要件」を構成するに至らず、立件はされなかった。横田めぐみさんが新潟市の海岸線から朝鮮国の工作員に連れ去られたのは、上の事件から2ヵ月後の77年11月15日である。立件が不可能であったにせよ、第一の事件の概要なりともが、排外主義をいたずらに煽らないという周到な配慮を施しながら、何らかの形で周知徹底されていたならば、あとに続く拉致の悲劇は避け得たかもしれない。それによって、朝鮮国の若い工作員が拉致という非道な犯罪に手を染めることは未然に防がれ、あれ以上の被害者も生まれ得なかったのではないか――儚いとは知りつつも、拉致問題のことを思うたびに、私は、あの時点であらかじめ失われてしまった可能性に思いを馳せる。
今年の11月は、横田めぐみさん拉致事件から40年が過ぎたということもあって、いつにもまして、記憶を喚起する行事やそれをめぐる報道が多かった。事前には、国連総会演説で米国大統領が「わずか13歳の少女」をすら連れ去ったことを「北朝鮮の非道」を非難する一例に挙げたり、11月に来日した同大統領が拉致被害者家族会の多くのメンバーと面会するという「お膳立て」もなされたりもした。私は、日本国首相+官邸主導のこのような「小細工」を見るたびに、日朝両国間に累積するいくつもの課題(拉致問題も重大だが、そのうちの「ひとつに」過ぎない)を解決するために、自らの責任において果たすべき任務を怠っておいて、見栄えがする(と彼が信じている)舞台装置造りばかりに熱心な首相の、根っからの無責任さを思う。 去る11月15日、めぐみさんの両親が記者会見を行なった。母親は語った。「政府も外務省もまじめにやってくださっていると思っていた」。だが進展もなく、「信じていてよかったのか」(朝日新聞11月16日付けに基づいて引用)。現首相は、官房副長官として小泉首相の訪朝に随行してから15年、その後は首相にまでなって、拉致被害者家族の集会に行っては、年老いてゆくばかりのご本人たちを前に「安倍政権下で拉致問題は必ず解決して見せる」と豪語したのは何回を数えるだろう? そのための日々の努力をどんな形で行っているのだろう? 口を開けば「圧力」、「制裁」、「今は対話の時ではない」、「あらゆる手段を通じて北朝鮮に対する圧力を最大限まで高めることで米国と一致した」などと言うばかり。朝鮮国政府の態度にも大いに問題はあるとしても、この文言は、あるべき外交政策から大きく外れていよう。首相の不作為に対する疑問の言葉として、母親の言葉は、まだ遠慮がちに思える。 首相は「そもそも様々なことに対し、もう国民を納得させる必要をそれほど感じていないように見える。本当の説明をせず、押し通すことに、もう『慣れて』しまったように見える」と書いたのは、作家の中村文則氏だった(朝日新聞17年10月6日付け)。私の考えでは、2002年9月17日以降、政府・官僚・メディア・世論を牛耳ってきた「戦後最大の圧力団体」である拉致被害者家族会も、首相にはなめられている。家族会の人びとは、「問題が明るみに出てから15年も経った。もうたくさんだ!」と叫んでよいと思う。朝鮮国との対話に向けて日本から草の根の動きをつくることが、国交正常化、核・ミサイル、拉致、人的・文化的・経済的交流などの諸課題の解決へと向かう、急がば回れ、の道なのだ。家族会がこの方向で動けば、民意がそれを支えるだろう。 Created by staff01. Last modified on 2017-11-26 10:50:58 Copyright: Default |