太田昌国のコラム「サザンクロス」 : 日の丸の旗が林立する前での「総理演説」 | |
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日の丸の旗が林立する前での「総理演説」*10.21秋葉原の首相演説 写真提供=ムキンポさん 一人ひとりが持つ日の丸の旗を高く掲げたデモ行進の隊列は、私には見慣れたものとなった。何百人もの人がその隊列には加わっている。その人びとが、東京・九段下の大交差点の随所に陣取って、日の丸の旗や旭日旗をはためかせている光景も、また。 この人たちは、ここ何年来になるか、例年8月15日になると決まって、このような行動を取る。九段には、敗戦記念日のこの日「全国戦没者追悼式」が天皇・皇后も列席して開かれる武道館がある。この式典に参加する全国各地の戦没者「遺族」が、前日から泊りがけで上京し、「英霊」として祀られている親族にお参りする靖国神社も、ここにある。 他方、この日には、この追悼行事の在り方を批判し、これに抗議する集会とデモ行進も行なわれる。靖国神社が、アジア・太平洋侵略戦争に参画した旧大日本帝国軍軍人を「英霊」として祀ることは、侵略戦争の歴史を反省していないことの端的な表われであり、また歴代天皇がこの式典で発する「お言葉」の内容は、自らが担うべき戦争責任を蔑ろにするふるまいであると批判する観点からの行動である。日の丸部隊は、後者のデモ隊列が九段下交差点に差しかかり、ここを通過していくのを「迎え撃つ」ために待機しているのである。デモ隊に罵声を浴びせ、空き缶などのさまざまなものを投げつけるために……。私自身が、例年このデモ隊列の中にいるので、日の丸を掲げた部隊が「見慣れた」光景になっているのだ。
いくらか少な目になってきているとはいえ、いまだに各地で行なわれている「ヘイト(憎悪)デモ」の参加者の中でも、日の丸や旭日旗が揺れている。2009年、拉致被害者家族会の元事務局長・蓮池透さんと対談したとき、彼が語ったことがある。ある日、拉致問題の早期解決を訴えるデモの隊列にどんな人が参加しているかを見るために隊列の最後尾の方へ行くと、軍服姿の人やゲートルを巻いた人、日章旗を振りかざす人などがいて、とんでもないことになっていることが分かった、と。それは、やがて、或る政治目的をもつ人びとが牛耳る「拉致被害者を救う会」への疑問が、蓮池氏のこころに宿るきっかけの一つともなるのである(この対談は、蓮池透+太田昌国=著『拉致対論』として刊行されている。太田出版、2009年)。 これらの事実の積み重ねの上に、2017年10月21日(土)夜の、秋葉原駅前の光景を重ね合わせてみる。私は現場へ行っていないので、ネット上の報告文や動画に基づいての発言である。日の丸の旗の行列が整然と秋葉原駅前へ向かう。駅前を埋め尽くす。5000人はいたという。そこへ衆院選最終演説のために「安倍総理」がやってくる。「安倍総理 頑張れ」の横断幕。TV局を名指した「おい、偏向報道は犯罪なんだよ!」のプラカード。集まった人心を鼓舞する勇壮な曲も掛かる。準備万端が整ってから、「総理の演説」が始まる……。「ここに朝鮮人がいたらやばいな」。若者が囁くこの言葉は、朝鮮人のことを心配しているのではない、ここの雰囲気に同調して、面白がってこそ出てきたもののようだ。 フランス、オーストリア、オランダ、チェコetc.――外国に関してなら、この日本でも、「極右勢力の台頭」という顕著なる現象が話題となる昨今だが、客観的に言えば、投票日前夜のこの秋葉原駅前の光景こそが、社会の草の根においても、国政の頂点においても、「日本に極右台頭」の現実を映し出しているのである。冒頭から言うように、これは、私には心ならずも見慣れた光景だった。今回の選挙結果を経て、これまでとも隔絶した、見たこともないような風景が、この社会には立ち現れるのかもしれない。今夜わたしは、石川淳の『マルスの歌』、魯迅の『狂人日記』『阿Q正伝』などの短・中編を再読して、来るべき、名づけようのない時代を生きる道を探ろう。 Created by staff01. Last modified on 2017-10-25 11:03:06 Copyright: Default |