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関東大震災94周年 朝鮮人虐殺を忘れない!〜秋空の下300人が集う

     笠原眞弓

 私たちは忘れない。朝鮮人・中国人がいわれなく虐殺されたこの事実を。平時には考えられないことが非常時には起きることを。それは、平時に種がまかれていることを! だからこそ“違う”ことをよいこととする種を播き続けなければならないことを! そんな思いを新たにした集いだった。

 9月2日、「グループほうせんか・関東大震災時に虐殺された朝鮮人の遺骨を発掘し慰霊する会」の主催で関東大震災の追悼式が、台風の心配も去り青空のもと荒川河川敷で行われた。今年は、小池都知事や山本墨田区長の追悼文を出さないというニュースが駆け回ったからか、例年より多く300人近くの人が集まった。

 ここ墨田区の旧四つ木橋の河川敷は、軍隊が出動して機関銃で殺害した現場の一つでもある。主催者の西崎雅夫さんはあいさつの中で、当時は荒川放水路を作るために、多くの朝鮮人や中国人の労働者がいたこと。旧四つ木橋が火災からの唯一の避難経路だったことに触れ、そこで起きた事件だったこと、事件後遺体は2度にわたって掘り起こされ、隠蔽されたため遺骨すら出てこないと話す。犠牲者遺族たちは、日本、韓国、北朝鮮に住み、いまだに遺骨を探してほしいとの依頼が来る。遺族の間ではこの事件は終わっていない。自 分たちも日本の問題として出来るだけのことをしたいと結ぶ。

 犠牲者家族のシン・チャンウさんは、祖父の兄が被害にあい、重症を負ったのに役人から天災と思ってあきらめろと言われたという。それはまさに小池知事の天災と人災をごっちゃ混ぜにしているのと同じで、当時と変わらない日本人の姿勢にうんざりすると冷静に話す。

 2013年から参加している中国人犠牲者家族のコウアイセイさん(浙江省温州から)の挨拶が続いた。彼は、最後に日本の中に中国の先祖の記念碑も追悼碑もないので、今後はそれらを作っていく活動をしたいと篤く語った。

 最後に主催者から、追悼文を出さない東京都との姿勢に対する異議申し立てをするので、みなさんもしてほしいと訴えた。

 今年の追悼の歌は、趙博(パギやん)と矢野敏広(ヤノピー)。「死んだ男の残したものは」「釜石小学校校歌」など、3曲がうたわれた。
 会場のあちこちに刺してある風車は、小さな子どもも犠牲になったと聞いた方が、この日のために心を込めて100本も作ってくださ ったもの。赤は、犠牲になった朝鮮人の血の色だという。

 追悼式の最後は、鎮魂のプンムル。毎年楽しみにしてくださる方が、今年もいらしてくださった。今回は椅子つきの歩行器を使っていたが、思わず立ち上がって踊りだした。プンムルの力だ。レイバー映画祭で上映された『流言蜚語の時代〜関東大震災朝鮮人虐殺の現場を歩いて』を作った学生も一緒にプンムルの輪の中に入ってた。秋空に浮かぶ白い雲が、こんなに美しく見えたことはない。

 追悼式後は、会場を移した「ほうせんかの夕べ」は、趙博と矢野敏広のステージ。李政美(イジョンミ)さんも飛び入り参加し、最後はチョンミさんも私たちも一緒にステージに上がり「珍島アリラン」「密陽アリラン」で盛り上がり、絶対犠牲者のことは忘れないと誓い合って会場を後にした。

 碑の裏には、こう書かれている。
「一九二三年関東大震災の時、日本の軍隊・警察・流言蜚語を信じた民衆によって、多くの韓国・朝鮮人が殺害された。東京下町一帯でも、植民地下の故郷を離れ日本に来ていた人々が、名も知られぬまま尊い命を奪われた。この歴史を心に刻み、犠牲者を追悼し、人権の回復と両民族の和解を願ってこの碑を建立する。 二〇〇九年九月 関東大震災時に虐殺された朝鮮人の遺骨を発掘し追悼する会 グループほうせんか」


Created by staff01. Last modified on 2017-09-05 11:20:01 Copyright: Default

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