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木下昌明の映画批評 : 『草原の河』と『トトとふたりの姉』
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『草原の河』と『トトとふたりの姉』〜ゴールデンウィーク公開の2本

     木下昌明

●チベット映画『草原の河』

 神田神保町の岩波ホールには古くから折々珍しい国の映画がかかる。グルジア(現・ジョージア)映画の『とうもろこしの島』や『みかんの丘』、パキスタン映画の『娘よ』など、いずれもその国の監督作品なのが特徴だが、そこで初めて知る風物や風景を見ることもできる。

 チベット映画『草原の河』もそういった一本で、ソンタルジャ監督の2作目という。

 舞台は彼の故郷、青海省アムド地域の海抜3000メートル級の大草原。白雪の山々と草原が画面いっぱいに広がる。そこで6歳になる少女一家の営みが描かれている。彼女が若い両親に育てられ、考えたりすることに焦点を当てている。

 「馬に乗るなら生きているうちに」の歌をうたいながらオートバイが春先の草原を疾駆するところがトップシーン。

 この映画ではもう馬の駆けるシーンは見られない。一家が冬をすごした集落から夏場の放牧地に引っ越すのも耕作兼用車。その地では羊を放牧し、裸麦を植え、チーズなどの乳製品をつくる。

 少女は、狼に襲われて母羊を失った子羊を可愛がる。そのために子羊は成長しても群れになじめない。乳離れができない少女も、新たに赤ちゃんが生まれると知って母を奪われまいと画策する。その少女の思いが伝わってくる。

 一方、少女の祖父は洞窟に住んでいて、「行者さま」と村人に敬われる。長年、父は祖父を恨んでいて、病気でも会おうとしない。

 草原には雪どけの川が流れていて、原題の「河」はそこからとったもの。が、その河は親子の断絶を暗示している。その遠因に、僧だった祖父が、中国の文化大革命時代に還俗させられたという歴史背景がある。

 父がその祖父をオートバイの背にのせ、バックミラー越しに見つめるシーンがいい。

 映画は、大自然に包まれて生きるかけがえのない人生を素朴に写しとってなんとも味わい深い。(『サンデー毎日』2017年5月7日・14日号)

※『草原の河』は4月29日より岩波ホールにて公開。

●ルーマニア映画『トトとふたりの姉』

 ルーマニアの首都ブカレストのスラム街に住む子どもたちを撮った『トトとふたりの姉』をみて、「親はなくても子は育つ」という諺を思いだした。監督のアレクサンダー・ナナウは、これを「観察型ドキュメンタリー」と呼んでいるが、映画は、17歳の長女アナ、14歳の次女アンドレア、10歳のトト、彼らが食うや食わずの生活を送る古アパートの一室に潜入し、ごみだらけの部屋を大掃除しているシーンから撮る。父は生死不明、母は麻薬売買で服役中。母の兄弟が子どもたちの面倒をみている。

 その兄弟は“ヤク中”で、夜になると仲間を連れてきて、薬物を腕や首に注射している。最悪のたまり場をカメラはどうやって撮ることができたか不思議だが、男たちは平然とふるまっている。そのうちアナも麻薬に手を染め、急襲した麻薬取締官に逮捕される。残されたトトとアンドレアは孤児院に引き取られ、児童クラブで勉強するが身につかない。カメラは2人に密着し、その動向をとらえていく。2人が集団生活の中で少しずつ変わっていくさまが興味深い。

 あるとき、トトは課外授業でヒップホップダンスの舞台に魅せられ、自分でも見よう見まねで始める。指導員は、そのトトの才能を見抜いて、国際ヒップホップ大会に出場させる。

 またアンドレアはビデオカメラに関心をもち、監督にカメラを借りて自分や弟を撮るようになる。これまで撮られる側にいた彼女が撮る側にまわることで対象を冷静に見つめるようになる。とくに、出所して元のアパートで自堕落に暮らす姉を撮るシーンがみどころ。姉は自らのみじめな姿を撮られることにいたたまれずに激高する。逆に妹は、姉の生態をカメラで観察することで、自らをつちかっていく。

 トトとアンドレアの変化がはっきりと表れるのは、出所した母と一緒に列車に乗っている場面。――母「もうわたしを愛していないのかい?」トト「うん」。映画は人間の成長とは何かを教えてくれる。(『サンデー毎日』2017年4月23日号)

※『トトとふたりの姉』は4月29日よりポレポレ東中野ほか全国順次公開。


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