木下昌明の映画批評 : 三上智恵監督『標的の島―風(かじ)かたか』 | |
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●三上智恵監督『標的の島―風(かじ)かたか』 沖縄の反基地闘争に息づく非暴力の精神三上智恵監督の『標的の島―風かたか』をみて、時代の様変わりにあぜんとした。これまで『標的の村』(13年)や『戦場ぬ止み』(15年)など、三上は辺野古新基地や高江のヘリパッド建設といった米軍の基地づくりと、それに抵抗する沖縄本島の人々に焦点をあててきた。今度は、宮古島や石垣島などで陸上自衛隊の配備とミサイル建設計画がはじまっている現実に光をあてた。2年前に強行された「戦争法」が着々と形となっている。安倍の“戦争ごっこ”がいよいよ本物となって姿を現していると思い知らされた。 映画は2016年6月9日、米軍属による女性暴行・虐殺を追悼する県民大会で、女子学生が「わたしだったかもしれない」と涙ながらに訴えるシーンからはじまる。そのあと三線の調べにのって唄がうたわれるが、唄の文句の一つ「風(かじ)かたか」を名護市長が自分たちの問題としてとらえ、「われわれは『風かたか』になれなかった」と悔やんでいた。「風かたか」とは風除け・防波堤のことをいう。 このあとカメラは宮古島と石垣島にとび、そこで2015年5月からはじまった南西諸島防衛と称する自衛隊配備とミサイル基地建設計画――それに対する母親たちの抗議する姿をとらえる。それも島に根づいている歌や踊りの民俗文化を紹介しつつ映しだしていく。宮古では島の水源地の真上に基地建設しようとしていること、石垣では、戦後米軍に土地を奪われ渡ってきた人々の開墾した土地が再び奪われようとしていることなど、陸自は、宮古島に司令部をおき、帯状に伸びた島々の軍事要塞化をはかっている。それは「エアシーバトル構想」といって中国封じ込めの「海洋制限戦争」なのだそうだが、基地のある島民がまっさきに犠牲になるのは火をみるより明らか。 カメラはつづけて辺野古と高江に向かい、ゲート前の87歳の老婦人に「なぜぶれないか」と問う。彼女は「やらないといけない、やらないと沖縄を火の海にする」と決意を語る。また、末期がんと宣告された山城博治平和運動センター議長は、奇跡的によみがえって、再びゲート前で活躍している。そこに国が和解案をのんだと知らせが入り、全身で喜びを表す。「にわかに信じがたいが、時々思うんですよ。毎日座ったり引っこぬかれたり座ったり引っこぬかれたり。どんな意味があるんかと思っていた」が「意味があるんだ」と、にっこり。 映画は高江の攻防が圧倒的だ。待機する住民・市民に1000人の機動隊員が押しよせてくるさまは『七人の侍』を彷彿させる。しかし、ここには暴力には暴力で、のたたかいはない。「手を耳より上にあげるな」の古老の非暴力魂が息づいている。車の上に機動隊員が襲いかかってダンゴ状になったとき、若い女性の首にロープが絡まり、危うくなった。その一瞬、山城は敗北宣言する。かれの勇断に驚かされる。そのあとかれはひざまずいて号泣するのだ。そこにわたしは敗れても敗れてもたたかう非暴力精神のなんたるかをみた。ぜひみてほしい一本だ。【木下昌明】 *『標的の島―風かたか』は3月25日よりポレポレ東中野を皮切りに全国順次公開。 Created by staff01. Last modified on 2017-03-23 00:04:32 Copyright: Default |