小倉利丸です。ブログにオリンピック批判のつもりの文章を書きました。「難
しい」とのご批判があり、すいません、としかいえないのですが。スポー
ツの身体と近代の資本のために労働するように組み立てられた身体とは相
似形なんですが、ちょっとややこしいかもしれません。搾取と生産力主義
=成長神話に反対するのであれば、あるいはレイシズムや差別に反対する
ならスポーツそのものを懐疑の目で見直す必要があると思うのですが。
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資本主義的身体からの訣別のために―近代スポーツと身体搾取
オリンピックの喧噪はこれからも続くだろうが、オリンピックが「近代スポーツ」の最も
大掛かりなスペクタクルとして、国威発揚の手段であることは誰もがほぼ認めることであ
るが、同時に、「国威発揚」といった国益にスポーツを利用する露骨な政治家の発言を不
謹慎だと諫める良識ある者たちの多くは、スポーツが政治から中立でありうるというこれ
またありえない幻想を近代スポーツの理想として実現可能なものだとする過ちに陥ってい
るように見える。東京オリンピックの浪費的支出や過大な公共投資の弊害や、賄賂まみれ
の誘致を批判することは必要不可欠なこととはいえ、だからといってつつましやかなオリ
ンピックなら(民主的なオリンピックなら、ということでもいいが)歓迎だ、ということ
になるのかどうか。むしろオリンピックに体現されている近代資本主義が生み出した資本
の倫理と価値観を支える「身体」のありように対して根底的な批判の目を向けることが必
要ではないか。
以下はブログで(本来のブログサイトが不具合なので仮のブログです)
https://neplukapitalismo.wordpress.com/2016/08/26/capitalist_body_politics/
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<フクシマ陽太郎氏の感想>(レイバーネットMLより)
小倉利丸氏のこの文章を読み、身体性について根源的な視点からの提示に目を開かれました。
敬意を表して、一部を以下に引用します。
1「「機械」の出現は、この前提を崩し、人間の理想モデルは機械のようであることになった。
つまり、より速く、より正確に、そして、反抗することなく指示に従うこと。近代のスポー
ツはこのような機械の時代の人間を典型的に表象する仕掛けとなった。この近代的な身体を
めぐる意味の喪失を過去や非近代的な社会によって回復しようとする試みに私は魅力を感じ
ない。」
2「つまり、言語や身体の表現や、人と人、人と自然の関係そのものである。こうしたやっかい
なテーマがオリンピックに象徴されるスポーツの問題の根源にあるということ、オリンピック
だけでなくスポーツを含む文化的な身体表現の社会的な構成そのものが資本主義の身体搾取を
支えているということ、このことだけをここでは指摘するのが精一杯のところだ。」
以下は、オリンピックとフクシマ原発犯罪の関連について、現地からの感想です。
自らの身体を「専門家」に奪われて、スポーツの観客に貶められた我々。オリンピックの目的
は「国威発揚」と白昼堂々公共放送で言い募るものがいる美しい国日本。ナショナリズムという
厄介なものに収奪されているオリンピックが、その国民感情を戦争にあっさりと結び付けられる
のではないか。
東京オリンピックは金で買った。では売った者は誰かと言えば、招致決定の瞬間に、世界原子力
ムラと直感的な妄想に近い発想が湧いた。
フクシマ原発犯罪の後始末を見ているとますますこの想像に確信を抱く。昨日のニュースでは、
震災のアーカイブ施設を20キロ圏内の福島県双葉町に、それもオリンピックまでに建設すると
流れた。
オリンピックという国民総動員のための魔術によって、フクシマ原発犯罪の被害は黙殺される。
セシウム137の半減期は30年だというのに。言葉だけの除染で取り除いたと虚偽をふりまく。
小倉利丸氏の名前は存じあげていたが、今後読むべき著者のリストに入れて、『搾取される身体性』
などを読んでみたい。
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staff01.
Last modified on 2016-08-30 11:28:37
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