木下昌明の映画批評 : ドキュメンタリー映画『追憶』が伝える戦争のはらわた | |||||||
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●小栗謙一監督『追憶』 「死の島」パラオ・ペリリュー島〜『追憶』が伝える戦争のはらわた太平洋戦争の折、ガダルカナル、サイパン、アッツ島などで、米軍との激戦で日本軍が壊滅したと知らされてきた。それがパラオ諸島に浮かぶペリリュー島という小さな島で戦没者の慰霊の旅をする天皇、皇后の『サンデー毎日』巻頭グラビア(2015年4月26日号)をみて、こんな所にも戦争があったのかと漠然と思ったことがある。その戦闘の凄まじさを、小栗謙一監督の映画『追憶』で知った。 小栗には『日本鬼子(リーベンクイズ)』(01年/製作・撮影)や『ビリーブ』(06年/監督)などのドキュメンタリーの傑作がある。その彼がこの映画で「戦場は、人が人を殺す場所でしかない」と語っているが、まさにその通りだ。日本軍の島での戦傷者数1万468人のうち戦死者は実に1万22人。米軍は8844人で戦死者は1684人。日本と比べて死者が少なかったのは次々とタンカーで運ばれて応急処置ができたからだ。それでも、戦後ハリウッドで、硫黄島のように華々しく映画化することもなく、いつしか「死の島」として忘れさられていた。 では、小栗はそれをどのように映画化したか。 トップシーンは静かな海と緑のジャングル。そのジャングルをわけ入ると放置された戦車や砲台、飛行機の残骸がある。そこへ両手に杖の95歳の元日本兵が訪ねてくる。木立の下に作戦司令官の大佐の墓があるからだ。元日本兵は、戦争が終わって2年後に生還した34人のうち1人。映画はその彼をはじめ、島民の女性、元米海兵隊員の証言などで成っている。 が、それよりも全編を占めている膨大な資料映像に驚かされる。これらは米国防総省などの提供によるが、当時、従軍報道班が撮ったものだろう。よくぞここまで、と思われる白黒画面に圧倒される。撃たれて崖から落ちる仲間を助けようと手を伸ばす米兵、波に洗われている米兵の死体の脚、ふんどし一丁でへなへなと座り込む日本兵……。日本軍が70日間も戦闘できたのは、島に500もの鍾乳洞があり、それが自然の要塞となったこと、その上に大佐が“玉砕”戦を固く禁じていたからだ。そしてジャングルは禿げ山と化した。――これが戦争なのか。言葉もなかった。 *11月5日より東京都写真美術館ホールほか全国順次公開 ・若干、加筆しました。 Created by staff01. Last modified on 2016-11-12 14:38:42 Copyright: Default |