世界社会フォーラムに福島の自主避難者一行が参加 | |
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世界社会フォーラムに福島の自主避難者一行が参加長谷川 澄(モントリオール)
カナダのモントリオールで8月9日から一週間に亘って開催された、世界社会フォーラムに、日本から福島の自主避難者で避難の協同センター代表世話人、こども脱被ばく裁判(旧ふくしま集団疎開裁判)弁護団の弁護士、支援者として、脱被ばく実現ネットから一人の計三人が出席した。出席を強く後押ししたのが、フランスを軸にした、居住問題の国際ネットワーク、No-Voxの人たちだった。No-Voxはラテン語で声なき者という意味で、居住の権利、弱者の生存権、野宿者排除に対する抵抗など広い活動をしていて、世界中にネットワークを持ち、それぞれの場所の実情に合わせて、名称の違うグループがこのネットワークに繋がっている。日本にも連帯するグループがあり、3月に日本で行われた「核と被ばくをなくす世界フォーラム」の実行委員に、2つのグループの人(脱被ばく裁判とNo-Vox)が入っていたことから、後にフランスのNo-Voxが福島からの避難者の問題を8月の世界フォーラムに出て、話すことを強く勧めて、実現に至った。 今回のフォーラムではNo-Voxとそれに連なるモントリオールのFrapru(都市再開発における民衆行動戦線の略)が中心になって、世界社会フォーラムの“住宅、街、土地の権利”をテーマにした部門を開催した。以上のような経緯があったため、日本からの出席者3人は多くの場合、二手に分かれて、自主避難者の松本さんがフランス語で行われた住宅、街、土地部門に、弁護士の柳原氏と脱被ばく実現ネットの岡田さんは英語で行われた反核部門に出席することになった。私は補助の通訳と移動案内として、会期中ずっと、松本さんとメインの通訳で、明治学院大学からこちらの大学に来ている浪岡新太郎氏と行動を共にしたので、住宅、街、土地の権利部門についてのみ、レポートする。 住宅、街、土地の権利部門の第一日目は、1960,70年代に始まった、モントリオールの再開発の中での住民の闘いの場となった所へのバスツアーで始まった。住民が住居を追われ、大きなビル街になった所、街の中心部に近いにも関わらず、住民が団結して、再開発された場所の一部に協同組合型の住宅を建設、コミュニティのクリニック、保育所、畑なども作った所。ショッピングセンターに売ることが決まっていた、廃業した鉄工場の広大な土地を周りの住民と小売商などの強い反対で、市議会が住宅地にすることに決定、低家賃の公営住宅から、中流上向けの建売住宅までが混在する団地となった所、歴史遺産的価値のある工場の外壁や屋根を残したまま、協同組合型の集合住宅にした所などの見学をした。 Frapruは住居は人間の基本的な権利であり、全ての人が快適な住居を持たなければならないという考えを基本に、投機や儲けの対象とはならない、公営住宅、協同組合型住宅の建設や、都市計画に住民の意見を反映させる運動を70年代後半から展開してきて、現在、ケベック州を中心に全国160の住民グループを統合している。午前中いっぱいのバスツアーには、松本さん、岡田さんと通訳3人が参加。Frapruの招待でコミュニティ食堂での昼食の後、そこの集会室で各国から参加した人たちの自己紹介とそこで抱えている問題についての発表があった。ここに反核の集会を終えた、柳原氏と通訳一人、絆Japon代表(モントリオールの福島問題を考える会)も参加した。 松本さんが、原発事故後、国が基準値を20mmcv.まで引き上げこと、当時12歳だった次女に鼻血や下痢、腹痛の症状が出て、母子で自主避難したこと、住宅援助は来年3月で打ち切られると避難者に何の打診もなく決められ、避難者は汚染された所に戻るか、バラバラになった家族の住居費を全て自分で払って、貧困に甘んじるかの選択を迫られていることを話した。他の多くの国の問題が、新自由主義の台頭で社会問題に対する政府の取り組みが後退していて、低家賃の公営住宅の建設や修理の予算が減っていることや、家を買っても、銀行への返済が出来なくて、その家を失う人たちの救済問題など、純然たる住宅問題が多い中で、福島とアフリカのマリの土地問題が異色だった。アフリカの多くの国では、土地を個人の所有物として、登記したりする習慣がなく、親子代々使って来た土地をある日、政府と結託した業者によって、外国の鉱山会社に売られたりすることが起きているそうだ。 この後、夕方から、WSH初日の全体のデモがあり、夜は開会式があった。翌日は、一般の参加者も入る、大学の広い会場で、住宅、街、土地の権利の部会が開かれ、ここでも松本さんが前回より詳しく、福島と避難者の状況を発表し、日本は経済の先進国と思われていても、人権の面では後進国であることを言った。この日はFrapruの人から、この部会に出ていた国連の人権に関する特別報告者を紹介された。その人は自分達も福島のことは気になっているので、出来るだけ多くの情報を提供してくれるようにと名刺を渡してくれた。 木曜はFrapruのオフィスで、No-Voxやその他の住居関係の世界組織(HIC, IAH)の代表が昼食を共にしながら、2016年WSF住宅、街、土地の権利部門としての合意点を何にするかの話し合いがあった。ここに日本からの3人も招待された。合意点に福島問題を入れるかどうかについては、福島だけを取り上げずに、広く、災害時の住民の権利としてはと言う意見も出たが、長く活発な話し合いの後に、現に健康被害が出ていること、住宅補助が打ち切られることなど差し迫った問題があるのを一般論では対応できないと言うフランスやメキシコの意見が説得した。 その話し合いの中で、避難者の方で、既に計画している具体的な行動予定があれば、それに連帯しようと言われたが、既に決まっていることはなく、急遽、日本組で話し合った。そして、その日の議題の一つでもあった、本年10月 17日 からエクアドルのキトで開催される国連の住居問題の会議、Habitat IIIに平行(対抗)して、行われる住居問題の社会フォーラムに合わせて、日本で何らかの行動を起こせるよう、帰国後に話し合うことを約束した。午後は大学の会場で、各国の今後の活動予定や、キトの社会フォーラムについて話し合った。合意点については、それからも話し合いを重ね、何回も文を直し、最後の土曜に出来た3つの合意点の一番に福島問題を挙げてくれた。それをここに記す。 ・福島の避難者に連帯する立場で、住民の健康と安全を侵す放射能基準値の変更を告発し、住民の移住と賠償を要求し、今後の避難者の行動を待って、団結の行動を起こす。 金曜には住宅部門のデモがあり、福島とマリの代表がFrapruの人たちと共に、横断幕を持って、先頭にたった。デモの解散時にも他の人と共に、松本さんはスピーチをした。土曜には午前中、Frapruのオフィスで総括と今後の運動予定が話し合われ、先に記した福島に対する立場など3つの合意点が決まった。午後はフォーラムの各部門ごとのテント村のできた公園で、署名やチラシ配りの活動をした。ここで、松本さん、岡田さんは、フランスの新聞のインタヴューを受けた。日曜にもチラシ配りを続け、スイスのテレビが松本さんの話のビデオ撮影をした。 以上が精一杯端折った、フォーラム一週間の報告だ。日本からの三人は到着当日も夜遅くまで、モントリオール側の通訳たちとミ-ティングし、翌朝から連日のフォーラム出席で、大変な日程だったが、得たものも大きかったと思う。まだ、具体的な計画はないが、日本で、福島避難者、支援者団体、反核、反原発団体がいっしょに来年3月の住宅支援打ち切りや放射線基準値引き上げに抗議する集会を開くことができないだろうか。それが可能なら、在外の私たちも今回のフォーラムで出会えた人々に連帯行動を呼びかけ、自分達の行動を起こすつもりでいる。反核フォーラムに出たグループも良い出会いがたくさんあった。(ボランティアの報告者がいれば、後に報告する) Created by staff01. Last modified on 2016-08-22 13:59:17 Copyright: Default |