飛幡祐規 パリの窓から(38) : 民主主義をとり戻す | |||||||
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民主主義をとり戻すイギリスの国民投票によるEU離脱派の勝利、フランス、ドイツ、ベルギーで起きた殺戮やテロ事件(政治的な目的がない場合、テロという言葉を使わないほうがよいと思う)、トルコの軍部クーデタ未遂後の政権による反対派弾圧の強化などなど、「パリの窓から」近い世界には6月以来、大きな出来事がつづけて起きた。近年の、中東やアフリカからヨーロッパへの大規模な難民の到来については書く機会がなかったが、難民の困難な状況は解決されずにつづいている。6月末の再度の総選挙でも多数派を引き出せなかったスペインは、いまだ新内閣を組織できないでいる。フランスではニースの大量殺戮事件のせいで、7月末に終わるはずだった「緊急事態」が来年1月末まで、6か月も延長されてしまった。いろいろな意味で民主主義と現代社会について考えさせられる状況がつづいている。今回は、「民主主義をラディカル(急進的)にせよ」と言っているフランスの憲法学者の提案を紹介し、国民投票についても考えてみたい。参議院選挙後、安倍政権がますます露骨に進める日本の「改憲」も、最終的には国民投票での賛成が必要となる。 その前に、何度も紹介したフランスの労働法典改正(改悪)法案(エル・コムリ法)に反対する市民運動のその後について、簡単にまとめておく。3月9日に始まった反対デモはヴァカンスシーズンに入った7月5日まで12回繰り返されたが、この日の国民議会での再討議の際、法案は憲法49条3項の行使によって採決なしで採択された。つづく元老院での再度の討議の後、国民議会で三たび憲法49条3項が行使され、エル・コムリ法は7月21日、最終的に採択された。6月14日の大規模なデモのときにネッケル病院のガラスが割られたため、23日のデモ行進は禁止されそうになったが、結局全長1.6kmだけ許可された(その後の2回はもっと長い行程が許可された)。これまでのフランスのデモに比べて治安部隊はいちだんと威圧的な体制をとり、12回の全国デモにおける逮捕者数は900人近くにのぼる。警察側の不当な暴力も目立ち、市民側から問題にされたため、48件が(警察機構内で)調査中だ。7月の殺戮事件のあと決定された「緊急事態」延長にともない、5月末に廃止された自宅軟禁の措置が復活し、「治安を保障できない」デモは禁止できることになったから、労働法反対にかぎらず社会運動における自由が制限されるだろう。しかし、組合側はヴァカンスあけの9月15日に再び行動を呼びかけている。 労働法反対のストはサッカーのヨーロッパ選手権期間中に収束し、レピュブリック広場の「夜、立ち上がれNut Debout」に集まる人々も激減した。いくつかの委員会は細々と活動しているが(とりわけ難民援助)、ヴァカンス明けにまた新シーズンを開始する予定だ。 さて、世界各地の民主主義国家の多くが、議会制民主主義(代表民主制)がうまく機能しない状態に陥っている。既成政党・政治家に対する幻滅・不満から選挙では棄権が増え、ポピュリズムが強まった。また、ネオリベラル経済のグローバル化によって、少数のグローバル企業による市場支配が進み、国として独自の政策をとりにくくなった状況から、国家の主権を回復しようとするナショナリズムと排外主義も強まっている。EU離脱賛成が過半数をとったイギリスの国民投票にも、グローバル社会でとり残され、貧困化を感じる「国民の不満」(とりわけ低所得層、高齢者層)が表されていた。そして、スペインの15M運動(キンセエメ、「怒れる者たち」)、アメリカのOccupy Wall Street(「ウォール街を占拠せよ」)、フランスの「夜、立ち上がれ」現象、またイタリアの地方選挙での「五つ星運動」の躍進、福島事故後の日本の脱原発運動、SEALDsなど安保法制に反対する市民運動の背景には、「国民を代表していない」議会と政権に反発し、国民の声がもっと直接に届く民主主義のやり方を求める動きが表れていると思う。 実際、すべての社会階層、とりわけ弱者の立場が国会議員によって代弁されているとは、言いがたい。フランスの国民議会では、2012年の総選挙で女性がようやく25%を超えた(女性議員の比率EUで9番目)が、移民系、労働者・従業員階層の議員は双方、2%と少ない。労働者・従業員階層は現在の労働人口の約半数を占める。議会政治が始まって以来、議員には弁護士など高学歴の自由業者が多かったが、第二次大戦後に共産党が30%近くの議席を得た1946年の総選挙では、議員の18,8%を労働者・従業員層が占めた。しかし、その後10%を超えたことはない。政党や労働組合に加入する人が減る一方の今日、「自分たちの立場、意見が政治に反映されない」と感じる人が多いのは当然だろう。 そこで、憲法学者のドミニク・ルソーは元老院(上院)のかわりに、選挙の時以外にも国民が主権を発揮できる「市民議会(アサンブレ・ド・シトワイヤン)」を新たに設置すべきだと提案する。ピエール・マンデス=フランスが1962年に提唱したように、社会階層(職業別)や市民団体の代表者、あるいはくじ引きで選ばれた市民で構成される議会だ。つまり、市井の人が直接政治に参加するシステムをつくるべきだという主張である。 近年、たとえばパリ市の8つの区などには外国人も参加できる「市民評議会」がつくられ、地方自治体での住民参加は進んできた。ドミニク・ルソーは、国政においても抽象的な「国民」を代弁する国会議員だけでなく、実生活に根ざした市民が法案を討議・議決できるようにすべきだと考える。現在の代表民主制では、具体的な個人(市民)の視点が代弁されていないからだ。彼はこれを「連続した民主主義」と呼び、民主主義をラディカル(急進的)にする主要な手段としている(他の提案は比例制選挙、法務省の廃止による完全な三権分立、高級官僚養成の国立行政学院廃止など)。<著書『民主主義をラディカル(急進的)にする』"Radicaliser la Démcratie" Dominique Rousseau 2015 Seuil スイユ出版> ボーヴァワールの『第二の性』にある有名な言葉「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」をもじって、ドミニク・ルソーは「人は市民に生まれるのではない、市民になるのだ」と言う。フレネ教育や自主管理の集団などを見れば、自治の実践、つまり討議・議決を経験する過程で「市民」の資質が培われることがわかる。また、くじ引きで選ばれる陪審員は、訴訟に臨む過程で必要な知識や資質を獲得していくことが知られている。 さて、選挙以外での国政参加、直接民主制の行使という点では、国民投票(レファレンダム)をもっと頻繁に行おうという声がある。フランス革命中、ジャン=ジャック・ルソーの思想に影響された「1793年憲法」では国民投票が定められていたが、この憲法は施行されなかった。その後、ナポレオンとナポレオン三世によって国民投票はクーデターの承認に使われ、またド・ゴール大統領が導入した第五共和政下の国民投票も政権の「信任(プレビシット)」の性格が強いため、フランスでは国民投票が独裁的な権力に使われることを懸念する意見も多い。 ドミニク・ルソーも、国民投票は民主主義の手段になりえないと考える。イエスかノーかを問う二項形式は必然的に、問題の単純化とデマゴギーを引き起こすからだ。イギリスの国民投票でも人々の恐怖心を煽るデマゴギーが目立ったが、2005年フランスでのEU憲法条約についての国民投票の際も、複雑な憲法条約の内容を理解するには長い討論期間が必要であることが実感された。この投票では否認が55%近くを占めたが、その理由は排外的なナショナリズムだけでなく、EUが進めるネオリベラル経済政策への反対、技術官僚が牛耳る民主的でないEUのガヴァナンスに対する批判など、さまざまだった。また、二項対立は人々のあいだに大きな亀裂を引き起こすため、共同体にとって建設的でない。フランスではいったいに議論で感情的な不和になることは珍しいのだが、EU憲法条約の国民投票の際には、家族・友人のあいだで仲違いが起きたほどだ。ちなみに、フランスとオランダの国民投票による否決を受けて、EUは憲法条約にかわるリスボン条約を結び、フランス政府は反対を封じるために、それを国会で批准した。加盟国の国民投票の結果が踏みにじられたEUの実態を示している。2015年のギリシア負債問題でも、ギリシア国民多数の政治意志はEUによって踏みにじられた。こうした状況で、EUレベルでも市民参加に基づいた新たな欧州連合の機構とプランをつくるべきだという提案がなされている。 地方自治における例をあげると、長年反対運動がつづくナント市近郊のノートル・ダム・デ・ランド空港建設について、6月末にロワール=アトランティック県で住民投票(レファレンダムと同じ言葉が使われる)が催された。結果は賛成が55%強だったが、投票前からいくつも問題が指摘されていた。公的資料をはじめ情報が反対派の議論(とりわけ自然体系破壊)を反映していなかったこと、世論調査によって賛成が多い範囲(1県のみ)で投票が施行された点などだ。(コラム29 「押しつけられた不必要な開発計画と他闘う人々」参照) ドミニク・ルソーはまた、基本的人権をはじめ市民の権利は社会闘争をとおして獲得され、国民投票で権利が前進したことはないと指摘する。たとえば、フランスで死刑が廃止されたのは1981年、国会で採決された。1960年代末に死刑に反対する人は国民の過半数に増えていたが1970年代にいくつも残虐な事件が起きたために、1981年当時の世論は賛成派が優勢だった。その後、死刑禁止は憲法に書き込まれ、欧州連合基本権憲章にも制定されているため、死刑復活はありえないのだが、世論調査によるとテロの影響なのか、2012年から死刑賛成者が増えている。復活を政策に掲げている極右政党の国民戦線は、国民投票を要求している。 一方、国民投票で権利が前進した例が最近あった。2015年5月の国民投票で同性結婚を認めたアイルランド(賛成62%)である。この国民投票は、憲法改正のために2013年に1年かけて討議された、憲法制定諮問会(決定権はない)の提案によるものだった。議員33名と、くじ引きで選ばれた66人の市民で構成されたこの諮問会は、専門家、教会、市民団体などさまざまな意見を聞き、アイルランド各地で市民が参加・提案できる会議を開いた(インターネットでも提案を募集)。その後に提案された8つの改正条項の一つが同性結婚の許可で、これについて国民投票がオーガナイズされることになった。このように、十分な時間をかけた討議に市民が参加できる機構をつくることは、民主主義の活性化につながるのではないだろうか。 アイルランドの場合は、カトリック教会の影響が強固だった時代の保守的な憲法条項(性差別など)を改めようという試みだった。かの地で憲法制定諮問会が発足した頃、日本では自民党が、憲法の改正規定である96条を改正しようとした。議員の3分の2でなく、ふつうの法案のように過半数で改正の発議ができるようにしようという、憲法学的にありえない提案は、幸いにして食い止められた。しかしその後、2014年に9条の解釈変更が閣議決定され、2015年9月には憲法違反である安保法制が強行に採択され、憲法をないがしろにする安倍政権による静かなクーデターは進められている。3分の2が達成されてしまった今、最終的な国民投票に向けてデマゴギーはますますはびこるだろう。より多くの人々が討議に参加し、学び、「市民になる」ことが必要とされている。 2016年8月17日 飛幡祐規(たかはたゆうき) Created by staff01. Last modified on 2016-08-18 18:00:24 Copyright: Default |