郵便局員から原発作業員へ〜「福島に身を投じた」池田実さんの気概 | |||||||
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郵便局員から原発作業員へ〜「福島に身を投じた」池田実さんの気概堀切さとみ除染や福島第一原発の収束に携わる幾多の労働者たち。誰かがやらなければならない作業でありながら、果てしないという印象がぬぐえない。どんな思いでその作業をしているのか。2月11日、さいたま市で「福島原発作業の真実」という講演会が行われた。主催は「原発問題を考える埼玉の会」。郵便局を退職したあと、除染そして福島第一原発構内の作業員として働いた、池田実さん(62歳・写真)の話をきいた。 池田さんは3・11のその時、東京都内で郵便配達をしていた。はじめて経験する大きな揺れと、その後に起こった福島原発の事故に、ものすごいショックをうける。「今まで東京でぬくぬくと生きてきた。福島で何が起こっているかみてみたい」と2013年の定年を機に、再雇用の道を選ばずに福島へ。60歳を過ぎての採用は難しかったが、除染作業の二次下請け会社に就職することができた。 そこで任されたのは浪江町の川の土手の除染だった。本来20人のチームでやる予定だったが、集まったのは年齢も経験もばらばらな七人。草刈り機で刈って熊手で集め、土砂を五センチ剥ぎ取ってフレコンバックへ。 傾斜面での作業なのできつかったという。一キロの範囲の中でも放射線量はずいぶん違い、低いところは2マイクロ㏜だったが、高いところは25マイクロ㏜もある。会社からマスクやヘルメット、ゴーグルは支給されるが、作業着や長靴は自前。作業で来ていたジャンパーは 洗濯もせず、着っぱなしで寮に帰ることも多い。 作業前と作業後に体の放射線量を測るのだが、器械の押し忘れや誤作動もあっていい加減。少しでも地面の線量が下がれば嬉しくなるが、何しろ予定よりずっと少ない人員なので間に合うはずがない。作業工期が迫ってくると「土なんかどうでもいい。草だけ刈ればいいから」と親方から言われ空しかったという。 除染の次に池田さんは、イチエフ(第一原発)構内の作業に就く。ここでの仕事はサービス建屋の事務所の掃除。一時間から三時間ほどの作業で 「慣れてくると、やった気がしないほど楽だった」。身に着けたAPD(アラーム付線量計)が鳴っても、はじめはドキリとするがすぐに慣れてしまう。除染作業で浴びる線量はマイクロ㏜だったが、原発構内はミリ㏜と浴びる単位 が違う。それでも危険手当は、除染作業の会社よりも少なかったという。社会保険未加入が当たり前のイチエフ。「白血病など、年間五ミリ㏜以上が認 定基準」とはじめに講習をうけるが、これまでに認定された人はわずか14人。ちなみに池田さんの累積線量は7.25ミリ㏜だった。 そんな中で二名の労働者が作業中に死亡した。二人とも20年以上のベテランで、中でも一人は安全対策長だったという。その彼が、安全帯をつけずに一人で作業していたのを他の作業員たちが止められなかったという話を後から聞き、池田さんはイチエフが抱えた構造的な問題をつきつけられていく。 その後、任されたのは「リサイズ作業」。大きな袋に入れられた三年分もの使用 済み作業着を、小さな袋に入れ替える作業だった。なんでも構内に建設中の大型焼却炉で燃やす予定だったのだが、圧縮して固めた作業服の塊が、完成した焼 却口に入らないことが判明したからだという。先をみない場当たり的なあり様に、開いた口がふさがらなかったが、黙々とそれをこなすしかなかった。 上に意見をいうことなどできない軍隊的・閉鎖的な現場。様々な問題があっても、たくさんの会社が寄せ集まった混合チームなので指摘することができない。そんな中で池田さんを支えたものは「やっぱり、同じような仲間がたくさんいるってこと」。イチエフで働く人の半分は福島の人で、特に若者は地元出身者が多い。「再稼働なんてとんでもないよ」「カネのためじゃない。福島のため、故郷の ためにやってるんだ」という声を聞くたび、自分もその一人でありたいと思ったという。また、別の除染会社の話だが、上司のパワハラが横行する中、二十人の社員が ボイコットし、解雇されそうになった労働者を救ったエピソードを嬉しそうに語った。 <除染から廃炉作業に身を投じやがて福島がふるさとになる> 作業のむなしさや会社の労働環境への憤り。決して少なくない放射能を浴びることで、池田さんは福島を自分のことにしたかったのだ。今は東京に戻っているが、現場から離れても自分は“被ばく者”。不安は過去の問題ではありえず、自分自身はずっと引きずっていくのだという。その気概をただただ受け止めたいと思う。 追記: Created by staff01. Last modified on 2016-02-13 18:12:37 Copyright: Default |