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「これは地下の火だ。君たちに消すことなどできはしない。」
  労働法制改悪反対・8時間労働制を守るため、メーデー集会にご参加を!

                                                            萩尾健太
1 死刑囚の言葉

「虐げられた数百万の人々が、悲惨と貧窮の中で労苦している数百万の人々が救済を
求めている運動、労働運動を、私たちを絞首刑にして踏みにじることができると思う
なら、それが君たちの見解だというのなら、死刑にするがいい!
 ここで君たちは火花を踏みつぶしている。だが、あちこちで、君たちの背後で、君
たちの眼前で、いたるところで、炎は燃え上がる。
 これは地下の火だ。君たちに消すことなどできはしない。」
  これは、1886年5月4日のヘイマーケット事件で絞首刑とされた労働運動指導
者・無政府主義者アウグスト=スパイスの死刑判決後の法廷陳述です。

2 8時間労働制の歴史

  1880年代のアメリカでは、1日14〜15時間労働が当たり前とされていまし
た。当時の労働運動のスローガンは「第1の8時間は仕事のために、第2の8時間は
休息のために、そして残りの8時間は、おれたちの好きなことのために」の実現でし
た。
 1886年5月1日、この厳しい労働条件を打破し「8時間労働制」を求めて、ア
メリカのシカゴを中心に約35万人の労働者がゼネストを決行しました。結果、18
万人の労働者が経営者に「8時間労働制」を約束させました。しかし、このスト中の
労働者4人が警官隊に殺害されました。それに抗議して、5月4日夜市内のヘイマー
ケット広場で集会が催されました。このとき、解散を命じる警官隊に爆弾が投ぜられ
て衝突がおこり,警官側死者7人を含む多数の死傷者が出ました。
 犯人不明のまま、警官殺害を教唆したとの罪で8人の労働組合指導者が裁判にかけ
られました。陪審員の評議の結果、4人が絞首刑、他の4名(うち1人は、獄中で自
殺)が禁固刑となりました。冒頭の法廷陳述は、この裁判の時のものです。
 経営者側はこの裁判によって労働組合側を世論から孤立させ、8時間労働制の協約
を次々に破棄しました。

 後に州知事はこの裁判が不当であったとして、禁固刑であった3名の指導者を解放
しています。ヘイマーケット事件は大弾圧・謀略冤罪事件でした。
 アメリカの労働者は、この弾圧に屈したままではいませんでした。アウグスト=ス
パイスの言葉の通り、2年後の1988年、アメリカ労働総同盟(AFL)は189
0年5月1日にふたたび「8時間労働制」を要求してゼネストを行なうことを決めま
した。1889年には、フランス大革命100周年としてパリにマルクス主義者が結
集して第二インターナショナル創立大会が開催されました。そこでAFL会長ゴン
パースは、弾圧事件の経験を踏まえて国際的な支援を求め、AFLのゼネスト実施に
合わせて労働者の国際的連帯としてデモを行うことを要請しました。これが大会で決
議され、1890年5月1日が第1回の国際メーデーとなり、アメリカ、ヨーロッ
パ、中東欧、オーストラリア、ラテンアメリカなど世界各地で数十万の労働者が集会
とデモをくりひろげました。

 まさに「海を隔てつ我らかいな結びゆく」(インターナショナル)が実現したので
す。そして、アウグスト=スパイスが述べた「火花」は山河を越えて東進し、「イスク
ラ」(ロシア語で「火花」ロシア社会民主労働党の機関紙の名)となって、第一次世界
大戦の最中の1917年、人類史上初の社会主義革命を迎えるに至ります。革命ロシ
アでは8時間労働制が布告され、初めて国の法律として確立しました。
 さらに、第1次世界大戦後、戦争への反省と、社会主義を目指す国家が成立すると
いう国際情勢の変化のもとで、1919年のILO(国際労働機関)が設立されまし
た。ILOは「世界の平和及び協調が危うくされるほど大きな社会不安を起こすよう
な不正、困窮及び窮乏を人民にもたらす労働条件を・・・改善することが急務」であ
るとして(憲章前文)、「1日8時間・週48時間」労働制を第1号条約に定め、国
際的労働基準として確立しました。そして、1923年までにほぼヨーロッパ全土で
8時間労働制が確立するに至ります。

 その波は日本にも押し寄せました。1920年5月2日に第1回のメーデー集会が
行われ、およそ1万人の労働者が「八時間労働制の実施」を訴えました。そして、第
2次戦争の惨禍の反省を踏まえて1947年に労働基準法が制定され、8時間労働制
が盛り込まれるに至ったのです。
  このように、8時間労働制は、世界の数多くの先輩たちの命を賭けた闘いで勝ち取
られてきたものであり、まさに「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」(憲法9
7条)なのです。

3 労働法制改悪との対峙

 ところが、今年4月3日、安倍内閣は、高度プロフェッショナル制度の創設、裁量
労働制の拡大などによって「残業代ゼロ」を招く、労働基準法改悪案を閣議決定しまし
た。「時間ではなく成果で」=8時間労働制の実質的解体です。それが何をもたらす
か。すでに教員である公務員は僅かな手当のほか残業代ゼロです。教員は、過重な長
時間労働と管理統制の下、平成22年度で精神疾患による離職者は651人、精神疾
患による休職者は5,421人にのぼっています。教育への夢を抱いた新任教員が
次々と挫折して退職していく事態が後を絶ちません。この教員のような状態が多くの
労働者に拡大され、過労死が激増するのが「残業代ゼロ」法です。
 今こそ、火花を散らし、炎を燃え上がらせましょう。メーデー集会にご参加を!


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