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辺野古の闘いは自信と誇りの宝物〜『戦場ぬ止み』三上智恵監督
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辺野古の闘いは自信と誇りの宝物〜『戦場ぬ止み』三上智恵監督

      林田英明

 アナウンサー歴27年だけに、しゃべりは得意だ。しかも聞き手の胸に届く言葉を持っている。ジャーナリストであり、映画監督の三上智恵さん(51/写真)の講演が11月1日、北九州市小倉北区の商工貿易会館であり、平和への思いを体現する沖縄民衆の最前線の現実に250人の参加者が聴き入った。「辺野古埋め立て土砂搬出反対」北九州連絡協議会など主催。

●全国ネットに乗らない基地問題

 三上さんの名を全国に知らせたのはキネマ旬報文化部門1位のドキュメンタリー映画『標的の村』(2013年)。垂直離着陸輸送機オスプレイの着陸帯建設に反対する沖縄県東村高江の住民の姿を丹念に追った。そして今年の『戦場ぬ止み(いくさばぬとぅどぅみ)』は名護市辺野古沿岸部の埋め立てにあらがう住民の強い意志を映し出す。高江と辺野古は、オスプレイの訓練先と配備先という不可分の関係にある。

 米兵による女児暴行事件が起こった1995年、三上さんは新たに設立された琉球朝日放送(QAB)に移籍。常に基地問題がトップニュースでありながらも、それが全国ネットには乗らない現実にキャスターとして歯がみしていた。九州ネットに乗ることはあっても全国に流れなければ、政治の中枢・東京には届かない。現場では、80代のおばあが工事車両の前に身を投げ出して「私をひき殺してから行きなさい」とタンカを切り、埋め立て予定の大浦湾ではカヌー隊が防衛庁と海上保安庁の大船団に、排除され続けながらも立ち向かう。非暴力のギリギリの抵抗の日々を繰り返している。三上さんは2日前の琉球新報を持参し、1面のブチ抜き横凸版「辺野古本体着工」を見せながら、沖縄戦を生き延びたおばあの行動に心を寄せた。そして警備する側と本土の意識を問う。「警視庁の若い方は沖縄の歴史を知らない。学生の半数は沖縄が占領された事実も知らない」と。

 だから、闘い方には“変化球”も交ぜる。「歌っている人や踊っている人を逮捕するのは難しい」と三上さんは笑う。黄色い線の向こう側へ入ることは日米地位協定に伴う刑事特別法違反とされる。しかし、生活道路を侵食するアスファルトに書かれたその線は、海の制限水域同様、恣意的に移動する。それなら、こちらも縛られない。おじいは、徘徊のように「今日は何か変わったことはありますか」と線を踏み越えていく。辺野古を取材して19年の三上さんは「鋭角でなく、鈍器でグリグリ時間をかけて闘う。頑張らないから折れないんです」と、拳を上げることなく相手の戦意を喪失させていく知恵に感心していた。

 『標的の村』は、当初30分のテレビドキュメンタリーとして2012年につくられた。しかし、それでは限界があり、91分の映画版にして放送法のくびきを解くことで自主上映は600件を超え、2万4000人が足を運ぶ成功を収めた。喜ぶ一方、特攻を扱った百田尚樹氏原作の『永遠の0(ゼロ)』(2013年)は700万人が鑑賞している。日本の右傾化を示しているこの300倍の差に三上さんは「大衆を手玉に取る百田氏は、自分が右ではないと思う人をごっそり持っていく」と苦笑した。

●海兵隊員の肩章は「OKINAWA」

 琉歌は「八八八六」。この沖縄の伝統的詩歌を三上さんは紹介する。

今年 しむ月や(くとぅし しむぢちや)
戦場ぬとどみ (いくさばぬとぅどぅみ)
沖縄ぬ思い  (うちなーぬうむい)
世界に語ら  (しけにかたら)

 意味は「今年の11月にこそ 戦場にとどめを刺して終わらせよう 沖縄の思いを 広く世界に知らせましょう」というもので、キャンプ・シュワブ(名護市と宜野座村)のゲート前のテントに張られている。

 「今年」というのは2014年を指す。11月の知事選で勝利し、平和を望む沖縄の心を世界中に語ろうという一種の檄文だ。連綿と続く差別と苦難を打ち破る悲願であり、坂道を転げ落ちようとする日本を止めるのは沖縄しかないとの自負でもある。空洞化する憲法9条を生き返らせる意欲に満ちたこの琉歌から『戦場ぬ止み』のタイトルは取られた。

 しかし、三上さんは「70年間、日本は戦争しなかったのか?」と疑問をぶつける。「半分はウソ」と断じ、朝鮮戦争から始まる日本の関与を挙げていった。「ベトナム戦争でB52爆撃機を誰か身を投げ出して止めたか。がっつり加担してきた。もしベトナム戦争が終わらなければ、出撃基地の沖縄が標的になっただろう」と言い、2003年に始まったイラク戦争では、キャンプ・シュワブなどから海兵隊が劣化ウラン弾を運び出していた。海兵隊員の肩章は「OKINAWA」と記されており、武装勢力に一時人質となった高遠菜穂子さんによれば、ファルージャの惨劇を知る親日派のイラク人は「なぜ日本の沖縄から」と憎悪の感情をあらわにするという。当然だろう。沖縄での反戦運動を高遠さんが紹介しても免罪符にはならず、イラク人を混乱させるだけだった。10万人以上殺されたといわれる民間人の一人一人の命に対する日本人の責任をどこまで感じ取ることができるだろうか。三上さんは「『OKINAWA』でなく『JAPAN』と書いてほしい。恨まれてしかたない。これからも恨まれる」と悲しみをあらわにしつつ、「武力の限界を悟って戦後再出発した日本は外交を使って恨まれない国になるしかない」と続け、安保法制で逆行する日本の針路を変えさせるには歴史を学び、若い人にそれを伝えていくことが重要だと語った。

 共闘の方法は一つではない。現地に来てゲート前で工事車両の進入を止める行動に参加してくれるのもありがたい。しかし、辺野古を埋め立てる2062万立方メートルの土砂の3分の1が北九州・門司から運び出されることを知ったなら、それを止めるのも大きな共闘だ。この集会の主催団体名は「辺野古埋め立て土砂搬出反対」と銘打たれている。サンゴ礁の再生率が高い大浦湾は世界の生物多様性のホットスポットであり、普天間飛行場(宜野湾市)の代替施設と論理をすり替えて強襲揚陸艦の入る軍事基地を造る日米政府の構想を砕くには土砂を搬送させなければいい。採取予定地の西日本を中心に全国で連帯して広がる搬出反対運動に三上さんは感謝と希望の言葉を述べた。そして、ぽつりと漏らした次の言葉も忘れがたい。
「青い山を削って、青い海を埋め立てると、コンクリート色になる」

●日本で息吹き返す「戦争」問う

 すでに沖縄は中国のミサイルの圏内に入っている。米国は自国の利益しか考えておらず、経済的に結びつきの強い中国と全面戦争をする気はない。日中で制限戦争が起これば、米国に影響のない所で周辺国に中国包囲網を築いてもらう。そうすると、自衛隊基地が配備される宮古島や石垣を含む沖縄が攻撃の対象となり、九州にも飛び火する。三上さんはそう説明して、2014年から実施されている陸上自衛隊の離島奪還訓練の広報映像について「一瞬カッコいいが、舞台が南西諸島になっているので気を失いそうになった」と声を高めた。コンピューターグラフィックスも使い、硝煙や爆音はバックミュージックに取って代えられ、血の臭いが隠されたそれは、戦争の実態から懸け離れていると感じたのだろう。さらには70年前の沖縄戦の悲劇がよみがえったのかもしれない。

 2011年8月には石破茂・自民党衆院議員(当時政調会長)が「ゆくゆくは沖縄の人に海兵隊を組織してもらいたい」と琉球新報に述べている。大問題だが、中央メディアでは取り上げられなかった。先日、宜野湾市と沖縄市が18〜27歳未満の自衛官適齢者の名簿2万4000人分を自衛隊沖縄地方協力本部に提出していたことが分かった事案にも三上さんは憤りを隠さない。米軍の下部組織として自衛隊を組み込む沖縄の戦時体制は着々と進められている。

 三上さんは『戦場ぬ止み』に寄せてこう語っている。「この映画は、沖縄の負担を減らして欲しいなどという生やさしいものを描いてはいません。知事を先頭に、国と全面対決してでも沖縄が止めたいものは、日本という国で息を吹き返そうとしている『戦争』そのものです」。だから、局面局面では常に権力に押し切られ、敗北しているかに見えても引き下がれない。「島ぐるみ闘争」の地鳴りは、怒りを時に笑いに変え、本土を突き刺していく。だからこそ、知事選を含め島ぐるみで闘った日々が決して無に帰すことはない。「10年後、30年後、この闘いは彼らの自信と誇りの記録、宝物になる。絶望して『標的の村』を撮り、希望として『戦場ぬ止み』を撮った」と話す姿に、戦場を生き抜いたおじい、おばあたちの不屈の精神が宿っていた。断片的な情報を切り取って「沖縄は左翼に乗っ取られている」と的外れな“反日”批判を投げつける者たちには、ウチナーンチュが守ろうとするのが先祖の土地であり、子孫の生活であり、島の未来であることなど理解できない。国家によって殺された身内を持ち、例えば泣いている赤ん坊を置き去りにした「見殺し経験」にさいなまれる感情の一部も想像できない。昨年フリーになった三上さんは、これからも「戦場」に通い、現場の思いを発信していく。


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