米軍基地は本土に「引き取れ」〜当事者意識を求める高橋哲哉教授 | |||||||
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米軍基地は本土に「引き取れ」〜当事者意識を求める高橋哲哉教授林田英明刺激的な新著がさまざまな波紋を呼んでいる。東京大学大学院教授、高橋哲哉さん(59/写真)の『沖縄の米軍基地―「県外移設」を考える』がそれだ。7月30日、福岡市で開かれた第9回「沖縄を語る会」主催の集いで高橋さんは30人を前に持論を述べ、熱い質疑が交わされた。 日本国土の0.6%しかない沖縄に米軍専用施設が74%も集中する異常。台頭する中国を警戒して基地の固定化が本土の日本人には「常識」となっているのだろうか。米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設先として名護市辺野古の沿岸部が埋め立てられようとし、翁長雄志知事がその承認を取り消す方針を固めて国と対峙している今、問われているのは本土の側のようだ。米軍基地の県外移設を口にした首相は2000年代の小泉純一郎氏と鳩山由紀夫氏。しかし、いずれも頓挫した。受け入れる自治体が現れなかったからだが、「なぜ県外移設なのか」という論理がなかったために国民やメディアにも訴求できなかった。 ●沖縄に基地偏在の矛盾 戦後70年。高橋さんは日本帝国主義が崩壊して平和を選択してきた国民が、憲法9条を核に思想形成してきた歴史を重視した。高橋さん自身も「9条は守っていくべきだ」と公言する。しかし、憲法と同時に日米安保条約があり、基地が沖縄に偏在する矛盾に直面して違和感が大きくなってきた。1947年9月の「天皇メッセージ」は、沖縄の軍事占領を50年以上継続するよう米国に希望したもので、それが日本の防衛と米国の利益につながると昭和天皇は考えていたようだ。再軍備も当面できない中で日本をどう守り、誰に頼ればよいか、どうやって天皇制国家を維持するかの帰結だったのだろう。日本国憲法がすでに施行されている時期に政治的権能を持たないはずの天皇がメッセージを発することもさることながら、高橋さんは「日本の在り方を恐ろしいほど象徴している」と述べ、この思想が国民の多数派として今に通じているとする。 つまり、平和憲法が成り立つためには米軍基地の沖縄集中がセットであった。そう理解すると、憲法9条がノーベル平和賞を受賞したとしても高橋さんは素直に喜べない。水俣も福島も沖縄も、誰かを犠牲にしつつ責任を無化することによって一部の者の経済的利益が図られてきた。あるいは戦争も。そうした「犠牲のシステム」を目の当たりにして、県外移設を本土の側こそ引き受ける必要性を感じている。 「戦後も沖縄は、日本政府ならびにそれを支える日本の有権者にとって軍事植民地のような存在だった」と高橋さんは構造的差別を明示する。多くの日本人は沖縄が好きで、差別しているとも思ってはいない。しかし、高橋さん自身も含め、日本人の一人として現在の政権が成り立っていると自覚した時、沖縄に米軍基地の多数を押しつけてきている現実は否定しがたい。それを解消するための県外移設であり、具体的には「基地引き取り」である。勘違いしてほしくないのは「誘致」や「招致」ではないということ。反基地運動に携わってきた人たちから強い反発を受けたが、安保体制の下では本来すべて本土に基地があるべきものだと高橋さんが断言するのは、安保条約を締結、改定したのは日本政府であって、米国の施政権下にあった沖縄県民ではないからだ。「安保条約そのものが沖縄には押しつけられたもの。沖縄返還時に安保条約の下に置かれざるをえなかった。沖縄の人は一度もこれを選んでいない」と高橋さんは静かな口調で沖縄のジレンマと怒りを表現する。選択したのは、時の日本政府の代表者であり、それを支持した本土の日本国民であった。 ●安保支持者9割近くに 内閣府の3年ごとの調査によれば、安保賛成率は当初の6割から増え続け、2010年代に入ると8割を超えている。「日本の平和と繁栄に役立ってきたか」「今後も安保条約を維持すべきか」という問いにも、それぞれ8割以上が賛成する。一方、安倍晋三政権になって護憲派が増えているとの直近の世論調査にも注意深い分析を高橋さんは求める。「今の日米同盟関係のままで良い」66%に「今よりも強化」20%を合わせると実に86%が現状を肯定している。「同盟関係を解消すべきだ」はわずか2%しかいない。ここ数年、安保廃棄派は1割程度だと思っていた高橋さんにも驚きの結果だった。 社会党や共産党を中心とした革新勢力が、安保を廃棄し米軍基地を日本から撤去することで沖縄の基地もなくすことができると運動してきた半世紀を超える歴史は何だったのか。安保支持者は減るどころか増えていき、9割近くになろうとしている現実。さらに、こういう質問があった。「あなたは沖縄に米軍基地が必要だと思いますか」。「大いに必要だ」17%、「ある程度必要だ」57%。合わせると4分の3が沖縄に米軍基地が必要だとしている。辺野古の沖縄県内移設についてはどうだろう。今年5〜6月の調査である。「政府の方針通り移設を進めるべきだ」は35%もいる。「工事を中止し、沖縄とよく話し合うべきだ」が48%あるが、これは辺野古移設に反対しているとは限らない。「丁寧に話し合って進めるべきだ」という層はかなりあると高橋さんは踏んでいる。「県内移設はやめるべきだ」は15%しかいない。しばらくの沈黙。高橋さんのため息を感じる。そして、こう結ぶ。「護憲と安保支持、沖縄への基地存置が矛盾なく鼎立している。ここに根本的な問題がある」 沖縄には戦後一貫して反基地運動がある。県民の4人に1人が亡くなるという忘れがたい地上戦を経験し、その後も米軍が居座り、基地が拡張された。鳩山政権時、琉球新報と毎日新聞の合同世論調査では沖縄における安保支持率は7%しかない。本土の意識とは、かけ離れている。しかし、人口は全体の1%でしかない沖縄の意思は顧みられてこなかった。 ●負担とリスク負う必然 高橋さんの語気が少し強くなる。「もし安保を支持し米軍基地を日本に置くことが必要だと考えるなら、負担とリスクを自ら負うのが当然ではないか」。本土から遠く離れて基地が見えない本土の人間の無責任を突く。そして歴史的に見れば、沖縄の基地は本土から移ったものが多数を占めている。岐阜県と山梨県に駐留していた米海兵隊司令部は反基地闘争の高まりを受け、反米感情を抑えるために1956年、米軍支配下にあった沖縄に移された。その際、「隔離」という言葉が使われ、多くの日本人に見えないよう施して安保を維持してきたという。沖縄返還から4年後の1976年にも、岩国基地(山口県)から沖縄に海兵隊が移っている。沖縄に基地が集中するのは、軍事的また地政学的理由ではない。政治的理由が主なのだ。問題は、むしろ日本の内側にあった。沖縄から米軍が撤退や大幅な縮小を検討していた1995年の少女暴行事件の時には、日本政府が自ら引き止めたと当時のモンデール米駐日大使が2004年のインタビューで答えている事実を高橋さんは挙げる。民主党・野田佳彦政権の時には、在日米軍再編の見直しで沖縄から海兵隊1500人を岩国基地に移駐する打診を拒否している。 高橋さんは、こういう経緯を踏まえて沖縄の米軍基地は本土が引き取るべきだと主張しているのだ。安保支持率の上昇が沖縄の基地負担率と比例する点にも触れて本土側の“覚醒”を求める。本土と沖縄の米軍基地の割合は、サンフランシスコ講和条約締結の1951年時、9対1。これだけでも沖縄には重いように映るが、1972年時には1対1になった。異常な偏りだろう。それが現在、1対3と逆転している。沖縄に基地を「隔離」して安保条約を支持しやすくする日米両政府の狙いが奏功したともいえる。 では、高橋さんは基地そのものに対してどういうスタンスなのか。辺野古移設や本土での新基地建設には断固反対だという。憲法9条を維持し、安保条約を解消したいと思っている。しかし、すぐには解消できない。9割近い安保賛成者を説得しなければいけないからだ。それには民意を変えていく努力を必要とする。将来構想としての日本の安全保障を高橋さんは次の通りに考える。「対米従属や依存ではなく、自立して東アジアの中で難しくとも中韓との戦争責任を含む歴史問題をクリアして、互いに信頼できる関係をつくりたい。周辺諸国と対立・敵対しているようでは安全・平和とはいえない」。本土移設が、安保解消の一つのきっかけになるかもしれないと語る。「安保を支持する人たちに負担とリスクを引き受けてもらう。さもなくば安保をやめるべきだ」。会場を見渡しながら、そう突きつける高橋さんだった。 ●反対派の「甘え」を問う 今回の本に対しての異論はさまざまある。長年、反基地や反戦平和運動に携わってきた人たちから「日米安保を認めるのか」「高橋は転向したのか」とも誤解された。「軍事基地はどこにあっても危険であり、沖縄から本土に持って来ても日米安保は変わらない」との肌感覚。「ベトナム戦争やイラク戦争を見ても、安保体制は第三世界にとって加害国になるのに容認するのか」との反発が強いという。それに対し高橋さんは、1割あるいは2%の少数派に対し「安保解消・廃棄の運動は本土で勝負すべきだ」と反論する。 確かに、8割以上の安保賛成派を説得できなければ安保廃棄など不可能だ。「これまでの運動はそこをおろそかにしてきた」と強調し、共産党ですら選挙戦術とはいえ「安保廃棄」ではなく「護憲平和」を連呼するように本土の有権者の生活保守意識は段々と強くなっている。安保賛成派がリスクを押しつけながら見ないふりをして沖縄に甘えてきたように、実は反対派も沖縄に甘えてこなかったかと高橋さんは問う。何万人もの県民集会が持たれる沖縄の運動に連帯して反安保を叫ぶ構造に疑問を呈するのだ。連帯は、もちろんいい。だがそれは、本土で闘うことを放棄しての逃避では口先だけの連帯になる、との厳しい視点である。「話す場所によっては猛反発を受けるところです」と苦笑いしながら高橋さんは慎重に言葉を選んだ。 福島県人の高橋さんは沖縄に詳しいというわけではない。沖縄の人の気持ちを十分に分かっているとは断定しない。しかし、新著は「大きく間違ってはいないと思う」と控えめながら自信を見せる。名前通り、哲学者として論理を探求した帰結だからだ。 沖縄からは、遠慮もあって「基地を本土に持っていけ」とは言い出しにくい。高橋さんは、本土の日本人が10倍の人口を持つ中国に脅威を感じているとしたら、沖縄にとってみれば100倍の人口を持つ本土の日本人こそ恐ろしいとも話す。本土の側は、その権力性を自覚していないのかもしれない。 ●犠牲でなく責任として 一方、大阪の市民団体から基地「引き取り」の運動が起こってきたことも紹介された。辺野古移設に反対してきた人たちによる、まだ小さな芽だが、高橋さんの願う当事者意識の発露はメディアにも取り上げられ、今後の拡大が注目される。高橋さんも、具体的に本土のどこに引き取ればよいかは記していない。「まず本土で論議してほしい。既存の施設を使い、民主的にできるだけ多くの方に納得できる形で」と願う。「犠牲のシステム」を移すのではない。繰り返すが、安保も基地も望まないのに沖縄に押しつけ、本土は「平和」を享受してきた。引き取るのは「責任」であって「犠牲」ではないと高橋さんは質疑でも強調した。 基地を引き取った際の性暴力を危惧する声や、安保は「何となく」支持している人が多いのではないかとの意見も出た。それぞれ一理はあるものの、沖縄にリスクを押しつけたままの現状肯定と表裏の関係にあるし、現実を見ようとしない支持は野村浩也さんの「無意識の植民地主義」者ということになる気が私にはした。 「正義」という概念にも悩む。「反戦平和」という大きな正義の前に「県外移設」という小さな正義はタブー視され、つぶされてきたと高橋さんは感じる。日本の言論空間も「正義」という言葉が出ると泥沼と化した。かつて天皇が正義であった時代もある。しかし、それでもこの基地の問題は「正義」に反すると考える高橋さんは、基地「引き取り」の提起が8割以上の安保支持者の心を揺り動かす効果があると思っている。 Created by staff01. Last modified on 2015-08-17 23:42:34 Copyright: Default |