レイバーネット川柳班 : 館山の戦跡めぐり「反戦」の気持ち新たに | |||||||
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敗戦七十年戦争遺跡なお語るレイバーネット川柳班の合宿報告「千葉県館山・戦跡巡りと吟行」(笠原眞弓)川柳班では、いつも慌ただしい例会句会をゆったりとした気分でしたいし、勉強会もしたいと宿泊合宿を企画し、7月の4日、5日の2日間、千葉県館山へ行った。総勢9名だった。 【1日目 震洋基地見学と例会句会】 館山駅に集合して、宿へ直行。荷物をおいてから、安房文化遺産フォーラム(次の日の戦跡巡りの案内をお願いしている)の方に見ておくように言わ れた波左間漁港の特攻艇震洋の発進路である「滑り」と、震洋の格納庫や兵隊の居住用、物資の倉庫として使われていた複数の崩れた壕を見に行く。 「滑り」(写真下)はちょうど干潮だったので、全体の姿を見ることが出来たが、宿の裏にあるという壕は草に覆われて発見できなかった。この震洋は、実戦に使うことなく敗戦になったそうだ。ベニヤ製なのは、物資不足という説もあるが、レ―ダーに映らないようにという説もある。 【夜の勉強会】 2時過ぎから例会句会をする。その報告は、別にあげる予定。 鶴彬や昨年秋に訪ねたかほく市の「鶴彬を顕彰する会」の活動の素晴らしさ、鶴彬と重なる小林多喜二のこと、井上剣花坊、信子夫妻、渡辺尺蠖らとのつながり、彼らの川柳界に果たした役割と話は広がっていった。6月句会にあった 「渡良瀬を振り返り見る浜通り(笑い茸)」からの連想もあってか、田中正造にまで話が行き、幸徳秋水が田中正造を「人心を味方につけて、自分ができなかったことを3日でやり遂げた」と羨んだ話まで聞けた。 私はイミのない言葉を挟むばかりで、みなさんの深さにただ学ぶばかりだった。そんな話を聞きながら、今の私たちの状況を考えていて、 「枯れ芝よ団結をして春を待つ」 (1936年・27歳) という、昨年訪ねたかほく市にあった鶴彬の句を思い出したが、いまの私の心情としては、金沢市の卯辰山にあった同じく鶴彬の句、 「暁を抱いて闇にいる蕾」(1936年・27歳) の句の方が、励まされるとなんの脈絡もなく思った。 【2日目 「平和の文化」学習と吟行】 朝起きれば、窓の外の海は雨に鈍色。約束の9時に安房文化遺産フォーラム(以下フォーラム)の方と落ち合い、まずただ一つ残っている戦闘機用掩体壕(えんたいごう)と呼ばれる格納庫へ(写真下)。 足元が悪く、そばまで行けなかったのが残念。河岸段丘を上手に使い、格納する戦闘機(零戦)に合わせて作った壕の天井の コンクリートの厚さは、2mはありそう。近くの住民や学生、兵士で作ったとか。 その近くの赤山壕へ行く。以前に一度来たが、強列な印象を残し、またぜひ訪ねたいと思っていた。ここの壕の特徴は松代大本営など他の壕と違い、鶴嘴による素掘りであること。「凝灰岩質砂岩」という柔らかい岩石なので、それが可能なのだという。地層の縞模様の美しさや断層は、房総半島成り立ちの歴史を物語、今でも地震のたびに隆起していることなどもわかるという。高い天井部分もあり、1年中快適であろうと思われる。病院機能をもち、食料庫跡、遠距離無線基地。酒保跡もあるし、2段ベッドの寝室だったところも。そして、御真影の部屋(写真下)もある。 戦後、ここには鯉を飼育したり、きのこの菌の培養をしていた人が住み着いていたこともあるという。私たちの見られるのは、ほんの一部だが、それでも広い。 【平和の文化】 その後は、フォーラムの方による座学があった。これまで見た遺跡の他、館山始め房総について紐解かれた。最初に言われたことが、「平和の文化」 ということ。ユネスコによって提唱され、国連によって平和の文化国際年が定められた(2001年からの10年間)「平和の文化」とは、人間も動物も含めたあらゆるいのちを傷つけたり奪ったりしない。そのために争いや対立を暴力によってではなく、対話によって解決していく、そのような行動や生き方のことだ と、フォーラムの方は話はじめる。そして、いかに館山始め、房総の海の人たちが、外から(海から)来るものを拒まず受け入れてきたかを話された。 関東大震災の時、朝鮮人の虐殺が広範囲で行われた。ところが館山では、時の郡長が「朝鮮人を恐れるのは房州人の恥辱であるとして、もし郡内に朝鮮人がいるなら、恐怖しているだろうから、保護するように」と掲示をしたため、結果この地では一人の犠牲者も出さなかったという。 そこには、文化は人と一緒に来るのだという考えもあったかもしない。海難事故はお互い様という思いもあったかもしない。朝鮮や中国などの難破船の乗組員を助け、あるいは彼の国で助けられ、食べ物、着衣を与え、船を仕立てて帰した歴史があちこちの碑に刻まれているという。その文化の掘り起こしに高校生などが授業の中で取り組んだり、ウガンダとの高校生による交流が続いているそうだ。これこそ、「平和」教育でなくて、なんであろう。 うかがった話は、65ページの冊子1冊分を超えていて、そのすべてをここに記すことはできない。今回は、時間がなくて割愛された「かにた婦人の村」は、赤線廃止後に行き場のなくなった女性たちの終の棲家として、超法規的に開設されたところ。そこにはかつて戦争で傷ついた人もいたという。そして、その女性たちの苦しみを後世に伝える「噫(ああ)従軍慰安婦」と刻まれた鎮魂碑があるという。次回にはそ こにも行きたいと思いつつ、戦跡ツアーが終わった。 【吟行】 その後、今日見たり聞いたりしたことを川柳にする吟行を行いました。今回は句会のように選句することをせず、自分で吐いた2、3句の中から、自分で1句を選ぶという勉強として行った。その時の句を、読み上げた順番に下に記す。
Created by staff01. Last modified on 2015-07-07 19:09:39 Copyright: Default |