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木下昌明の映画批評 : インドネシアの大虐殺を描いた『ルック・オブ・サイレンス』
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●ジョシュア・オッペンハイマー監督『ルック・オブ・サイレンス』

殺人者を問い詰める大虐殺遺族〜時を超え人間社会の「闇」を抉る


 (C)Final Cut for Real Aps, Anonymous, Piraya Film AS, and Making Movies Oy 2014

 こんなに緊迫した映画は珍しい。それはかつての大量虐殺の被害者家族が、殺人行為に及んだ一人一人と対面しながら「なぜ兄を殺したのか」と追及しているからだ。

 米国のジョシュア・オッペンハイマー監督の『ルック・オブ・サイレンス』は次のような字幕から始まる。

 「1965年、インドネシア政府は軍に権力を奪われた。軍の独裁に逆らう者は、すべて共産主義者として告発された。わずか一年弱で百万人以上が殺された。今でもその加害者たちは国中で権力を握っている」と。

 実はこの映画、昨年日本で公開された『アクト・オブ・キリング』と対をなす作品。

 監督は最初、アブラヤシの大農場で働く人々の悲惨な実態を取材するためにインドネシアを訪れたが、その背景に隠蔽された大虐殺の歴史があることを知る。前作では、殺人を「国家のための善行」として自慢する加害者の側に密着し、正当化する彼らの姿を描いた。しかし今作では、当時生まれていなかった弟が、兄の殺害事件を被害者の側から追及する様子を介して加害者の傲慢と愚かさ、沈黙を強いられた被害者の悲しみと怒りを浮かび上がらせている。

 同時に本作では、ウソで固め、恐怖によって築いた社会の仕組みをもあぶりだす。

 舞台は、北スマトラのウラル川流域の農村。老父母と妻子を抱えた眼鏡技師、アディ(44歳)が中心人物。彼は当時の加害者宅を訪れ、事件について静かに尋ねる。初めは自慢していた老人たちも、その執拗さに気色ばんで怒りだす。

 当時の殺人部隊のリーダーに、アディは言いよどみつつも「僕の兄は殺された。あなたが命令したからだ」と問い詰める。リーダーは「国軍と一体だった。私にも上官がいた」と睨みつける。2人の息づまるような対話に、見ている方がハラハラする。

 時代を超え、人間社会の闇を抉る傑作だ。

(『サンデー毎日』2015年7月12日号)

*7月4日より、東京・渋谷シアター・イメージフォーラム他全国順次公開

〔追記〕殺人部隊のリーダーが「アメリカのために共産主義者を殺した」のだから「アメリカ旅行」などのほうびをくれてもいいだろう、とうそぶくシーンがある。彼らの背後には、陸軍参謀総長(のちに大統領)のスハルトが率いる国軍がいた。その国軍を動かしたのは米国のCIAだった。そのことは、NHKが放映した『オリバー・ストーンの語るもうひとつのアメリカ』でも明らかにされている。理由は、当時(1960年代)のスカルノ大統領が、米国と敵対する北ベトナムを承認し、米国資本のゴム農園を接収し、さらに米国の石油会社を国有化しようとしたこと――これにジョンソン米大統領が怒ったためだという。大虐殺の背後には、冷戦下での米国の介入があったのである。


Created by staff01. Last modified on 2015-07-03 20:10:51 Copyright: Default

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