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勝訴したサウンドデモ裁判〜原告の報告「福岡サウンドデモ裁判〜表現の自由をめぐって」
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勝訴したサウンドデモ裁判
〜原告の報告「福岡サウンドデモ裁判 表現の自由をめぐって」

筒井(福岡地区合同労組)です。 私たちが闘っていたサウンドデモ裁判が1月14日勝ちました。 以下、原告の一人いのうえしんぢ君の報告を紹介します。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「福岡サウンドデモ裁判〜表現の自由をめぐって〜」 原告 いのうえしんぢ

 誰かを殺したくも、殺されたくもない。

 しかし、2011年3月11日に、そんな生死が原発事故によって左右されること。僕たちが 日々使っている電気が、誰かの命を縮める被ばく労働によって支えられていること。人類 には手の負えない核のゴミが永遠に残るということなどが、フクシマから世界中に知らさ れました。

 そんな原発を止めたいというメッセージを路上から届けるため、2011年5月8日へ脱原発 サウンドデモを企画しました。このサウンドデモを具体的に説明すると、トラック2台に 音響機材と発電機などを積み、選曲や音質を操作するDJが乗り込むというスタイルでした 。そのために、車道でのデモ行進に必要な「道路使用許可申請」では添付書類も一緒に届 け出ました。しかし、デモ当日、福岡県中央警察署交通課の警官から「DJを荷台に載せて 、このトラックは走らせることは出来ない」「スピーカーの積み方が駄目だから発車させ られない」と出発地点の警固公園で止められたのです。僕自身が描いた、DJや音響機材を 荷台へ乗せた荷台説明図を尋ねると「そんなものはない」と機動隊に阻まれ、そのままの 状態ではトラックは1mmも動せなのです。警官とメンバーが口論している間に、DJが機転をきかせ縦積みのスピーカ ーを平積みに変え、機材を抱えてトラックと並走(タイヤへの巻き込みや隣車線からの危 険性)するという事で、やっとサウンドカーを動かすことが出来たのです。

 後日、中央署へ抗議に行き、窓口業務の警官へ「指示されて描いたじゃないか」と問い つめると「捨てた」という発言…。そんな不誠実な対応に納得できず、審査請求という形 で中央警察署(福岡県公安委員会)へ異議申し立てをしました。すると、回答は「道路使 用許可の時間と共に請求権がなくなったので却下」つまり、デモ自体が既に終わった事な ので却下という答えでした。そして、とうとう裁判という手段をとったのが、この「福岡 サウンドデモ裁判」です。このデモでは、公務執行妨害などで誰も逮捕されてはなく、こ ちら側から撃って出る裁判に加えて、弁護士なしの本人訴訟でした。なぜ本人訴訟なのか と言えば、正直に告白すれば、シンプルにお金の問題でした。5/8デモの後、6月にも次の デモを準備していた僕は「金がかからなければ、まぁいっか」程度の軽い判断で、裁判をすすめる事になった のも事実で、訴訟の大変さを3年半かけて知る事になります。  この事件に関係ある3人の警官を法廷へ呼ぶ、証人尋問が行われました。1人は、サウン ドカーを妨害した交通課管理官T氏、デモ準備は交通課でのやりとりなのにいつも介入し てきて「自然放射能で日々被ばくしているはずだ」など差別的発言をした公安警察W氏。 そして、荷台説明図を捨てた窓口業務警官のN氏。本人訴訟なので、僕ら原告が弁護士役 です。その中で、窓口業務警官のN氏は、博多どんたくや優勝パレードなどの祭礼行事な どの特別な場合にだけ可能なもの、それが荷台乗車だと勘違いしていて、職務上やらねば いけない注意義務をやっていない事実がはっきりしました。そして、荷台説明図の破棄が 、被告達も後から重大なことだと感じた証拠に、デモのすぐ後にN氏へ2度も再現図を描か せていたことも、これら証人尋問のなかでわかりました。    16回の口頭弁論を終えて、2015年1月14日、福岡地方裁判所は僕たち原告の訴えを認め 、被告(福岡県中央警察署=福岡県)へ損害賠償を命じました。判決要旨(長い判決文を まとめたもの)から部分的に抜き書きします。 「警察官の誤教示及び同人による文書の破棄が、サウンドデモを行うための期待権を侵害 したとの限度で理由がある。いかなる態様でのデモ行進を行うかは、それが社会通念上相 当性を欠く態様のものでない限り、表現の自由の範疇に属するものとして法的な保護をに 値するというべきであるから、たとえデモ行進の実施自体が妨げられたわけではないとし ても、上記のような期待権の侵害により、無形の損害が生じているというべきである」 「期待権を侵害した」って、画期的な判決内容じゃないでしょうか?  このデモを企画したのは、一定の団体ではなく、個人の集まりです。それは「生まれて 初めてデモに参加した」という人だったり、ミュージシャンだったり、そして原発震災に よって福岡に流れ着いた避難者たちでした。そんなデモ初心者たちが、デモをやるために 中央署に行ったのに、デモコースやサウンドカーの台数にも文句をつけられ、つまり門前 払いで帰ってきたのを聞いて「それはおかしい」とデモ申請の経験があった僕と他のメン バーも、そして労組の先輩も一緒に、再度道路使用申請に行ったのです。そんな経緯で、 道路使用申請に記載した申請者名が「福岡地区合同労組」になりました。

 国家賠償請求訴訟とは、お金という形で被害を訴えて、裁判所がその金額を決めますね 。今回の判決では、僕たち原告27人が請求した全員の満額でないのが残念ではありますが …道路使用申請に記載した申請者としての福岡地区合同労組に(請求満額の)1万円の損害 賠償が認められました。お金の金額としては大変小さなものですが、司法が街頭行動に対 する警察の弾圧を認めた、という意味は大きいでしょう。  人は誰かから殺されなくても、いつか死にます。生まれた瞬間から死に向かっていくの でしょう。でも、その与えられた命のなかで「何かを残したい」という欲求は、DNAとい う、らせん階段の中に刻まれているはずです。その証拠に、自分の生き様を、文字や絵や 音楽、演劇、ダンスなど様々な表現方法に、そして子孫を残すことに喜びを感じるのです 。だからこそ、伝えることを国家権力や誰かに邪魔されることだけは、僕は嫌なのです。 それは生きることを否定されること。そう感じるのです。

Created by staff01. Last modified on 2015-02-20 20:53:15 Copyright: Default

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