木下昌明の映画批評『三里塚に生きる』〜農民たちの反対運動の証言録 | |||||||
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●大津幸四郎・代島治彦共同監督『三里塚に生きる』 農民たちの反対運動の証言録〜闘争半世紀「三里塚に生きる」あの“三里塚闘争”とは何だったのか――を考えさせるドキュメンタリー『三里塚に生きる』が完成した。 1970年前後、地方で大きな闘いが二つあった。一つはチッソ水俣工場の水銀タレ流しで、「水俣病」にかかった漁民の闘い。もう一つが成田空港新設にあたり、三里塚一帯の土地を強制収用した政府に抵抗する農民の闘い。 この二つの闘いを知ったのが、小川紳介監督『日本解放戦線 三里塚の夏』(68年)と土本典昭監督『水俣―患者さんとその世界』(71年)の2本のドキュメンタリー映画だった。小川と土本は農民や漁民の暮らしに寄り添い、映画を撮り続けた。2人は戦後日本のドキュメンタリーの地平を切り拓いた映画作家としてよく知られてる。 実は、両方の映画のカメラマンとして活躍したのが『三里塚に生きる』で撮影・監督にあたった大津幸四郎なのだ。彼のしなやかに対象に迫っていく陰影のある映像には、いつも圧倒される。 本作ではもう一人、映画プロデューサーなどを務めた代島治彦が、編集・監督として協同作業している。 映画は、団結小屋で独りで踏ん張っている住人をはじめ、かつて青年・婦人行動隊で活動した農民の一人一人にインタビューし、当時の映像もふんだんに取り入れて、あの時代の闘いを蘇らせ、今に問うている。今見ても、竹槍の学生と盾で応戦する機動隊のせめぎ合いは凄まじい限りだ。 そのなかで二つのエピソードが印象に残った。一つは、青年行動隊のリーダーの自殺。一人息子の死を語る老母の表情が忘れ難い。もう一つは、貧農のおばあさんが強制執行で家を取り壊され、土地を奪われ、本人まで機動隊に抱えられていく――撮影も命がけだったろう。 そのおばあさんの養子となった元活動家の青年も今は老いて、発着する旅客機に背を向け、黙々と農作業に励んでいる。そこから無言の抵抗が読み取れた。(『サンデー毎日』2014年11月30日号) *11月22日より東京・渋谷ユーロスペース。以下全国順次公開。 〔追記〕『サンデー毎日』では紙幅の都合もあり書かなかったが、この闘いの過程で機動隊員3名が殺され、20数名が重傷を負っている事件が起きている。その3名の死をこの映画で知って驚いたが、事件当時(1971年9月)のわたしも、新聞やテレビなどで知って驚いているはずだ。しかし、すっかり忘れてしまっていた。この事件に対して当時の反対派の人々がどう考えていたのだろうか、いまはどう考えているのだろうか。一口で語られる内容ではないが、わたしはこれは運動の負の側面だと思うし、きちんと当時の問題点をとらえかえしてほしい気がした。 Created by staff01. Last modified on 2014-11-21 11:03:23 Copyright: Default |