『ぼくは満員電車で原爆を浴びた〜11歳の少年が生きぬいたヒロシマ』出版 | |||||||
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米澤鐡志さんは、広島に原爆が投下されたとき小学校の5年生だった。爆心地から750メートルの地で被爆、いわゆる激しい原爆症に苦しんだ。また、祖母や叔母を一瞬のうちに失い、まもなく母と小さな妹を奪われた。 そんな米澤さんの著書『ぼくは満員電車で原爆を浴びた』は、11歳の少年が体験した被爆の一日だ。これまで私たちは原爆の威力やその悲惨さについては十分に知っているつもりだったが、それはあくまでも断片的なものでしかなかった。米澤さんの体験によって、その瞬間からその後の悲惨、地獄絵が線となってつながっていく。1945年8月6日、広島に原爆が落とされました。米澤鐡志さんは、母親と一緒に電車に乗っていて、11歳で被爆。爆心地付近で被爆した人たちは、その後ほとんど亡くなってしまったのですが、米澤さんは生き残った数少ない人のひとりです。この本は、当時の米澤少年の視点で、地獄のようだった当日のようすや、その後、米澤少年の身に起こったこと、感じたことがつづられます。 「ぼくは歴史の専門家ではない」からという理由で、これまで体験を本にすることはなかった米澤さんだが、専門家ではないからこそ、11歳の目と心に焼きついた、あってはならない原爆の真実が伝わってくる。被爆体験を持つ人々が年々いなくなっていく現在、米澤さんは語り継ぎ、私たちは聞いていかなければならない。そうでなければ、戦争も、原爆もなかったことにされそうな気がするから。 「被爆したことは、思い出になることは絶対にない、苦しい記憶です。だからこそ、語り続け、本にして残していくのです」(あとがきより)。小学4年生以上で習う漢字にはふりがなをつけました。この夏、原爆についてお子さまと考えるときに最適の1冊です。 (編者 由井りょう子) 京都大学原子炉実験所 小出裕章さんの推薦文「どんなにつらい記憶でも、知らないよりは知ったほうがいいと私は思います。本書は読むのも苦しい内容ですが、きっと未来のための知恵を与えてくれるでしょう」(「はじめに」より)。
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