【書評】石田博文著『水俣病と労働者−チッソ水俣の労働者は水俣病とどう向きあったのか』(自主出版)2013年1968年8月30日、合化労連新日窒労組第31回定期大会において、「何もしてこなかったことを恥とし水俣病と斗う!」と題する大会決議が採択された。それは、「斗いとは何かを身体で知った私たちが、今まで水俣病と斗いえなかったことは、正に人間として、労働者として恥しいことであり、心から反省しなければならない。会社の労働者に対する仕うちは、水俣病に対する仕うちそのものであり、水俣病に対する斗いは同時に私たちの斗いなのである」と言い切った。後に「恥宣言」として有名になる、この歴史的文書を大会で読み上げ提案したのが石田博文氏であり、その組合時代の自伝的記録が本書『水俣病と労働者』である。まず、著者自身による「水俣病への労働組合の対応」略年表を引用しよう。水俣病公式確認(1956年)→労働組合・操業停止反対決議(1959年)→安定賃金反対闘争・ロックアウト・組合分裂(1962年)→スト終結・組合差別はじまる・人員整理攻撃(1963年)→水俣病「恥宣言」(1968年)→水俣病スト(1970年)→水俣病裁判・労働者証言(1972年)→水俣病第一次訴訟・勝利判決(1973年)。水俣病公式確認から「恥宣言」まで長い歳月が流れているが、労働者はその間に「斗いとは何かを身体で知った」からこそ、水俣病患者や家族と真に連帯できるよう自己変革できたのである。その場合、数ある労使の激しい攻防の中で、特に重要なのは安定賃金反対闘争と、それ以降の第一組合員差別だろう。「安定賃金」とは、「四年間、賃上げでストをしないこと、その代わり同業他社の賃上げ額に一年目はマイナス五百円、二年目はプラス五百円、三年目、四年目はそれぞれプラス千円ずつとする」という経営側提案である。これに対し、組合側は「『他人のフンドシで相撲をとる』。労働組合として団結、連帯を乱す」として反対。つまり、労使自治原則を貫き、争議権はもちろん春闘方式も放棄しない、というのが組合の立場だ。ちなみに1962年当時、合化労連委員長は総評議長でもある太田薫であり、また炭労三池労組のオルグも現場支援に入っていた。組合のストライキに対し、経営はロックアウトで対抗。さらに第二組合を組織して、スト破りをさせた。やがて1963年1月、熊本地労委の斡旋案を受諾して、183日間にわたるストが終結。争議解決の内容は、「安定賃金」の提案それ自体は撤回されるが、組合幹部2名が「自発退職」するというものだった。涙ながらに太田委員長が提案し、荒木誠之委員も悩みながら斡旋案をまとめたと言われているが、争議指導者の「処分」は不当労働行為と見ることもできる。この「解決」の評価を含む、安賃闘争の総括は難しい。だが一方で、スト解除直後から、現場の労働者は更なる試練に晒される。すなわち、人員整理攻撃と第一組合員差別である。「希望」退職や第二組合への「転向」に応じなければ、過酷な配転攻撃が待っている。例えば、喘息もちの第一組合員を有毒ガスの出る現場に、血圧の高い組合員、体力のない組合員を高熱肉体労働の現場に配転。著者も組合専従の2年半を除き、雑作業専門の施設二課での肥料運搬、梅戸火力発電所の石炭掻き、カーバイド工場の電炉作業と日勤雑務、電設課、訓練課、水俣研究所、加里変成工場、燐酸工場とタライ回しにされた。しかし、脱落する組合員もいるが、過酷な労働現場であれば、職場改善要求を立てて闘った。次のような記述がある。「『退職と転勤強要されるのは第一組合員だ』と第二組合幹部に説得され、第二組合に脱落した仲間がいた。それでも彼に、自宅待機が出た。彼は自分を説得した第二組合執行委員に激しく抗議した。その第二組合幹部は自分の職場でクビを括って自死した」。また、次のような場面もある。「(労災死した組合員の)追悼集会を工場内でした。・・・会社も聞きつけて工場内でしかも勤務時間中に組合の集会は無届けでもあるので解散しなさい、とハンドマイクでがなりたてた。・・・私は会社の要請を無視して集会を継続しみんなで黙祷をした。勤労課長たちは、コソコソと逃げ帰った。カーバイド工場の職場闘争と環境改善闘争は、そうした尊い組合員の犠牲と高熱現場で夏を乗り越えた多くの組合員の自信に裏打ちされて立ち上がったものだった」。労働者は「斗いとは何かを身体で知った」のであり、多大な組織的犠牲を受けながら、労働者の中で自分の苦しみが水俣病の苦しみと結びついたのだ。そうした体験と認識を根拠にして組合は、1968年の「恥宣言」を経て、水俣病ストや労働者証言の闘いへ前進し、1973年の水俣病第一次訴訟勝利判決をもたらしていく。著者は、ヘドロの完全回収、住民の健康診断、患者家族の生活保障を終えるまでチッソを許さないし、元チッソ労働者として今でも責任を感じているという。2005年、組合員2名の定年退職により第一組合は消滅したが、新日窒労組の精神と教訓を如何に受け継ぐかが、私たちに問われている。本書に収録された貴重な組合ニュース、写真と解説文、統計データ、手紙文、そして著者自作の詩を含め、多くの人に一読することを勧めたい。また現在、朴鐘碩氏(日立闘争元当該)らが、3・11事故に直面しても原発輸出を狙うメーカーを相手取った裁判闘争を提起している。評者も原告団に加わる予定だが、その集会で本書を紹介し、労働者証言を実現しようと訴えた。実際この裁判で、原子炉メーカーや電力会社で働く労働者の法廷証言が実現すれば、私たちの闘いは勝利すると確信している。評者:佐藤和之(佼成学園教職員組合)本書に関する連絡先:ishi16@titan.ocn.ne.jp / 096-346-8556(FAX)