追体験映画「大津波のあとに」震災体験を風化させないために3.11直後の街や人と出会う | |
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1月11日(金)原宿KINEATTIC で森元修一監督ドキュメンタリー映画「大津波のあとに」が4回上映された。 「大津波のあとに」の映画は観客と一緒に津波のあとを取材に行く感覚を持たせるために、ナレーションもBGMもない。震災体験を風化させないために3.11直後の街や人と出会う追体験ができる。 「3.11地震のとき東京にいた私だが津波のことを知り、ガソリンの続く限り記録を撮らなければとカメラを持って東日本に向かった」 とテロップが出された後、ゆっくりと走る車の中から津波が引いた直後でまだ水びたしに近い状態の石巻市の住居あとを写していく。 住居の基礎だけがわずかに残っただけのだだっ広い荒れ果てた平地の中を車は進んでいく。瓦礫が低く散在している。 ナレーションもBGMもなく、強く吹く風の音の中の風景を眺めながら、私は昨年の夏に行った福島県いわき市の海岸を思い出した。おそらく映画を観ている人は自分なりに津波の様子を想定しながら自分自身の地震体験を思い浮かべたであろう。 5分間たった頃に瓦礫を動かしている若い男性を見つける。車を止めて男性に近づき、ここではじめて撮影している監督の声が入る。 「何をされているのですか?」 男性は家族のこと、行方不明である3ヶ月の息子のこと、助かった3歳の息子のことを淡々と話す。自宅のあった場所にやって来て思い出になるものを探しいるのだと言う。 状況から考えると生存の可能性はゼロなのだが、まだ納得がいかずに、行方不明の家族を探してさまよう心中がうかがわれて、涙が出てしまった。 淡々した風景の中で見つけた人と会話をする。それぞれが家族の話、ついこの前までくりかえしてきた生活を思い出しながら語る。 このあと、津波でほとんどの児童が助かった小学校と逆にほとんどの児童(教師も)亡くなってしまった小学校のあった場所に行く。 前者の学校は避難場所になっている。そこで卒業式が行われる。助かった児童たちの家族の大半は行方不明。 後者の学校は大川小学校だ。こちらは未だに謎だらけだ。行政が隠蔽に走っているようにも感じる。 石巻市立大川小学校 津波から助かった男性教諭の手紙 http://blogs.yahoo.co.jp/saki99hokuto/46015901.html その後も映画は出会う人との会話に終始し終わる。監督とともに取材をしてきたつもりになった。 1回目の上映のあとに森元修一監督(写真)は 「風化されていく3.11直後を再び追体験してほしいと思って制作しました。大川小学校のことはいろいろな利害関係が絡まって大変なようですが、闇に葬って欲しくないと思います。 静岡県出身の私は、3.11のときに浜岡原発事故を心配しました。実は東日本に行く時にヨウ素による放射線被曝を懸念して現地に配布するために乾燥昆布も大量に持参しました。 しかし、放射線被曝を心配することを上回る状況でした。こうして2年近く経つとそのことも浮上してくるかもしれません。 放射線被曝した福島県の最近の様子を知ると悲観的になります。『天災と違って人災は防げるはず、人災を起こした原発を何故そのままにしているのか。原発に対する日本人の意識の低さに驚く。原発を止めることは人の力でできるはずではないか』と欧州の映画関係者が言っているようですが、私も同感です。 原発問題に無関心でいられる大半の日本人が振り向いて考えてくれるような映画を作りたいです。 今回は真面目な内容を真面目に作りましたが、私はもともと娯楽映画やアニメ映画出身なので、面白おかしくあるいはパロディーで表現しつつ真面目な内容を考えさせるような映画を目指します。」 と語った。 昨年暮れにも森元さんは大川小学校事件のことで石巻市市議会を傍聴し取材している。 今後の森元修一さんの作品に期待したい。 (ジョニーH) 森元 修一(もりもと・しゅういち)さんの紹介 1970年、鹿児島県生まれ。東洋大学文学部印度哲学科卒業。フリーの助監督として小林政広、サト ウトシキ、瀬々敬久などの作品に参加。主宰するファーザーオン・プロダクションで様々な企画を進めて いる。 以下はドキュメンタリー映画の最前線メールマガジン neoneo 174号 2011.9.1 より抜粋しました。 http://melma.com/backnumber_98339_5276322/ 震災から10日後、東京を出発しました。 仙台、東松島をへて石巻にいたる単独行でした。 道中、私はただ目の前の光景に打ちのめされて、言葉を失っていました。 もし同行者がいたとしても、交わす言葉を見つけられた確信はありません。 結果として一篇の映画というかたちになりましたが、東京を離れた時点ではドキュ メンタリー映画を撮影するために被災地に赴くということは考えていませんでした。 そういうことが可能だとすら思っていませんでした。 「私は無人のカメラフレームを見つめながら、津波で破壊されてしまったこの場所には人がいたのだ、 そのことを忘れてはいけない、とくりかえし自分に言い聞かせていました。そうしなければ、誤解をまね く表現かもしれませんが、非日常の風景が持つ一種異様な迫力、それを撮影するという行為に淫して しまうかもしれなかったのです。 ここに人がいて、ありふれた日常の安息があった。それこそが真に尊ぶべきものであり、よって立つ 大地が揺れ動くこの不安定な世界で実に得難いものだったのだ、震災に遭遇した人々がそんなことを かみしめているこの瞬間、撮影するべき対象はやはり人ではないのか、そう自分に語りかけていまし た。 しかしそれは私の観念的な考えであり、すさまじいまでに日常が破壊された風景のなかにいる地 元の方にカメラを向けることはその日もできませんでした。今日こそは試みなければ・・・」 『大津波のあとに』は3月23日から4月1日までの私が目にした被災地の風景と、そこ で出会った被災者の方々の証言をまとめたものです。 試行錯誤の末、撮影順に編集された映像にはテロップもナレーションも音楽もない、 非常に簡潔なスタイルの映画になりました。 それは、あの巨大な地震と津波が人の住む世界にもたらした惨禍を効率的に情報化 したり解説することに躊躇と強い違和感を覚えたからでした。 映画「大津波のあとに」情報 制作:ファーザーオン・プロダクション 配給: Hanafilm 自主上映問合せ ana@honey.email.ne.jp 予告編 → http://www.youtube.com/watch?v=O1dclMRTfBA 映画公式サイト→ http://farther-on-com/o273 原宿KINEATTIC → http://www.kineattic.com/ Created by JohnnyH. Last modified on 2013-01-12 14:31:23 Copyright: Default |