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1980年代「国家秘密法」反対の急先鋒だった谷垣法相に「秘密保護法」をただす
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1980年代「スパイ防止法案(国家秘密法)」に反対した12名の自民党若手議員たち。谷垣法相、定例記者会見で「特定秘密保護法案」について語る。(2013年11月8日)

             西中誠一郎  

 記者(私)は、11月8日の閣議後の谷垣禎一法務大臣(前自民党総裁)の定例記者会見で、7日に衆議院本会議で審議入りした「特定秘密保護法案」に対する見解を質問した。

 7日に行われた同法案の審議入りに反対する緊急院内集会で、1980年代に4度に渡り国会提出された「スパイ防止法案」に対し、自民党若手議員12名が反対の「意見書」を政府与党に提出し、最終的に廃案になったという経緯が書かれた論文が紹介された《「われら自民党議員『スパイ防止法案』に反対する」(「中央公論」1987年4月号)》。その「意見書」の取りまとめ役だったのが、若き日の谷垣衆議院議員だった。

 谷垣氏は自身が執筆したこの論考の中で「わが国が自由と民主主義にもとづく国家体制を前提とする限り、国政に関する情報は主権者たる国民に対し基本的に開かれていなければならない。国民がこれにアクセスすることは自由であるのが原則なのだ。そしてこの国政に関する情報に、防衛情報が含められていることも論を俟たない」と明確に述べている。

 8日の定例記者会見で、谷垣法相は当時を振り返り「言論に対する規制にも渡る恐れがあるので、構成要件の明確性を十分にする必要がある。さもなければ言論状況に対する萎縮効果が懸念される。また秘密保護法制をかける時には、情報公開の仕組みが大事。基本的にはその時と考えは変わっていない」と言及した。また「当時、情報公開制度はなきに等しかった。現状が十分かどうかは立場によって意見が違うだろうが、情報公開は変わってきている」と説明した。

 また野党•自民党総裁時代に「外交•防衛問題で、詳細な政府情報がないと対応できず悩んだこともあった」と自身の経験を語り、「与野党で情報共有する仕組みが今の国会にはない。そういう議論も必要でしょう」と「特定秘密保護法案」の国会審議での課題にも触れた。

 しかし政府与党にとって都合の良い国会内での「情報共有」だけでは、開かれた民主的な情報公開制度とは言えない。この数年、民主党政権、自公政権下で進められてきた「秘密保全法制」の政府部内での検討過程について情報公開請求を求めてきたNPO法人「情報公開クリアリングハウス」の調査によると、HPに掲載されている簡単な議事録以外に記録が存在していなかったり、公開された文書も大半が墨塗り状態だったので、情報開示を求める提訴に踏み切った。 http://clearinghouse.main.jp/wp/?p=785

 1980年代、中曽根政権の下で「日米軍事同盟化」と並行して秘密保護法制が企てられたが、自民党若手議員からも反対の声が上がり廃案になった事実を、国会議員は重く受け止めなければならない。為政者にとって都合の良い情報操作によって暗黒の時代を迎えないために。

【特定秘密保護法(秘密保全法)資料】
http://www.news-pj.net/siryou/himitsuhozenhou/
【12名の自民党国会議員たち(「中央公論」1987年4月号より)。(衆、参)は当時】大島理森(衆)、太田誠一(衆)、熊谷弘(衆)、熊川次男(衆)、白川勝彦(衆)、杉浦正建(衆)、谷垣禎一(衆)、鳩山由紀夫(衆)、村上誠一郎(衆)、谷津義男(衆)、石井一二(衆)、佐藤栄佐久(参)

【youtube動画】
http://youtu.be/Kxfw75Qspg8

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以下の写真は、11月7日「特定秘密保護法案」が衆議院本会議で審議入りした日の夕方に、首相官邸前で行われた緊急抗議行動。約400人が集まった。(撮影=西中誠一郎)


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