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木下昌明の映画批評『ハンナ・アーレント』
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●マルガレーテ・フォン・トロッタ監督『ハンナ・アーレント』

哲学者が見抜いたナチス裁判における「悪の本質」

 マルガレーテ・フォン・トロッタ監督の『ハンナ・アーレント』は見応えのある劇映画だ。ニュージャーマン・シネマの1人として『鉛の時代』『ローザ・ルクセンブルク』など社会問題や政治事件に取り組んだトロッタ監督が、今度はドイツ系ユダヤ人で米国に亡命したハンナ・アーレント(1906〜75年)の生き方を描いている。

 アーレントは『全体主義の起原』や『暗い時代の人々』などの著書で知られる哲学者、政治思想家。映画は特に、ナチス指導者の1人、ルドルフ・アイヒマンの裁判に立ち会った時期(60年代)の彼女に焦点をあてている。

 アイヒマンは大戦下、ユダヤ人を強制収客所に移送する責任者だった。アーレントは米国の雑誌記者としてイスラエルに赴き、裁判を傍聴し、『イェルサレムのアイヒマン』を著す。映画は、その本の刊行を通じて同じユダヤ人から激しい非難を浴びながら、それでも自説を曲げない彼女の日々を描く。そのなかに若き彼女と『存在と時間』のハイデガーとの恋愛関係も回想シーンとして入れている。

 裁判でのアイヒマン(記録映像で再現)は、責任逃れの言辞を弄する一介の小役人にすぎなかった。しかしイスラエル側は、建国間もない民族の威信をかけて“野獣”として裁く必要があった。しかしながら、彼女はアイヒマンを「凡庸な男」と見抜き、それゆえに組織の歯車となって「世界最大の悪」を無自覚になしえたと明らかにする。同時に被女は、(裁判で発覚した)ユダヤ人組織がアイヒマンに協力して多くのユダヤ人を売り渡した問題を取り上げたことで、友人らと袂を分かつ。

 病床にある友人が「同胞への愛はないのか」と問い詰めると、彼女は「一つの民族を愛したことはないわ。私が愛するのは友人よ」と応える。「民族」にとらわれない彼女の姿勢は、現代の「悪」の本質を射抜き、私たちの胸にも突き刺さる。(『サンデー毎日』2013年11月3日号)

*10月26日より東京・神保町の岩波ホールほか全国順次公開。

〔追 記〕この映画の批評については『月刊東京』11月号に「考えることとインターナショナル」と題して、少し長めの批評をしているので、興味のある方は、直接FAX03-5976-2573で申し込んで購入してください。定価400円です。


Created by staff01. Last modified on 2013-10-30 23:12:17 Copyright: Default

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