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田中正造・未来への大行進〜老いも若きも郷土の偉人に誇り
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田中正造・未来への大行進 老いも若きも郷土の偉人に誇り

               報告 Shinya

10月12・13日、日本の公害の原点・足尾銅山鉱毒事件の解決に奔走した田中正造没後100年記念祭が、正造の出身地・佐野市で開かれた。主催は市民らでつくる田中正造没後百年記念事業を進める会。

12日に記念式典、13日に「田中正造・未来への大行進」を行なった。行進は1913年10月12日に正造の本葬儀が行われた惣宗寺(佐野厄除け大師)を出発し、数万人の葬列がつづいたという道を通り、佐野駅までの約1.5キロ。高校生の吹奏楽隊を先頭に千人近い参加者が、正造や農民のなどに仮装して楽しく練り歩いた。北海道佐呂間町から、廃村でふる里を追われ極寒の地に入植した村民の孫やひ孫、町の職員などの代表団も参加した。前日、代表団に佐野市長から姉妹都市の提案があった。

官邸前金曜行動は現代の「押し出し」

百年経った今も足尾のはげ山の回復、渡良瀬川の自然回復事業は続いている。かつて農民が、鉱毒で汚染された農地を剥ぎ取り積み上げた毒塚が、いま福島や関東周辺で放射能の毒塚となって増えつづけている。雨が降れば山から毒が流れてくる。鉱毒被害民の大挙上京請願行動を「押し出し」と言った。金曜官邸前行動は現代の「押し出し」ではないか。

12日の記念式典では、環境問題に取り組む団体へ「田中正造記念賞」が贈られ、市内小中学生による「正造へ手紙を書こう」の表彰も行われた。また市民の手による演劇『天地と共にー田中正造を生きる』が二日間上演され、ほぼ満席の2200名が観劇した。市内の小・中・高生も大勢出演、130人を越える大舞台。熱演に会場から拍手があった。

記念祭は二年をかけて準備され、「田中正造映画祭」、「田中正造100年講座」などにも取り組み、正造の思想と行動を次世代にひき継ぐ市民総出の記念事業の総決算だった。

大行進の後、駅前の特設ステージでは、こどもたちの「田中正造八木節」、150人のおばさんたちのよさこい踊り「ありがたや 正造さん」、仮装大賞、地酒「田中正造 百年の夢」の試飲など、老いも若きもこどもたちも「郷土の偉人」に誇りを持ち、未来への一歩を踏み出した、秋晴れの“正造づくし”の一日だった。

↓メインストリートいっぱいに拡がっての大行進。

↓「正造さんの思想は社会を明るくする魂を持っている。その魂を引き継ぐことが未来への第一歩。」と開会式で挨拶する「記念事業を進める会」会長の坂原辰男さん。

↓正造の心意気、同じ空気を胸一杯吸い込んで欲しいと、惣宗寺住職旭岡靖人さん。

↓田中正造の墓。隣の石碑には当時盛岡中学4年生の石川啄木の「夕川の葦は枯れたり /血にまとう民の叫びの/など悲しきや」が刻まれている。

↓原発問題は行進の趣旨に反すると警察に言われたが、これこそ田中正造の思想だと跳ね返した舘野さん。栽培している原木シイタケは放射能汚染で販売禁止になった。

↓惣宗寺を出た行進。

↓田中正造そっくりの石神明治さん。髪も髭も自前。映画『赤貧洗うがごとし』にも正造役で出演した。人力車を引いているのは正造さんの親戚にあたる人。

↓北海道佐呂間町から参加した人たち。

↓田中正造に扮しているのは幼稚園の女園長さん。

↓農民が請願に上京するときに歌った「鉱毒悲歌」を歌いながら。小出裕章さんの写真も!

↓先頭は高校生の吹奏楽隊。反原発の旗や筵旗もつづく。

↓「田中正造八木節」を歌うこどもたち。喰うに喰われず 村をば捨てて/行方定めぬ四散の旅よ/それを見かねた正造は・・・・。佐呂間町でもこの地元の伝統芸能「八木節」は心の支えとなって歌い継がれていると代表団の人は言っていた。

↓「私の生まれた佐野市が大好きです。演劇『天地と共にー田中正造を生きる』にも出演しますから見に来て下さい。」佐野ブランド姫?の増田麻美さん。

↓この日のために作った「渡良瀬の夢」を歌う宇都宮在住のシンガーソングライターせきぐちゆきさん。

↓圧倒的おばさんパワーのよさこい踊り「ありがたや 正造さん」。

↓仮装大賞は正造に扮した佐野市の清水進さんが受賞(写真左端)。


Created by staff01. Last modified on 2013-10-15 12:56:22 Copyright: Default

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