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松本昌次の「いま、言わねばならないこと」第二回「花は咲く」異論
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第二回・2013/5/1 (毎月1日発行)
『花は咲く』異論  松本昌次(編集者・影書房)

 しばらく前、ある小さなリーフレットに、わたしは次のように書いたことがある。
 ――この頃、NHKのテレビをつけて気になることがあります。それは38人の有名な俳優やタレントたちが、一輪の花を手にして歌いつぐ『花は咲く』(作詞・岩井俊二/作曲・菅野よう子)という、東日本大震災の「復興支援ソング」です。「今はただ なつかしい/あの人を思いだす」とか、「花は 花は 花は咲く/いつか恋する君のために」とか、なんとも甘い激励と癒しと浄化の言葉の羅列は、被害者たちを個人の「体験」にのみ、明るい希望にのみとどまらせようとしているとしか思えないからです。敢えて言えば、この歌は、戦争中の『海行かば』の裏返しの歌です。――と。

 さて、春の選抜高校野球の入場行進曲にも、球児たちを颯爽と力づけるかのように選ばれた『花は咲く』が、どうしてわたしに『海行かば』を喚起させ、銅貨の裏表のような歌だと思わせたのだろうか。わたしが十代半ばの戦争中、1943年5月29日のことである。突然、NHKラジオから『海行かば』が流れ、臨時ニュースとして、アッツ島の日本軍守備隊2500人全員が「玉砕せり」と、荘重に放送されたのである。この一瞬の衝撃をわたしは忘れることができない。いらい「海行かば水漬(づ)く屍/山行かば草生(む)す屍/大君の辺(へ)にこそ死なめ/顧みはせじ」の歌は、わたしのからだに刻印され、『花は咲く』のことばをかりれば、「悲しみの向こう側に」たとえ屍となろうとも、顧みることなく、戦争勝利の「花」を咲かせねばならないとわたしに決意させたのである。

 ところで、宗教人類学者として有名な山形孝夫氏は、『花は咲く』を「死と生に引き裂かれた愛し合うふたりの、噴きこぼれるような悲しみの歌」と評価し、この生者と死者の「語り」は涙をさそうが、「それは悲しみの涙ではない。死者と共に未来へ向かう優しい希望の涙のようなものだ。」と結んでいる。(朝日2013.3.12夕刊)しかし、戦争中からこれまで、いったいどれだけ死者とともにわたしたちは、“希望の涙”に誤魔化されてきたことか。この記事には、悲しみを浮かべ一輪の花を手にした西田敏行氏のカラー写真も載っている。それでは西田氏に問いたい。あなたは、津波で家族を亡くした人や、放射能で家を追われて帰るあてもなく他郷に仮寓している人の前で、『花は咲く』を歌えますか。スタジオのマイクの前ではない。被災者の前で、「花は 花は 花は咲く」と本当に歌えるのだろうか。もし歌えるとしたら、わたしはその人の神経を疑わざるを得ない。

 野坂昭如氏が「毎日」に『七転び八起き』を連載していて、その連載151回「震災から2年」を友人が切り抜いて送ってくれた。野坂氏の「被災者それぞれの声に耳を傾けること」をわたしたちの「務め」と語る真摯な姿勢に共感を覚えたが、それとは別に、記事に添えられた黒田征太郎氏のイラストには、痛烈な感銘を受けた。点描で描かれたチューリップのような花が、茎の半ばでポッキリ折れて、地面にばったりと倒れこんでいるのである。そして「ハナハ/ハナハ/ハナハ/サク?」とある。このイラストとたった一つに疑問符、これこそが、3・11後の被災者の現実を見事に言いあてたものではないのか。

 『花は咲く』と関係はないかも知れないが、NHK会長の2013年度の年間報酬が、受信料の収入減で2〜3%減額されても3092万円、副会長が2690万円、その他の理事や経営委員がぞろぞろと20人余もいるという、ある日の小さな新聞記事には、心底びっくり仰天した。東電の役員などもほぼ同額の収入だったが、年金で暮らすわたしの10年分をゆうに越える金である。いや、わたしはまだいい。彼等は、どのツラさげて被災者の前で『花は咲く』を歌えるのだろうか。(2013・5・1)

 *写真=『花は咲く』を歌う西田敏行氏(YouTubeより)


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