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「すべては原発のせいだ」〜3.23福島集会に参加して
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「すべては原発のせいだ」――福島集会に参加して

「すべては原発のせいです」――福島大学教授の清水修二さんは、福島県民の苦難をひとつずつ列挙して、こう結んだ。3月23日、福島市のあづま総合体育館で開かれた「原発のない福島を! 県民大集会」。県内外から集まった約7000人の参加者は、ステージからの発言に聞き入り、強い連帯の意志を表した。

東京では桜が満開。往路の車窓から見る景色も、春本番の到来を思わせるものだ。快晴の昼前、あづま総合運動公園内の駐車場には大型バスが次々と到着し、のぼりを持った参加者の列が体育館へ続いていた。

たった一人で行ける集会ではない。私は「脱原発・荒川の会」が調達したバスで出かけた。昨年の郡山集会と同様、荒川区職労、荒川区労評が中心となって準備し、区内の民間労組、市民運動にかかわる仲間約50人が、日帰りと宿泊に分かれて現地入りした。

体育館建物わきの広場に食べものの出店がならび、館内では物品販売と展示が行なわれていた。メインアリーナと呼ばれる屋内体育館では、県内参加者が1階、県外参加者が2階に分けられ、照明を一部残した薄暗い空間で、プログラムは始まった。

主催者を代表して五十嵐史郎実行委員長があいさつ。「原発の爆発から2年が経った。だが福島では除染が思うように進まず、これからの生活の見通しが立たない。先日の冷却システム停止事故に見られるように、収束とは程遠い緊張状態が続いている」。

「いっぽうで全国的には原発が再稼働するような報道が進み、事故の風化の兆 しが見える。だが福島は時間が止まったまま。あれから長いトンネルを抜け出せない」。「県民の願いはふたつ。県内の原発すべての廃炉と、安心して暮らせる福島を取り戻すことだ」ときっぱり。「最終処分場もないままに原発を始めた国と東電の無責任さに、改めて憤りを感じる」との発言に、会場は共感の拍手を送った。

清水修二さんは、呼びかけ人の代表。「ネズミが原因とされる先の停電事故は、けっして笑いごとではない。原発がどんなに不安定な状況にあるかを物語っている」と、淡々と語り始めた。

「2年経った今、16万人の人々がふるさとに戻れず避難生活をしている。家族と引き裂かれた人々は避難先での心理的な摩擦に疲れ切り、苦しんでいる。なぜこんな思いをするのか。すべては原発のせいです」。「避難しない人も大変な思いをしている。除染した土を自分の庭に埋めている。なぜこんなことまで我慢するのか。すべては原発のせいです」。

「普通の市民がなぜ、長い損賠裁判を闘わなければならないのか。すべては原発のせいです」。「放射能災害がもたらした人心の分断――避難する人としない人、戻る人と戻らない人。同じ住民同士がなぜこんな関係になるのか。すべては原発のせいです」。

「国民の多数が原発に反対しているのに、なぜ原発が総選挙の争点にならなかったのか。県内では投票率が史上最低だった。終わりのない大事故と災害を、この国は忘れようとしているのではないか」。

「少なくとも福島県内で原発の再稼働はあり得ない。それを県議会も自民党から共産党まで、全会一致で決議し、県知事も明言した。全国で福島だけだ」。

「すべては原発のせい」――清水さんは静かに、しかし力強く、この主張を繰り返した。そのとおりだと思う。安倍政権は、原発の再稼働とさらなる推進すら狙っている。世界最悪の惨禍を放置しながら、「復興・復旧」を唱えて美辞麗句を並べ立てる軽々しい態度を、だれも信用したりはしないだろう。

人類と核は共存できない。コントロールできない核の脅威をもて遊ぶような行為は、けっして許されない。一握りの階層の利益のために、圧倒的多数の人々の命と健康が脅かされるのは、まっぴらごめんだ。

「まずは福島から原発ゼロを」。決意を新たにして、帰路についた。(Y)


Created by staff01. Last modified on 2013-03-30 08:02:04 Copyright: Default

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