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双葉町井戸川町長インタビュー書きおこし
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以下は、YouTube(ユニオンチューブチャンネル)にアップされた原発立地町・双葉町井戸川町長インタビュー(前半)の書き起こしです。書きおこしは、森健一さん、真鍋はるみさんが行いました。 なお、動画はこちらでご覧になれます。

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(堀切さとみ・インタビュアー)3.11の事故が起きた直後の状況をお話いただけますか?

(井戸川町長)そうねえ、車に乗っていて、あの地震に遭いました。乗った、乗って数秒後くらいですかね、地震に遭いましたけど。まあ、あれだけの地震というのは経験したこと、ありません。地球が割れてしまうんじゃないかっていうくらいの、なんか恐怖の中で、地震のおさまるのを待っていましたけども。もうあちこち割れて、自分のところも割れちゃうんじゃないかっていう思いですよね。そうすると次に、その、割れてしまうんじゃないかっていう思いの次に、原発は大丈夫かっていうこと、すぐ頭にありました。

なぜかというと、常に、あのう、一から四号の中で、とりわけ一と二号ですね、古いわけですよ。そうすると配管の鉄の肉厚も減ってきているだろうと。交換できる場所と交換できない、コンクリートに埋まっている部分の配管なんて交換できませんから、そこで、まあ、キャビテーションというのですけど、鉄のね、あの、この、あれを、くいこんでしまう、そういう水の流れができちゃったとこはですね、どんどんどんどん鉄を減らしていくのですね。肉薄になっちゃうんです。そこに、交換できるところはいいです。できないところがそうなったときに、今度の地震で裂けるなと、割れてしまうなと。したがって水がなくなってしまうっていうこと。だから、あの、水がなくて、もうメルトダウン起こしましたけど。あれは当然、あの地震のさなかに、考えていました。あ、これはもう、もたない。このくらい大きければ、もう想定外なんて必ず言うだろうし、このくらいの大きさの設計しないはずだから、必ず原子炉は壊れると思っていました。それがいつ来るかってのは、想定できませんでした。絶対に壊れると。いっきに壊れるのか、という恐怖もありましたけど。壊れないでくれっていうような、祈るような気持ちも持っていました。壊れないでくれ、壊れないでくれって、こう、運転して帰ってくる最中にですね。だけど壊れるなって。壊れたと思うんです。 

私も二号炉の建設に一部かかわったこと、あるんですね。で、鉄板の溶接を、こう溶接前の仕事っていうか、鉄板を張り合わせて形に整えていく仕事に携わったことがあるんですけれど、それはそれは大変なんです。このくらい厚い鉄板ですから、これをこう合わせていくというのは、非常に大変なんですね。そういう大変ななかで、あの、うーん、ちょっとあの部分はなって、今でもあるんですよ。あの部分は大丈夫だろうかって、自分でやったところですね。(苦笑)うーん、下手すると、あれ、壊れているんじゃないだろうかって思いはありますね。そういうベースがあるもんだから、これは国にもありませんよね。はたして東京電力だって、それをわかってるかっていったら、わかってない。そんなのいっぱいあると思うんですよ。だとすると、やっぱりあの地震の大きさというのは、許容限界を超えているのかなっていう・・・。怖い、大変なことになる。大変なことになるっていうのは、「いられない。」

(堀切)埼玉に来ようと思ったのは、という風に決めたの、いつ?

(町長)三号炉の爆発したときでしょうか。これ、もう、この辺だって危ない。住めないなっていう。もうひとつは川俣町さんにお世話になっていて、川俣町さんの人口に匹敵するくらいの、あの双葉、浪江、飯館とか、いろいろなところから、南相馬とかから来てましたから、大変だったんですよ。対応が。同じくらいの人口が、同じくらいの人口を受け入れるって、これはもう、とんでもないことですからね。だから、あの、災害対策本部に行くと、もう、みなさんが総出でおにぎり握ってんですよ。あの姿、見たときは、長くお世話になるわけにいかないなと。もう本当に、どっかまた移動しないといけないなと思ってましたし。三号炉のときに、ああダメだなって。福島県て、本当に、おっかないというかね、この辺まで来ないでくれってのは思ってはいたんですけどね。川俣町まで来ないでくれって。まあ信じてました。祈ってました。

(堀切)埼玉に来たことで、今、本当におっしゃる通り、福島県内からすごく、こう、バッシングがあったり、なんで福島から離れたんだっていう声がものすごく強くなってしまってるんですが、こうなることは予想されてましたか?

(町長)うん。あのう、バッシング受けようが、どうしようが、双葉町の子ども、家族、を守りたいと思えばですね、かまわないんじゃないですか。やがて歴史がですね、なんとか証明してくれますよ。5年10年後にどういう結果が出てきてもですね。それは、そこまでわからない人たちが、なんか変にですね、世論をあおって、変なカタチに、今、かたまってますよね。福島県内だけが。県外の人からみると、全く福島県のことが理解できないっていう人が、圧倒的に多いですよね。ここの認識の差っていうのが、県内にいれば、わからないんですよ。私はもう最初から、情報は隠ぺいされると、いい加減なことで処理されるという風に、危機を感じてましたから、だから、されまいということで出ました。結局、もうその通り、私が思った通り、福島県内はされてますよね。全く福島県内にいる人たちのコントロール、誰がしているのかわかりませんけれど、ひどいもんですよ。

特に、あの、福島県立医大。これは罪ですね。全くものがない、何もないっていう風に言い切ってますけど、その立証をね、私はなんかの機会で求めたいって思ってますね。ないことの立証を、ですね。どっかで担保とっておかないと、もしあったときに、医大は、もう大変な医大だ、という風に評価されると思いますね。今、もう、その被曝検査を積極的にやらないこと自体が、犯罪行為ですね。

(堀切)この1年間をとおして、一番、町長さんが憤った、最初の機会は?

(町長)これはもう、事故を起こした瞬間ですね。事故について、私は細かく追及してましたから。ここはどうなんですか?機械的な強度はどうなんですか。劣化はどうなんですか。人材はそろってますか。技術の伝承されてますかって、常に東京電力あるいは原子力保安院には聞いてました。だけど、危ういから聞いてたんですよ。でも、返ってくる言葉は、「大丈夫です。あの、技術もしっかりしてます。あとは、ものは健全です。心配ないです。町長さん、なんにも心配しなくていいから。止める、閉じ込める、冷やすは、全部できるんで大丈夫です。」って言い張ってたんです。それが、そらみろ、私が心配したようになったんじゃないかっていう瞬間から、ものすごく、あれほど言っておいた人間が、原子力保安院に行って胸はって大丈夫だという人間は、私に1回も顔を合わせていません。逃げるようにしてます。うしろめたいんでしょうね。当然ですよね。

責任とってもらわないと、最後まで。いけないと思うんですよ。加害者がいつまでも加害者側でいられては困るんですね。今の対応みると、だから、もう当時、事故を起こしたんじゃないかという、思いですよね。あれだけ言っていたのは、どうなんだっていう思いがあります。ずっときて1年たって、われわれが加害者がごとく、こう、なんかこういう生活を強いられてますよね。加害者が被害者然として、今いますよね。とんでもない状況で、なお、やっぱり腹が立ちますね。ここに県のエラい人、来ます。私のとこ、ここに座って、話を聞いていきます。けど、その後、そのまま帰って行きますから。ところで、ここで問題なにか起きてませんか、県で、県でやることありませんかっていう話は一度も聞いたことがありません。一方的に県の話をして、そのまま帰って行きます。避難状況の確認もせずに帰っていきます。問題ありませんかとか、どうしてほしいんですかって聞かれたことは、ありません。これもおかしいですよね。

(堀切)井戸川町長さんは、本当に、他の8町村の首長さんに比べたら、ずいぶん放射能のこととか勉強されていると思うんですけど、あの、事故が起こる前からですか?

(町長)あのう、私はもう、学校出るときから、同級生は東電関係あるいは東電に就職してましたけど、私は原子力発電所に対しては懐疑的でした。将来、必ず何か不安が起きるなって思いがあってですね、職場を求めようとしませんでした。東京に出て来て、水道屋を学ぶために出てきましたけど、帰ってってからも、積極的に東電構内に仕事を求めたことは、ありません。まあ、周囲がなくなると、どうしても仕事をいただいてやってきた経緯もありますけど、いわゆる主たる職場として、東京電力をもったことはありませんね。東電構内の仕事やってもですね、A区域だけ、B、C区域はいりません、やれませんということで、決して入らなかったですね。

(堀切) 町長さん、結構、いろいろな記者会見とかで絶対安全でなければ困るっていうことをずっとおしゃっていましたけど、実はやっぱりそうじゃない可能性もあるっていうことは思ってらしたということですよね?

(町長)当然ですね。

(堀切)そんな中で、町長さんを引き受けたというか、町長になる、ものすごい信じてるのだったらまだしも、井戸川さんの場合は、懐疑的だったわけじゃないですか。で、こういうリスクをしょう可能性もあるっていう風に思われたと思うのですけれど、そこで町長に立候補されて、町長をやってこられたという、その契機というか、その辺をお聞かせください。

(町長)もう、町はですね、あのう、他力本願の町になってました。全て誰かが悪い。全て誰かなんだということ。なんかすると東電に寄付を求めるような体質になってましたね。そのために、もう町は、原子力発電所ができれば、7,8号基〔機〕ができれば、こんな借金、一瞬にして、ふっとんでしまうんだという、前の町長の姿勢がですね、なかなかできないわけですね。増設ができないわけです。で、そういう姿勢でやってたもんだから、町は、どんどんどんどん破綻の方に、向いてました。じゃあ、このままでは本当に破綻するなという思いで、町をなくすわけにいかない、双葉町をなくすわけにはいかない、倒産させるわけにはいかないという部分で、まあ、あの、なんとかしないといけないと思って、常日頃いましたから。経営の仕方みて、乱脈ぶりは、まあ、非常に目に余るものでしたので、だから何とかしないといけないという思いをもってて、前任者が辞めるということになって、それじゃあ、やっぱり後継者には、任せられないなと、流れを変えないといけないなという思いで、やるしかないって思いで、引き受けました。

まあそれを、町民のみなさんが支持してくれたがためにですね、町長をやることになったんですけれど。やってみて、やっぱり大変でしたね。心の休まる日って、ないですね。なかったですよ。特に19年の、平成19年の今頃っていうのは、激やせしました。就任2年目です。予算が組めなかったんですよ。町には、お金がなかったんです。ところが、前任者はないことを職員に言わせないようにしてたんですね。お金がないってことを言うなという、口止めをしていたんです。したがって、町民はあると思ってたんですね。ないんですよ。ないなかでの予算をくむってのは、非常に疲れましたね。痩せました。もう、こんなして、いられなかったんですよ。お尻に肉がなくて。常にこう、こんなになって・・・(笑)。歩いて・・。本当に激やせって・・・、痩せる思いって、あのことですね。

なんとか乗り切ることができたのは、やはり、7,8号基(機)の増設の初期対策交付金というのがあったからですね。これはもらうべきだと思いました。倒産させるよりも、もらうべきだと思いました。で、当時、県の部長さんに相談したら、「大人の判断ですね」って、言われたんですよ。ああ、ありがとうございます。「判断させてもらいます」って。それから始まってですね。5年分もらえるわけだったんですけど、1年分もう時効が来て、減って、毎年減ってくんですよ。5年後になるとゼロになるんですね。では、もったいなということで、4年分もらうことになって、それが19年の秋に入ってきたために町は救われたんです。

(堀切)子どもの頃は、どんな少年時代だったんですか?

(町長)私はね、あのう、中学校2年のとき、カナダに移住したかったんですよ。なんだかね、カナダって、いい国だなと思ったんですね。何がいい国かというと、あのう、いろんな制度が、まだ、張り巡らせてない、これからの国かなっていう風に感じたんですよ。出来上がってない国っていうと失礼ですけど、なんか、こう、魅力を感じたんですね。そのとき、で、ちょっとあれすると、また跡取りの話が出ちゃってですね、双葉町郡山っていうのが(笑)、しみついちゃってですね。だからもう、高校を出ると、もう家業につかざるをえないっていう環境だったんですね。親が年とってたために、その、年とってる親を、まあ、(親)に仕送りさせて、大学に行くっていうのは、これはもう、しのびないという思いで、ここでいいっていう風に決めたんですね。で、東京に出てきました。それは仕事を覚えるためですね。

出てきて、まあ、東京でそれなりにやってですね、まあ、いろんな失敗もいろいろありますけど、なんか面白くなってきたんですね。面白いっていうのは、人間関係が面白くなったんですよ。あの限りなく上の人っていうか、こう、つきあっていくと、上の人に、どんどんどんどん、その、自分じゃなくて、周りの人から、上へ、こう、あげてもらえるんですね。そういう素晴らしいところなんですね。努力すると。それを評価してくれる人が、周りにいると。自分も成長できるっていう。そこに魅力を感じましたね。努力しない人は、どっこまでも落ちるところですね。東京ってのは。人のせいにしてたら、いつまでも落ちますね。限りなく、救われません。だから自分の努力の中で、がんばるところっていうのでは、東京って、いいんじゃないでしょうか。

そんな魅力も感じながらもですね、跡取りになったから、帰ってって、そこそこやれるんだろうと思って、行ったんですけど、ところが、だんだんだんだんお金がなくなってくる町の現状を見たときに、がっかりしましたね。隣の町は、あの、豊かなんですよ。今ね、双葉町がこうやって、メディアにのると、全国の町民から、あ、いや国民から、あれほど交付金もらって、いい思いしといて、なんなんだって。オレら、今、すごい苦しい生活、オレたちはしてるんだよと。それを支援してるのに、いい加減にしろ、ふざけんなって、言われてますよね。そういうこと言われること自体も、まあ本当は、中身もっと詳しく知っていただければいいんですけど。

原発立地の中でも優劣があって、双葉町は「劣」の方に入ってんですね。他の三町村は、年間、入る収入ってのは、うんと高いんですよ。双葉町は、うんと低いですね。そのなかで、いろんなことやってきたから、借金増えちゃったという部分あるんですが、その部分が伝わらなくてですね、いい思いをしたって、一律に叱られるんです。何言ってんだって叱られるんですけれど、まあ、反論する必要もないし、やがてわかるだろうっていうし、まあ、そういう時間もないし、誰に反論していいかわからないから、黙って受けてますけれども、非常に苦労しながらですね、やってきたつもりですね。もう、とにかく、アテのない、海図のない航海をして、今、いるわけですので。どこまで苦労しなければならないのか、本当に、残念でなりませんけれども。それは、みんな、町民のみなさんも、そういう思い持ってですね、だから、どこに誰にぶつけていいかわからない、したがって、町長にぶつけるしかないと思うんですね。

(堀切)日本で最初の、こういう事故ですから、ここで井戸川町長さん、本当に教訓を残していかなくちゃいけないってこと、おっしゃってますけれど。

(町長)私は、もう、日本ていう国は非常に危険な方向に向かってますね。第一原発の、あの、廃棄物だけでも、もう処理しきれんでしょうか、国は。簡単ではないですよ。ものすごいお金のかかる、これからですね、場所になりました。それが全国にいっぱいあるんですよ。そうすると、その最低、自分のところで、自分のものは処分しなければならないルールになると思うんですね。どこも引き受けませんから。今、原発立ってて、交付金もらって、嬉しいなと思っていると思いますけど、これはもう、将来の大きな負担に、今度、なって来るんですよ。さらに、じゃあ、あの、エネルギー基地を作れって言ったって、それはもう、そんなもんでないですね、そういうものは要らないくらいにコンパクトになったときに、エコがもっと進んだときにですね、そういう重厚長大なものが必要でなくなったときには、もう、廃墟ですね。廃墟。しかも危険物の置き場になってしまうと。全国にいっぱいあるんですね。

この問題を考えたときに、われわれ日本人が、われわれの子どもたちが、それを負担していく能力があるだろうかと。それだけの生活力があるのだろうかって言ったら、非正規社員がいっぱい出てきてですね、優秀な企業は外国に出てってます。そうしたときに、日本って、ますますおかしくなりますし、これから隣国に、いっぱい原発、出来そうですね。もし向こうで事故があったときに、放射能、こちらに飛んできますね。と(なれば)、東北地方の問題でないんですよ。韓国でも、この前、たいへん恐ろしい、あの、事故がありましたけど、それも隠ぺいされてましたけどね。あれが、もしあなた、もうあれですよね、敦賀とかあの辺だって、何あるかわかりませんね。これ考えたときに、その、われわれ日本人が、その原発に対する、これからの負担を耐えられっかっていう試算をしないといけません。

私は反原発ではありません。ただ日本を滅ぼしたくない、そういう思いを持ってます。そうしたときには、じゃあ、次のネクストステージとして、若い人たちに、どういうビジネスっていうか、どういう生きる環境を作っていかなければならないのかってのは、今、必死になってやっていかないとなりませんね。あると思うんですよ。ただ気づかないだけで。私、いっぱい、あの、子どもたち、若い人たちに、職場として提供するものは転がってると思うんですね。

(堀切)今、騎西高校から福島の方に戻っている方もいらっしゃるのですよね。そういう方のなかには、自分たちは東電で働いてきた、今までだってずっと放射能を浴びてきたのだ。今回、事故が起こって初めて、みんな、放射能、放射能と騒ぐけれども、俺たちは別に怖くないよ、だから福島に戻るのだ、という方もいらっしゃるのですね。(原発で働いてきた町民の中には放射能なんて平気だいう人もいます・・との文字テロップ)やはり、事故が起こらなくても、ある程度、被曝をしながら、原発で働く労働者は仕事をしてきたと思うのですよ。そういうことについて、町長さんはどう、お考えになったことはありますか。事故が起こる前。

(町長)私ね、原子力発電所を作って経営している方は東京にいますね。ロボットのように働いて、忠実な働き手として働いたのは地元なのですよね。地元は長いこと、働いて、やはり原発という職場に最初から入って、他所の作業、見てない方もいっぱいいるわけですよ。40年ですからね。40年の実績というのは、ある意味、打ち消している部分もあると思いますけれども、ただ、違いはですね。高度な管理をされた環境のなかで働いていたときが、被曝している、というのと、今回は、働くのではなくて、生活環境のなかで被曝しているとの違いですね。以前は、高度な環境管理されたところから外れると、ですね、自然界の放射能を浴びていても、人工の放射能、浴びていませんでした。

今回は、無差別、それこそ、無差別爆弾と同じですね。いわゆる爆弾は、戦争は、兵士と兵士の戦いですけれども、人民を巻き込んだ戦争というのは、これは悲惨だし、国際的にも非難されますよね。住民を巻き込んだというのは、今回はまさに、戦場である、限られた空間での、放射能との戦いから、一般の住民を巻き込んだ、無差別爆弾を浴びさせられた中で生活するのとは、まったく違うのですよ。この違いは明確にしていかないと、子どもたちが可哀そうですよね。一緒ではありません。その方が言うことと今は。汚されちゃったんですよ。

で、戻ってさらに職場として、放射能を取る作業、除去作業という、新たな訳の分からない、作業だと、私、ずっと思っているのでけれど。あれに携わるのは、やはり地元なのですよ。訳の分からない作業に携わるのはやはり地元なのですよ。元請けさんは東京に居て、全然、放射能のない環境で商売して、実際にロボットのように働くのは地元民になってしまうのですね。悲しいかな、入らざるを得ない環境に追い込まれているのも事実ですね。帰れ、帰れと言って、帰らされて職場が無いわけですよ。そうしたら最後は手を出すようになりますよね。今、これから除染にしても、原発の収束作業にしても、だんだんと今まで外部の人、行ったと思うのですよ。

しかし、だんだんと被害が出たり、知識が増えたりして、危険がわかってきたときに、働き手がいなくなってしまう。だけど戻って行った人、職場無いですよね。否応に除染作業、除去作業に携わって被曝を重ねるでしょうね。そしたらその先、どうなりますか。とりあえず作業をさせられて、少しは環境が改善されたとしても、その人はその人生で終わってしまうのですよ。まさにロボットで、真綿に包まれたような形で被害者にされてしまうのですよ。

(堀切)本当、ひどいですよね。巷では中間処理施設、どこかに作らなければならないのだから、原発立地の町が負うのが当然だろうといった、世論になっていますけれども、これは国が言っているだけでなく、世間もそういう。

(町長)世論作りが巧く、成功したのですよ、除染ということが進まなくなりましたね。除染作業がやってみても各地で。だとすると、今度は中間貯蔵施設に方向付けしたのですよ。中間貯蔵施設ができればうまく行くのだという風にもって行ったのですよ。次から次へと、また次なることを考えるのではないしょうかね。第一線に双葉郡民がされるのですね。悲しいかな、悲しい民族ですよね。

(堀切)いやあ、本当に許せないですよね。

(町長)巧妙に仕組まれていますよね。福島県内でも、中通、本当に今回、気の毒ですよね。中通の人は被曝しなくてもいいのに、毎日、被曝していますよね。

(堀切)飯館とか郡山・・。

(町長)福島も含めて、気の毒ですよね。あの方たちはもっと勉強すべきですよね。自分たちはもっとどういう環境にいるのだと。電離則、という規則がありますけれども、放射線障害防止規則というのがありますけれども、(「事業者は労働者が電離放射線を受けることをできるだけ少なくするように努めなければならない」との文字テロップ)あの規則というのは放射線〔下〕に働く人のための規則なのですよ。住環境にあの規則はないのですよ。日本には法律がないのですよ。残念ながら。だから抵触してないのです。そこに住民は気が付かないと。訴えてもダメなのだ。自分から逃げるしかないのだ。誰かに訴えてもダメなのですよ。非常に恐ろしい国に・・。私がここ〔埼玉県騎西市〕に連れてきたというのは、そういうことを踏まえて住民を連れてきたのですよ。これはやがて歴史が評価してくれると思うのですよ。ですから今、私がどんなに泥をかぶっても、泥だらけにあなってもいいと思うのですよ。

(堀切)最初はともかく・・。役場がこっちに来るのだから、何だか分からないけれどもこっちについて行こうという方も多かったと思うのですけれども。でも時間が経つにつれて、ああ、やっぱり、遠くに逃げて良かった、とおっしゃる方が多いですし・・。

(町長)町を守るというのは、町の形を守るというだけではなしに、町を構成する住民を守らなければならない、できるだけ双葉町民は県外に出したいと思っていますけれども、は・・。あの日本の常識が今回の事故で、大きく変わろうとしています。非常識が常識にとって代わろうとしています。まず、事故の原因が追究されていない。無主物ということでまかり通っている、と。(放射能は無主物(漂う霧のようなもので誰のものでもない)と東電は主張する、との文字テロップ)賠償問題は、加害者が様式を作って、加害者の要求に従わないと金は払わない。しかし、そういう企業にどんどんと賠償支援機構法のもとに、支援機構は、お金を出し続けている。

そのお金はどこに行ったのでしょう、と。我々の所に来ないけれども、どこに使われているのでしょう。賠償支援機構法の目的の中に原子力発電所の安定的な運転に奉仕することを目的とするとの文言が入っているわけですよ、じゃあ、国民の皆さんの税金は、一企業の過失のなかで、とるべき安全対策をとらなくて起こした事故のために税金を使うことに是認することになってしまうのですよ。そうしたら今度の投資顧問会社、あれだって私は責任ありませんと言っている。あれがまかり通ってします。非常識が常識にとって代わろうとしているのですね。それに手を貸している集団がいるということですよ。

これに国民は気が付かないといけません。恐ろしいことが起きようとしています。起きているのですね。一私の仕事、一町長の出来る仕事の範囲を超えていますから、今の話は・・。だけれども責任あるものはいるのですよ。責任を取らなければならないものが。その責任をとならなければならない国が、ですね。我々に対して支援をするという言葉を使っているのですよ。私はその支援するという言葉を真っ向から否定したい。支援するというのは、民間の方、一般の方、地域の方々が我々を支援してくれることへの支援であって、あの方たちが言う支援であって、国は責任を取るなんですよ。これ以外の言葉、出ないですよ。これが、国民が気付かない。今回の事故でもっともっと国民の皆さんに気が付いてもらいたいために私は常にいろいろな角度から物を申し上げています。日本国家が正しい歴史を残すためにですね。


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