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<テント日誌 10/6(土)――経産省前テントひろば 391日目>     
  <福島を生>き、<ふる里を生>きる柏崎刈羽の闘い       
    〜柏崎刈羽現地交流バスツアーに参加して〜


 10月6日(土) 曇り  

 午前8時新宿西口前集合。東電の「世界最大の原子力発電所」のある柏崎刈羽現地交流会
バスツアーへの参加である。
 今年3月、6号機が定期検査で停止し、東電管内の全原発は停止し、稼働 原発ゼロの状態
が続いている。だが6月の株主総会に提出された東電再建計画には来年夏までの 再稼働が含
まれている。  
 福島原発の大事故があり、放射能災害が今なお進行中の現実として多くの人々が苦しみ続
けている中で、柏崎刈羽原発は首都圏の私たちにとっても「そこにある危機」として、私たち
の責任を問 い続けている。なんとしてでもこの目で見、この耳で聞いて確かめておかねば・・・
という思いに駆ら れてツアーに参加した。  

 ツアーの案内人は地元出身で、長年ふる里の仲間とともに柏崎刈羽原発反対運動に加わって
こられた菅井益郎さん。学者というより活動家そのものであった。  
 刈羽村では村会議員をされている近藤さんが合流してずっと案内して下さった。彼は東京の
大学に在学中から反対運動に加わり、大学をやめてふる里に帰り、魚を売り歩きながら運動を
すすめ、 村会議員になられたそうである。今もその形は変わっていないという。事実、初め
て出会ったとき、彼は村会議員というより魚屋さんそのものであった。  
 刈羽村村長は東電が村長の服を着ているようなものだと近藤さんは言う。原発マネーを湯水
のように注ぎ込んで造られている施設を見、静かな日本海に面して立ち並ぶ原 発の排気塔や
防潮堤を見、鉄条網のフェンスを厳重に張り巡らした原発の敷地沿いの道を走る。それは米軍
基地の敷地沿いを思い出させる。 
 このあたりは柏崎刈羽砂丘と呼ばれ、砂丘の上に建つ原発は、当初からとうふの上に建つ原
発として批判されてきたそうだ。柏崎刈羽原発は1〜4号機は> 柏崎市、5〜7号機は刈羽村
と柏崎市にまたがって(2:1の割合か)立てられている。  
 この時期日本海は静かで穏やかであったが、冬の時期には荒れ、4〜7mの高波となること
も珍しくはないそうだ。だが東電の想定する津波の高さは4mそこそこだという。 

 夜の交流会は圧巻だった。近藤さんの他に長年の反対運動の盟友、柏崎市の市会議員をされ
ている矢部さん、高橋さんが加わり、さらに彼らの高校の恩師であり、運動の顧問とでもいう
ような80歳の佐藤さんが加わって、お話をされた。 
 本当に長い闘いの歴史があった。烈しい闘いのようであった。と同時に集落ごとの住民組織
が作られ、住民に根ざした闘いであったという。そして闘いはずっと途絶えることなく継続し、
今も複数の市議会議員・村会議員を維持するだけの力をもって続けられている。   


 そういう闘いの上に3・11後、<福島>を間近に見、見据え、内面化しながら運動は新た
な展開へと踏み出しているように思えた。お話を聞いていて、柏崎刈羽の人たちはいわば<福
島を生きる>ということを意識されているのだと実感した。<福島>は<ふる里>に重なり、
<福島を生きる>という意識と<ふる里を生きる>という意識は繋がっているのだと。それは
中越地震によって大事故寸前までの事態を経験した人たちにとって切実なもののように感じら
れた。 
 実際、人口9万人の柏崎市に福島から1300人程が避難してきているそうだ。そして避難
している人たちの話を聞いて胸に迫るものがあると目を潤ませながら話される。「ふる里は原
発を許さない!」それはもう他に選択の余地のない揺るぎなき確信、それ以外ではありえない
という生き方、命そのものというように思われた。   
 持参した官邸前行動で書かれた寄せ書き、”柏崎刈羽原発を廃炉へ!”という周りに沢山の
思いが書き込まれた寄せ書きに大変喜んでいただいた。柏崎刈羽の人たちと首都圏の人たちの
心は繋がったのだろうか。 
 官邸前行動を見ながら、この地でも金曜行動が行われ、女性達を中心とした新たな市民運動
も生まれてきているとのことであった。   

 宿で美味しい魚と美味しい地酒をいただき、翌日には中越地震の断層と40億円をかけたと
いうアミューズメント施設と原発PR館を見学した。 
 断層によって道路は弓なりにへこみ、ある場所では断層による地盤沈下が止まらず、川もな
いのに橋が架けられていた。そしてこの断層はまっすぐに原発直下へと続いているそうだ。東
電は原発の手前で止まっていると言っているそうだが・・・。 
 そしてPR館には福島第2原発の復旧が9割完了したというポスターも掲示されていた。東
電は柏崎刈羽原発を再稼働し、さらには福島第2の再稼働も目論んでいるのだということをさ
りげなくアピールしているのだ。  
 柏崎刈羽原発の再稼働を許さず、廃止へと推し進めていくこと、そのために柏崎刈羽や隣接
地域の人たちと繋がりながら、私たちの最大限のことをなすこと、それは首都圏にあって<福
島を生きる>ことを意識しようとする私たちの責務のように思える。   ( Y・T )


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