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レポート=堀切さとみ
八月二十六日(日)
池袋・エポック10で「聞いて下さい・福島の声を」という集会があった。
「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」の森園かずえさん(写真)の話と、
埼玉に集団避難した双葉町の映画「原発の町を追われて」の二本立て。
映画製作をつうじて、ふるさとを追われた人たちの無念さと向き合ってきた私だったが
福島県にとどまって暮らす苦悩の深さをつきつけられて、
あらためて福島の人たちの、一筋縄ではいかない悔しさを思った。
○福島のさまざまな苦しみ
森園さんのことは、官邸前行動で「命を刻め!」と叫んで泣き崩れた姿を、ユーチュー
ブで見て知っていた。
郡山の自宅で、つれあい、二匹のネコと暮らしている。(私も埼玉のアパートで、二匹
のネコと暮らしてますと言って森園さんと意気投合)
自宅は、二階の線量が高いため一階にしか住めない。自分に子どもがいなかったことに
感謝しつつも、猫を被ばくさせてしまっていることを詫び、二階まで高くのびた大好
きな植物を除染のために切り倒したときは、一晩泣いたという。
そんな森園さんは、地域の子どもたちがまったく守られていないことに心を痛めている。
汚染土が積まれた真横を、小学生がマスクなしで通学する。
いくら除染しても線量が下がらないコンクリートのプールサイドに、
鉄板と人工芝を敷いて子供たちにプール指導をする小学校。
市に中止してほしいと申し入れをすると、わかりましたと言ったそばから
翌日にも再開されているという事実・・・。
モニタリングポストも、線量が高いと市民が怖がるという理由で、
低い線量が出るメーカーの機械を併設したり、すでに除染してある場所に設置したり。
そういう状況の中で一番悔しいのは、疑問視する大人があまりにも少ないことだ。
「こどもを守れ」という声は、首都圏ではこんなに大きくなっているのに。
政府交渉などで東京と郡山を往復する森園さんは、そうした矛盾を一手に抱え込んで生
活しているのだ。
○「フクシマは安全だ」という踏み絵
「エートスプロジェクトって知ってますか?」
森園さんが質問すると、会場からはパラパラと手が挙がった。
「まだまだ知ってる人、少ないですね。このプロジェクトのことを話そうとすると悔し
くて・・」。
エートスプロジェクトというのは、原発事故の被害を最小限に見せようという意図をも
った者たちが、福島県内で推し進めている安全キャンペーン。チェルノブイリの時に始
まっていたという。
福島原発事故直後、長崎大の山下俊一が福島入りし「年間100ミリでも大丈夫」「放
射能の影響はニコニコ笑ってる人には来ません」といって回ったが「放射能より怖いの
は、
放射能を恐れる不安感」「必要なのは心の除染」という働きかけは、福島県内でますま
す強くなっている。
最近でも「ピーチ・プロジェクト」といって、大阪の小学生を招き、福島の桃の食べ放
題をさせるイベントが計画された(抗議によって中止になった)ことは知っていたが、
汚染の高いところでスポーツ大会が開かれ、東北出身の駅伝選手・柏原クンなどが参加
したり。気持ちを盛り上げてくれるのをありがたがる人が多い中、選手生命が短くなる
のではと森園さんは心配していた。
福島県内はどこまで情報から遮断されてしまっているのか。
会場から、福島では小出裕章の講演を聞く機会はないのかという質問が出た。
森園さんは「小出さんの話を聴きにくる人はいつも同じ人たち。福島はあまりにも早い
段階で、山下俊一イデオロギーが入り込んでしまった」という。
さらに「山下さんのことは、福島の人も本当は大嫌いなんです。だけど福島で暮らすか
らには、’安心・安全’を言われたいんです」
○住民対立の陰にかくれて
マスクをしているかいないか。福島県産の野菜を買うか買わないか。
そうしたことが時に踏み絵になり、日常的にも「あの家はそうなのね」という区別分け
を住民自らがしていく。
「命を刻め!」そう叫びながら福島に住み続ける森園さんのような人を追い詰める力は
、まぎれもなく強まっている。このことは、県外避難の双葉町を追いかけている私も痛
感することだ。
映画にも出てくるが、同じ双葉町の中でも、福島から出て行った奴は許せないという声
があったり、
役場を県外に移したことに反発し、町長を辞めさせようとする議会の動きもあり、
福島を安全と思うか思わないかの違いで、住民が対立する構造が作られている。
集会の後、何人かの人から聞かれたのは、双葉町の「弁当問題」のことだ。
双葉町役場のある埼玉県・旧騎西高校は唯一、国から弁当が無償で配布されていたが、
他の避難場所にいる町民からの反発を招きこの九月から弁当を有料にすることになった
。井戸川町長は介護が必要なお年寄りなど、他に行くところのない人たちの「最後の砦
」をまもるべく、最後まで有料化を食い止めようとしていたがおさえきれなかったのだ
。
本来、すべての原発避難民に対し国家予算で食費など保障するのは当たり前のことだ。
それを一部(旧騎西高校)にしか保証してこなかった国の在り様が問われることもない
まま、即自的な住民感情でものごとが動いていく。
私はこれが、涙が出るほどくやしくてたまらない。
双葉町の人たちは、必ずしも先進的な町民ではない。
ある意味当たり前の、さまざまな利害感情に翻弄されるフツーの人たちだと思う。
だからこそ、県外に役場を移したことでその動向が注目される中、町民どおしのやっか
みばかりがクローズアップされることは容易に想像でき、そして本当に責任をとるべき
人間が守られてしまうのだ。
○何事もなかったかのように
帰りがけ、映画をみた男性が「ちょっと、いいですか」と声をかけてくれた。
「あなたは線量が高いからといって、福島県から誰もいなくなってもいいと思うんです
か?」
映画のトーンは、たしかにそうですね・・。
私は
「本来、人が住んじゃいけないところですよ」と言った。言いながら、
「双葉に戻れなくても、双葉町に一センチでもいいから近いところで死にたい」とい
うお年寄りのことを思っていた。
井戸川町長は、一センチでも‘爆心地‘から離れて暮らすべきだという信念のもと、
埼玉に避難を促した。でも、子育て世代ならまだしも高齢者はいいのでは・・・・・。
私自身、気持ちは揺らぎ、町長に聞いたことがあった。
「年寄りが戻りたいから戻るっていうだけの話じゃない。介護する若者の手が必要でし
ょう。
家系の継承っていうのが一番大事なんですよ。だから、年寄りは
若い人を犠牲にしちゃいけない・・・・井戸川町長はそういってました」
そう言ったら、その男性はあっけないくらいに納得してくれた。
線量が高いにもかかわらず「あと何年もないのだから、ふるさとで死にたい」という、
高齢者の思いを利用して帰還政策がすすめられているが、じゃあ果たして、高齢者は戻
ってよかったと思っているのか。一年以上放置され、荒れ果てたところで暮らすには
実際のところ困難だらけだ。
でも目に見えず臭いもない放射能の中で、人はたしかに今、そこで暮らすことはできる
。
「今」だけでいい利権集団にとっては、福島にたくさん人が戻り、
平穏な日々がちょっと続けば、それでいいのだ。
しかし、先を見つめ、将来を案じる人はいる。
「日本を滅ぼしたくない」という双葉町長。
「故郷をほこりに思うけれど、戻らない」という双葉町民。
彼らは「自分たちは棄民だ」という。
野田首相がいう、棄民ではない国民って、
いったい誰のことだ? 問いただしてみたい。
そして、小出裕章氏がつい先日講演で語った
「一度しかない人生。自分の思うように生きるべき」という言葉を
たとえ空しい問いかけだとしても、一人ひとりが胸に刻むべきなんだと思うのだ。
動画(集会全記録・2時間)
Created by
staff01.
Last modified on 2012-08-28 20:45:24
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