本文の先頭へ
報告 : シカゴメーデーで脱原発を訴える
Home 検索
報告=Oidon

5月1日、シカゴメーデーに参加です。昨夜、ホテルへ戻ってから参加者が一部屋にあつまり、総出で紙の脱原発鯉のぼりを400個作り、3mの緑色の鯉のぼりに脱原発の表示を入れました。作業は12時少し前に終了し、みなさんで雨が降らないように祈りました。すると今朝は薄日が差す天候です。しかし、2つのウエッブサイトをチェックした全国一般南部支部ウェザーニュース労組ケイン委員長から雨と晴れの全然違う予報があるとの情報があり油断は禁物です。

 午前中、ヘイマーケットの記念碑の前で記念式典が行われました。記念碑の土台には寄付をした各国のナショナルセンターのプレートがあり、本日の目玉は新しく寄付をしたメキシコの独立系組合FAT(労働者真正戦線)のプレートのお披露目です。式典は歌で始まりました。その後、ジンバブエからの移民労働者の司会でシカゴの各団体(人権や移民労働者支援等)と労働組合(ポストワーカー、教職員)の代表の挨拶があり、最後にメキシコの労働組合委員長の挨拶がスペイン語(英語通訳者付き)で行われました。メーデー発足地のシカゴでは逆にメーデーが下火となり、ここ数年で徐徐に復活して来ているようです。記念式展には100名くらいの参加者がいました。緑色の鯉のぼりが目立ち、注目されました。デモで使う予定の紙鯉のぼりもこれは何だと多数の質問者がいて、質問者には説明して配りました。式典が終わった頃、式典の横の通りを20〜30名の黒ずくめの集団がさっと駆け足で通り抜けました。オキュパイシカゴの若者たちのようでした。

 メーデー会場の公園まで歩いて移動しましたが大分遠かったです。集会は始まっているのかどうか不明の雰囲気です。とりあえずお腹がすいていたので、集会カンパを払い、無料で提供される食物と飲み物(カンパと引き換え)を確保し腹ごしらえをした。生憎と雨が降り出し、パレードが出発を始めました。良く判らないままパレードの最終グループに入り、脱原発鯉のぼりのスダレを出し、スダレを3つに分け、横に広げ、3mの緑色の脱原発鯉のぼりは2本の旗竿で掲げ、パレードに参加しました。また同時に竹串に差した脱原発鯉のぼりも参加者に配りました。脱原発鯉のぼりスダレと3mの脱原発緑鯉のぼりは非常に目立ち、次々とカメラやビデオに撮影され、脱原発の訴えを広めることが出来ました。

今年のメーデーは移民労働者が参加し、去年よりもずっと多く、約1500名が参加しました。公園から市の中心部まで約3kmの道のりです。

 最後に解散地点で集会が持たれました。宗教者やメキシコ労働組合代表、移民労働者が次々とステージにされたチームスターの組合バスに登壇して挨拶をします。最後から2番目に日本チームが紹介され脱原発緑鯉のぼりを皆さんが持って登壇し、僕が代表して、「シカゴのメーデーに参加することが出来て光栄です。私たちは脱原発を訴え、パレードをしました。福島の事故で日本中が放射能に汚染されてしまいました。日本では鯉のぼりは子供の成長を願って5月に掲げられます。この鯉のぼりは脱原発のシンボルです。5月5日に日本中の54基の原発がすべて停止します。世界の仲間と連帯して世界中のすべての原発を止めましょう。」と挨拶を行いました。挨拶は十分に伝わったようです。

 午後6時からオキュパイシカゴに参加している労働組合の皆さんと交流会を行いました。話は尽きず、ホテルへの帰宅は深夜(地下鉄は24時間動いており、移動はもっぱら地下鉄を使っています)となりました。





Created by staff01. Last modified on 2012-05-04 15:11:00 Copyright: Default

このページの先頭に戻る

レイバーネット日本 / このサイトに関する連絡は <staff@labornetjp.org> 宛にお願いします。 サイトの記事利用について