テント日誌(番外編)〜人生初のハンストに決起〜“犠牲のシステム”としてのエネルギーを考える | |
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黒鉄好@福島です。
遅くなりましたが、テント日誌、番外編をお届けします。 ------------------------------------------------------------------ テント日誌(番外編)〜人生初のハンストに決起〜“犠牲のシステム”としてのエネルギーを考える 経産省前テントひろば 2012.4.26 第229日目 天気・曇(東京:最高気温20.6度/最低気温16.5度) 前回のテント日誌(4月8日、211日目)からわずか18日しか経っていないのに、一気に暖かくなった。このテント日誌番外編には毎回、その日の最低/最高気温を記すことにしているが、今日の最低気温は前回の最高気温を上回っている。冬から一気に初夏になった感覚だ。 私の住む白河では、早いときでは11月初旬に初雪が降り、遅いときは4月中旬以降も雪が降ることがある。私が白河に住むようになってからの5年間で、一番早い初雪は11月3日、一番遅い降雪は4月21日。すなわち1年の半分は冬である。特に1〜2月は最高気温が0度未満の「真冬日」が半月以上にわたって続くこともある(今年は真冬日が正月から2月半ばまで1ヶ月半も続いた)。洗濯物は凍るので冬の間、ほとんど外に干せない。原発事故のため1年中洗濯物が外に干せないという事態になっても、私たちがあまり慌てることがなかったのにはそうした事情もある。 だからこそ福島では、春の訪れがことのほか嬉しい。西日本のように、季節が進むに従って順々に花が咲いていくのと違い、福島では春の訪れとともにあらゆる花が一気に咲く。まさに百花斉放の春である。「春が来た春が来たどこに来た 山に来た里に来た野にも来た」と歌われる唱歌「春が来た」の作詞者・高野辰之は長野県の出身だが、私はここ白河に住むようになって、この歌詞を書いた高野の気持ちが初めて理解できたような気がする。 新潟ではこの冬、除雪費が過去最高を記録したという。例年にも増して雪が多く、被災地にとって試練ともいうべき長く苦しい冬だった。だが、冬来たりなば春遠からじと言われるように、どんな厳しい冬でも終わりは必ずやってくる。この社会がみずから背負い込んでしまった「核の冬」を今こそ終わらせるときなのだ。 人生で初めてハンストに立つことにした。大飯再稼働阻止のため、たったひとりでハンストを始めた中嶌哲演さんに応え、ここテントひろばでもハンストが繰り広げられている。私にとって馴染みの顔になった「原発いらない福島の女たち」も入れ替わり立ち替わり、ここを訪れている。午前10時過ぎにテントに着くと、ちょうど外国メディア向け記者会見が始まろうとしている。参加申込用紙に名前を書いていると、記入は後でいいから先に法被を着るように言われ、そのようにする。今日がちょうどチェルノブイリ事故26周年の日であることを、このとき司会者が発言するまで忘れていた。 チェルノブイリ事故が起きたとき私は高校生だった。原発について初めて考えたのもこの事故がきっかけだ。「日本にも放射能が来るかもしれないので、雨には濡れないように」と教師に言われたことを今でも覚えている。遠く離れた日本で、雨が降るたびに怯えなければいけない原発って何なのだ? と疑問を持ち、このとき反原発の政治的立場が確定した。 当時、1週間に1コマだが「国語表現」という授業があった。生徒が小論文を書いて出席番号順に発表し、他の生徒は感想を書く(原則1回の授業で発表者は1人)。今から思えば教師の手抜きとしか思えないような企画だったが、それでも表現力をつける上で格好の訓練にはなった。私に順番が回ってくる数週間前、「社会的な内容を取り上げた小論文が少ない」と担当の国語教師がぼやいているのを聞いて、それなら自分が取り上げてやろうと思った私は「原発とエネルギー」という小論文を書き、脱原発を訴えた。クラスメートからの感想の中には「電気の3割は原発で作られている。今原発を止めると、電気はどうなりますか?」というものもあった。電力問題なんて、当時の高校生ですらちゃんと議論していたのだ。 私にとっては、1960年代までの日本は原発がなくてもやっていたのだから、今後もやれるはずだという皮膚感覚のようなものもあった。件の感想の書き手にその考えを伝えると、納得したような、していないような、よくわからない表情だった。 今、原発推進・再稼働の手先として振る舞うマスコミは毎日のように「電力不足」をあおり国民を脅しているが、26年前の高校生ですら議論していたことを今になって慌てふためくとは、日本のメディアも墜ちるところまで墜ちたものだ。"The more we have,the more we want."(人は持てば持つほど、ますます欲しくなる)という英語のことわざもある。「欲望に任せていてはキリがない。“足るを知る”、足りる範囲で生活する」が電力問題に対する私の答えだ。 外国メディアとの記者会見の冒頭、福島からの参加者ということで司会者からマイクを向けられた私は福島の思いを精一杯伝えた。「福島では今、原発を動かしていいと思っている人など1人もいない。ぜひ、再稼働が狙われているすべての地域にこの福島の経験を共有してもらいたい。私は、新たな福島をどこにも生んでもらいたくない」「福島のお母さんたちは、電力が足りるとか足りないとか、そんな議論自体したくないと言っている。足りなければ再稼働するのか。家族が全員、健康で寄り添って幸せに暮らせるならロウソクでもいいというのが福島の思いだ」と発言すると、テント前の聴衆から拍手が起きた。 当然のように電力問題に対する質問もあった。経済問題をどう考えますか、という質問には「人の命も守れない経済って何ですか?」と怒りの言葉がふと、口をついた。「原発のない日本を子どもたちに残してやれるなら、私は原発ムラと刺し違えてもいい」とまで発言した。そのように思っている福島県民は少なからずいる、と私は想像している。 外国メディアとの会見は11時頃終了した。米国ウォール・ストリート・ジャーナル紙の女性記者は、以前どこかで会っているような気がするが思い出せなかった。ウォール・ストリート・ジャーナルや、英国フィナンシャル・タイムズなどの外国メディアは一切の偏見を持たず、よく取材して書いてくれている。特にフィナンシャル・タイムズの記事はネットにも日本語訳記事が掲載されているが、「作物は安全なのに……か、それとも安全など信じられないか 2つの異なる視点」(http://news.goo.ne.jp/article/newsengw/world/newsengw-20120125-01.html)や、「福島へ、それは奇妙な里帰り」(http://news.goo.ne.jp/article/ft/nation/ft-20120411-01.html)等の記事は、福島に住んでいる私の目から見ても違和感なく読める。ロクな取材もせず適当に書き散らかして終わり、の日本の記者クラブメディアとは雲泥の差だ。 昼頃、日本ハンスト界の第一人者(?)、佐久間忠夫さんがやってきた。JR東日本の株主代表訴訟第2回公判が午後2時から東京地裁で開かれる。その後、根津公子さん、河原井純子さんの「日の丸・君が代」訴訟もあるので、その前にテントに立ち寄ってくれたのだ。JR株主代表訴訟には私も傍聴に行く予定にしている。午後1時半頃までテント前で佐久間さんと雑談した後、ハンストは日没まで続ける旨をテントのメンバーに伝え、テントを辞する。 JR東日本の株主代表訴訟については「地域と労働運動」誌第136号に掲載した拙稿をご覧いただきたい(インターネットでは、安全問題研究会サイト(http://www.geocities.jp/aichi200410/120125kabunusi.html)に掲載)。午後2時から始まった第2回公判では、原告(株主)側弁護士が信濃川からの不正取水を「故意ではない」とする経営陣側の主張に証拠を挙げて反論した。経営陣側からは何らの主張も行われなかった。 この裁判で、呆れたのは経営陣側を「応援」するため、法人としての会社(JR東日本)が「補助参加人」となっていることである。会社は経営陣の失態のために根拠なく自分のカネを不当支出されたのだから、本来なら株主の側に立ち、経営陣にカネの返還を求めなければならないはずである(私は、本来なら会社は自分に損害を与えた経営陣を背任罪で告発すべきと思っている)。それを、自分のカネを不正支出した「泥棒」を弁護しているのだから話にならない。改めて企業は誰のものなのか考えさせられる。privatizationという単語は、やはり民営化などではなく、正しく「私有化、私物化」と訳すべきだ。 この裁判を通じて思うのは(先の「地域と労働運動」誌の拙稿にも記したが)、水力発電もまた地元に大きな犠牲を強いることで成り立っているということである。今、原発「代替エネルギー」の議論があちこちで行われているが、脱原発はいいとして、原子力以外のエネルギー源に問題はないのか。水力は誰かに犠牲を押しつけていないか? 火力は? 私が今回、このテント日誌のタイトルを「“犠牲のシステム”としてのエネルギーを考える」にしたのは、こうした問題意識からである。「初めにどれだけ使うかを決めて、その後に供給策を考える」のでは、無駄遣いをしたあげくに消費税増税という官僚の予算要求と同じだ。初めに消費ありき、という文化を転換しなければ悲劇を終わらせることはできない。「みんなが納得できる負担の中で、節約し、知恵を出してみんなが納得できるように使う」――これが、ポスト原発、ポスト資本主義の時代のあるべき社会の姿である。 JR東日本株主代表訴訟の報告集会に出席しているうちに日没を過ぎ、ハンストをやり遂げることができた。ハンストのために自分で作った「再稼働? 寝言は寝て言え」「福島は再稼働を絶対に認めない」の2枚のプラカードは結果的に好評だった。ハンストは苦しいものだと思っていた私の固定観念は、よい意味で覆された。ただ座っているだけで、いろんな人がやってきて、話をしていると空腹でもそんなに苦しいと思わなかった。次回はもっと日数を増やして、さらなる高みを目指してみるのもいいかな、と思っている。私が絞り出した福島の思いは、外国メディアの手によって発信され、インターネットを経由して多くの日本の市民も見ることになる。その思いが日本中の人々に伝われば、再稼働など吹き飛ぶだろう。今は未来のために、若者と子どもたちのために、死にものぐるいで頑張るときだ。 日本に残る最後の稼働原発、泊3号機が止まる5月5日はこどもの日だ。今、「原発いらない福島の女たち」の間では「5月5日、子どもたちに原発のない日本をプレゼントしよう」が合い言葉になっている。5月5日、脱原発が実現したあかつきには、ささやかに祝杯でも挙げるとしよう。 (文責:黒鉄好) ----------------------------------------------------- 黒鉄 好 aichi200410@yahoo.co.jp 首都圏なかまユニオンサイト http://www3.ocn.ne.jp/~nakama06/ 安全問題研究会サイト http://www.geocities.jp/aichi200410/ Created by zad25714. Last modified on 2012-05-03 01:51:30 Copyright: Default |