飛幡祐規 パリの窓から(19)大江健三郎さんと鎌田慧さんがパリで語ったこと | |||||||
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原発を止める力と人間の威厳ー大江健三郎さんと鎌田慧さんがパリで語ったこと3.11から1年が過ぎ、フランスでも東北大震災と福島第一の原発事故「一年後」のさまざまな催しが各地で行われ、多くのメディアで特集が組まれた(南フランスで行われた反・脱原発派市民による巨大ヒューマンチェーンについては後述する)。そのなかで、ここでぜひ紹介したいのは、今年パリのブックフェア(3月16〜19日)に招待された大江健三郎さんと鎌田慧さんが語ったことだ。会期中にいくつも行われた討論会・対話をとおして、彼らの真剣で明快な、重みのある言葉をじかに聞くことができて、わたし自身を含め、聴衆は深い感銘を受けた。 フランス(欧米)では福島第一原発の事故は「カタストロフィー(大惨事・破局)」と表現される。ブックフェアの討論会ではしたがって、「カタストロフィーと文学」というテーマが頻繁にとりあげられた。大江さんは福島の原発事故後、自分の最後の作品だと思って8年来書きつづけていた小説を放棄し、自分の最後の文章・仕事として、「実況放送のように」今起きている事態、見たもの、福島によって時代について発見するものを書き始めたという(「群像」に連載中の「晩年様式集(イン・レイト・スタイル)」)。大切な友人だったエドワード・サイードの遺稿『晩年のスタイル(on late style)』を受け継いで、個人的なカタストロフィーを書いて死ぬつもりだったが、社会(国、世界)全体が今、カタストロフィーの中にあるという事態にいたったからだ。 1963年と翌年に広島を訪れた大江さんは、重態の被爆者と医師たちのもとに赴き、彼らの言葉を聞いた体験が小説家、そして人間としての根本的な転機となった(『ヒロシマ・ノート』1965年)。広島で人間の悲惨と威厳に出会う直前、家庭では障害をかかえた息子が誕生していた。それを受け入れるという個人的な苦悩・危機もまた、大江さんの文学と人生における新たな出発点となった(『個人的な体験』1964年)。公私両面で遭遇した危機の不思議な「ねじれ」の関係の中で、大江さんのその後の文学と人生が編まれていく。 ところが原発事故が起きて、大江さんは「歴史」だと思っていた広島が終わっていなかったことを痛感した。かつてインタヴューした肥田舜太郎医師から、広島を歴史のように書いたのは間違いだったと指摘された大江さんは、低線量の被曝について自分は『ヒロシマ・ノート』に書くべきだったと語る。「あのとき私たちが告発していれば、今、福島の子どもたちが受けている被曝に対する警戒の声がもっと大きく発せられただろうに。私は根本的なモラル(倫理)において、あのとき間違っていた」。 「根本的なモラル(倫理)」とは、すべての討論会で大江さんが引用したミラン・クンデラの言葉である。チェコ出身の作家クンデラは晩年のエッセイ『カーテンーー7部構成の小説論』の中で、作家は一生をかけて「根本的なモラル」を作品として提出して死ねと書いている(作家にかぎらず、すべての人間にそれはあてはまる、と大江さんは言う)。その根本的な倫理とは、次の世代の人間が人間らしく行きていける条件を妨げないこと。そして、妨げようとするものと闘うことだ、と86歳のクンデラは言っている。この倫理を引き受けようではないか、と大江さんは訴える。 彼はさらに、原発再稼働を狙う日本の政府には、この根本的な倫理が欠けていると批判した。日本は今や、1994年のノーベル賞受賞記念講演のタイトルにした「あいまいな日本」ではなく、アジアと世界中に厖大な量の放射性物質をふりまいても原発政策を改めず、日本全体を覆うカタストロフィーについてまじめに考えない「醜い日本」である、と。広島・長崎で示された核の暴力による悲惨を、その後の日本はなかったことにして、原発によって核を生産する力を引き受けようとした、と彼は語る。その否認が福島の原発事故を引き起こし、事故後も同じ否認がつづいている。 一方で大江さんは、去る3月11日に自分も参加した郡山の県民集会で発言した農民や漁民の妻の屈服しない姿について語り、カタストロフィーを積極的に受け入れようとする彼らの威厳に対する尊敬の念を表明した。日本全体を大きな病気が覆っているという表現を使い、日本人がひとりひとり、自分自身で直していかなくてはならないと大江さんは考える。それは、何の責任もとらない電力会社や政府、自治体などが市民におしつけようとしている「自己責任」とは正反対の、倫理的なアプローチを意味していると思う。東京の人間が自分が病気であることを告白し、福島や沖縄の人の運動につながっていく……。福島で示されていることは、人間社会(世界)のバランスが根本的に壊れてしまったことをあらわしているのではないか?それを認識しなくてはならない、という大江さんの言葉は、弱さや障害、病気や無駄をなにがなんでも排除しようとする現代社会、ネオリベラル思想への警告である。それらすべてといっしょに生きることによって、人間(社会)はバランスを保ちつつ、人間らしく生きられるのではないだろうか。 労働者のおかれている非人間的な状況(『自動車絶望工場』など)や社会差別、公害問題や地域開発に伴う環境問題を数多くのルポルタージュで描いてきた鎌田さんは、40年前から日本各地で原発建設反対運動を取材しつづけている(『日本の原発地帯』、『原発列島を行く』など)。彼は35年前すでに、原発事故がそのうち日本で起きると書いた。しかし、福島の事故が起きて、原発への批判をこれまでなぜもっと激しくやってこなかったか、書くだけでなく自分の身体と命をかけて人々を動かそうとしなかったのかという自責の念にかられ、大江さんらと「さようなら原発1000万人署名」を呼びかけ、全国あちこちを走り回っている。さまざまな人に接して当事者の声を自分の身体にとり入れることによって、書く力が回復されることもある、と鎌田さんは言う。今、福島の原発事故のなかで悲惨と威厳があらわれているが、人々の威厳を発見し、威厳をもった人間を描くことで、悲惨を乗り越えていくという作業があると語る。作品と社会、人々、運動とが関わりあい、全部が深まるかたちで動いていくことが、鎌田さんの希望であり信念である。 鎌田さんはブックフェアに先立つ3月14日にも、市民団体「脱原発パリ」がパリ2区の区役所で催した会で、日本の「国策民営」原発体制について話した。政治家が原爆投下による敗戦のコンプレックスをプラスに転換させるため、原発によって核武装の可能性を手に入れようとしたこと。原発は原爆と異なる「平和利用」だという情報操作が行われ、日本人の意識が変わってしまったこと。放射能に対する恐怖を厖大な額のカネをばらまいて押しつぶし、地域の反対運動と人々を分断してきたこと。部屋に入りきれないほど大勢の市民が集まり、活発な質疑応答の行われた鎌田さんを囲む会は、3時間にわたった。 大江さんと鎌田さんふたりを迎えたブックフェアでの討論会で、フランス人の司会は、両者のアンガージュマン(知識人や芸術家の社会運動への参加)をふまえて、文学の力や作家の役割について質問した。大江さんははっきり、今、日本の作家にできる唯一のことは、再稼働をやめさせる力になることだと答えた。鎌田さんは、原発推進勢力が厖大な資金によってマスメディアを独占的に支配し、作家や評論家、芸術家が他に表現できる場をもっていないために、アンガージュマンが難しい状況を語った(ちなみに原子力については、アンガージュマンという言葉を生んだフランスも同じ状況にあり、津波・地震の被害者へのチャリティーに熱心なアーティストは大勢いるが、反・脱原発を唱える有名人はほとんどいない)。 「文化が原子力によって汚染されてきた」状況はしかし、今ようやく崩れてきたと鎌田さんは言う。原発にかぎらず、水俣病をはじめとする公害や環境破壊など、20世紀の巨大な技術と産業がもたらした人間と社会の破壊を凝視しつづけてきた彼は、21世紀は小さな技術を組み合わせて、平和に生きる時代にしなければならないと主張する。5月の初めにすべての原子炉が停止する予定の日本は今、もっと人間的な新しい時代を踏み出せるかどうか、あるいはさらに大きなカタストロフィーをよんでしまうかの境目にある。 なぜなら、今の状況は広島のあと長崎を待っているのに等しいのだから、と鎌田さんは指摘する。かつての日本政府が天皇制を守ることばかりに固執して、広島に原爆を受けても降伏しなかったように、今日の日本政府は福島で原発事故が起きても、原子力体制を守ることしか考えていない。それを変えさせる方法は唯一、もっともっと大勢の市民が声を上げること、大衆の力だ、と鎌田さんは結んだ。まだ力が足りないが、なんとかしてやっていこうと。 最後に、3.11に行われたフランスの反・脱原発行動のうち、フランス南部のリヨンからアヴィニヨンまで235km(ほぼ福島=東京の距離)の国道上をつないだ巨大ヒューマンチェーンについて、簡単に報告しておく。これは、昨年の福島第一での原発事故勃発後すぐ、南フランスのアルデッシュ地方の市民たちが始めたヒューマンチェーンが、しだいに他の町や地方に広がっていったものだ。発起人のクリスティーヌ・ハスさん(写真上)は農場に住む鍼師のドイツ人女性。それまで反原発運動をしていたわけではないが、日本に行ったこともあり、福島の事故に衝撃を受けて行動を起こしたのだという。 昨年秋には、リヨンに本部を置く「脱原発ネットワーク」が巨大ヒューマンチェーン企画の音頭をとることになった。リヨンからアヴィニヨンまでのローヌ河流域は、14基の原子炉が密集するヨーロッパ一の原発銀座だが、これまであまり大規模な反対行動がなかった。主に国道7号線上の60地点に地元からはもちろん、パリをはじめフランス各地やドイツからも貸し切りバスで人々が集まり、主催者発表によると6万人が参加して、人間の鎖を組んだ。 福島と日本の状況を報告するために参加したモンテリマールの記者会見では、ニジェール、フィンランド、ドイツ、ロシアからの代表の発表があった。それから、緑の党(EELV)、左の党(Parti de gauche)、反資本主義新党(NPA)など政党の代表が、大統領選に向けて「脱原発ネットワーク」が送った公開質問状に答えて、脱原発とエネルギー政策についての見解を述べた。原発を推進する与党保守UMPの不在は当然だが、一応「脱原発依存」を掲げた社会党も来なかった。二大政党からこのテーマがいかにみくびられているかをあらわしている。 昨年秋、社会党と結んだ大統領選と総選挙に向けた協定で、脱原発について大幅な譲歩を強いられた緑の党(EELV)は、イメージアップをはかったのか、ヒューマンチェーンには積極的だった。大統領候補のエヴァ・ジョリ、元環境大臣のドミニク・ヴォワネ、反グローバリゼーション運動で有名なジョゼ・ボヴェなど、知名度の高い人物がクリュアス原発前のヒューマンチェーンに集合したため、地上波テレビもそうした光景を少しは報道した。もっとも、数万人を動員するヒューマンチェーンは、フランスでは初めての「歴史的」なアクションだったことを思えば、マスメディアの反応は今回も冷たかったと感じる。 それでも、ヒューマンチェーン後の「脱原発パリ」の定例会にはこれまでのメンバーに加え、脱原発の活動に興味をもった人が何人もやってきた。マスメディアがいかに無視しようと、福島の事故以降、フランスでも「安全神話」は崩れ、原発に対するフランス人の意識が変化しているのをこの1年で感じる。 〔フランスの原発について「宗教と現代がわかる本2012」(平凡社)でレポートを書いたので、興味のある方はのぞいてみてください。〕 2012.3.22 飛幡祐規(たかはたゆうき) *ブックフェアの写真は、中島実穂さん撮影。 Created by staff01. Last modified on 2012-03-23 13:40:10 Copyright: Default |