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熱いドキュメンタリー『ラブ沖縄@辺野古・高江・普天間』
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寄稿 : 正木俊行

『ラブ・沖縄@辺野古・高江・普天間』を、東京・東中野のポレポレ坐で観た。

 米軍基地に対する8年前からの、そして今まさに問題の渦中にあるオスプレイまでを記録した、熱い熱いドキュメンタリーだ。

 沖縄の基地問題を描いた優れた映画は、小林アツシ監督の『基地はいらない、どこにも』(2006年)を始めとして数多くあるが、今回の藤本幸久・影山あさ子両監督のこの作品は、徹底して沖縄の住民とその闘いぶりに立脚したものだ。

  上映後、藤本監督からも、自分の立ち位置を住民から問い詰められたという話があった。沖縄防衛局が強行したボーリング調査で、作業を中止させるための抗議 のカヌーに、カメラを持って乗せてもらう。同乗の人から、監督は「あなたはどうするんですか。もうすぐ作業船がやってくるんですよ。見学ですか?」…と問い詰められる。

*写真左から藤本幸久監督・ゲストの山城博治さん(沖縄平和運動センター事務局長)・影山あさ子監督

 海に入って作業船を横から押すという実力行使を経験した監督は、「私の凛々しい姿は残念ながら記録に残っていないんですよねぇ」と観客を笑わせた。

 2時間近い長尺で、その映像のかなりの部分に、工事の強制着工などに反対する住民の文字通り体を張った、怒号の飛び交う闘いのシーンが登場する。

 沖縄のことをメディアを通じた二次情報でしか知らない私は、これほどに、文字通りの「闘い」が行われていたという事実を知って圧倒され続けた。

 何年か前に熊谷博子監督の『三池』を観たとき、「まさに戦争が行われていたのだな」という感想を抱いたのを思い出した。

 闘い…、市民運動のなかで、いわば比喩として「我々の闘いは…」と言及されるその「闘い」は、ここ沖縄ではまぎれもない事実なのだということを思い知らされた。

 沖縄から遠く離れているために、いや、遠いからという理由付けをして、何も知らずにのんべんだらりしていることの罪深さ。  その私の曖昧な感想は、宣伝パンフの中で高橋哲哉氏が的確に表現してくれている。一部を引用しておきたい。

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 この映画を見るとき、「本土」の日本人は、いやおうなく一つの問いの前に立たされる。
 私はどこにいるのか。
 私のいる場所は、この構図のなかで、どこに位置しているのか。 (略)
 この映画を「本土」で観て、消費するだけに終わってはならないだろう。
 沖縄の人びとが辺野古でも高江でも、その他のところでも、闘う必要がなくなるために自分は何ができるのか。
 それを考えなければならないのだと思う。
(高橋哲哉)
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 警察の暴力、抵抗する住民、怒号の飛び交うシーンが押し寄せて、正直見続けるのはつらい。しかし日本に暮らす人間なら、一度は見るべき作品だといってよいだろう。

*映画は東京・ポレポレ東中野で公開中。


Created by staff01. Last modified on 2012-12-10 17:27:14 Copyright: Default

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