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山口正紀の渾身レポート:6・11堅川公判報告・交流集会
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検察官に起訴を後悔させるような裁判に
 6・11堅川公判報告・交流集会レポート

 山口正紀(ジャーナリスト、「人権と報道・連絡会」世話人)

 6月11日午後1時半、東京地裁429号警備法廷。不愉快極まりない身体検査を受け、手荷物を取り上げられて法廷に入ると、「被告人席」の園良太さんが私に気づき、2度3度と力強く頷いた。約半年ぶりに見る彼は、過酷な勾留生活がうそのように元気に見えた。

 私が園さんを知ったのは、2008年10月、麻生邸リアリティツアーで彼が不当逮捕・勾留された直後だ。以来、彼らが起こした麻生邸国賠訴訟を私が応援したり、私がかかわっている「壊憲」ための国民投票法反対運動で街頭演説を手伝ってもらったり、人権と報道・連絡会の例会で、反原発デモ弾圧の実態を報告してもらったりしてきた。

そんなかかわりの中で、息子のような年齢の園さんの、原則的かつ情熱あふれる闘いぶりに、新鮮な驚きと敬意を覚えてきた。デモの先頭で飛び跳ねるように歩く彼の姿は、体の奥に、闘いのエネルギーが際限なく湧き出る熱い源泉があるのか、と思わせるほどだ。それだけに、公安警察が彼を「目の敵」にしているだろうと、心配もしてきた。2月9日の不当逮捕、その後の不当起訴、長期勾留は、全国で荒れ狂う野宿者弾圧であるとともに、園さん自身をターゲットにした公安警察・検察の報復でもある、と私は思った。

堅川弾圧公判について、「2.9堅川弾圧救援会」のメンバーから話を聞き、レイバーネットのHPで公判レポートを読んで、自分の目で裁判の実態を見たいと東京地裁に足を運んだ。幸い、抽選に当たり、まず目に飛び込んできたのが園さんの力強い笑顔だった。第3回公判の内容は別の方が報告され、私は同夜開かれた公判報告会のレポートを書かせていただくことになった。ただ1点、公判の証人尋問で「これは許しがたい」と思ったことだけ、記しておきたい。

検察側証人として出廷した江東区「水辺と緑課(なんと胡散臭い名称!)」前課長、というより堅川野宿者排除・弾圧の重大な責任者である荒木氏は、強制排除した野宿者の小屋に置かれていたアルミ缶や新聞紙・古紙について、法廷でこう言い切ったのだ。

「価値のないものなので、ゴミとして処理した」
アルミ缶や古紙は、まさに野宿者が生活の糧とするために、毎朝早起きして集めているものだ。それを勝手に「無価値」と決めつけ、「ゴミ」として処分する。そこに、野宿者排除を強行した江東区役所幹部職員の、野宿者に対する差別意識、無神経、人権感覚(というより非人権感覚)がむき出しになって表れ出た、と私は思った。荒木氏は、2月9日午後4時に堅川の野宿者・支援者と話し合う約束をしておいて、その前日の8日、だまし討ちで行政代執行した。そうして、話し合いの約束を留守電で一方的にキャンセルし、約束の9日午後4時には、区役所の土木部長室に逃げ込んでいた。

証人尋問で、弁護人に「9日、土木部長室には何時からいたのか」「その時、部長土木と別の案件で話していたというが、その案件とは何か」と聞かれ、荒木氏は、そのどちらにも「記憶にありません」を繰り返した。「不都合な真実」に関する典型的な記憶喪失だ。これはしかし、明白な偽証だ。園さんたちとの「話し合い」を避けるために、ひっそり隠れていたに決まっているではないか。弁護士の追及に、「記憶喪失」を装う荒木氏の姿、それを皮肉な笑みを浮かべて見やる園さん。裁かれているのはどちらかが、法廷にいただれの目にも明白な瞬間だった。

堅川弾圧裁判・第3回公判の終了後、東京・中野区の中野商工会館で「まけてたまるか!6・11堅川公判報告・交流集会」が開かれた。午後7時過ぎから始まった集会には、長時間にわたった公判の傍聴者も含め、約60人が参加した(写真下=会場の物販コーナー)。以下は、そのレポート。

◆検察側証人の証拠調べが終了

集会の冒頭、2.9竪川弾圧救援会の藤田五郎さん、高橋幸子さんの両氏から、次のように公判の簡単な経過報告が行われた。

《2月9日に園良太さんが不当逮捕されてから約3か月、5月18日の第1回公判では、検察の起訴状朗読などの手続きに続き、園さんが意見陳述しました。

6月1日の第2回公判では、2月9日当日、江東区役所窓口で応対した「水辺と緑の課」職員2人が検察側証人として証言、江東区が撮影した当日の記録映像が上映されました。弁護団は「この映像は、肖像権を侵害し、違法に収集されたもの」として証拠採用に反対しましたが、裁判所は採用しました。ただ、映像自体は、区の「実力行使」の暴力的実態を映し出していました。

きょうの第3回公判では、同じく検察側証人として、2月9日当日、抗議の野宿者・支援者に「退去命令」を出した土木部道路課の高垣課長(現・水辺と緑の課長)、当時の「水辺と緑の課」課長として堅川河川敷公園の野宿者を強制排除した責任者・荒木前課長の2人が証言しました。》

◆公判請求自体が不当・違法

続いて、弁護団の3人が、それぞれ次のように発言した。

●川村理弁護士(冒頭写真)

《本件は威力業務妨害として起訴されていますが、私たちは、やったかやらないか以前の問題として、公判請求自体が違法だと主張しています。江東区は野宿者の生活・権利を顧みない違法行為を重ねたうえ、2月9日には正当な抗議活動に対して退去命令を出しました。検察は「区役所の業務が妨害された」と言いますが、それは被告人の行為に因るものなのかどうか。私たちの主張は「公訴棄却」です。2月9日までの経緯にポイントを置いています。野宿者の居住権の問題、それに関する江東区の行政に問題はなかったか。

検察側の証人調べは今日で終わりました。普通はこれで、被告人は保釈です。あす以降、保釈をめぐってやりとりします。次回公判は秋から、9月13日になりました。弁護人側の主張に沿った証人調べの実現を勝ち取っていきたいと思っています。

今後の展開としては、年内に証人調べがあり、最後に被告人質問をして年度内に審理を終えるという展開になるのではないか。これまでの3回は短期間に審理が集中してやりにくかったのですが、これからはじっくり闘います。》

●上杉崇子弁護士

《これまでの審理は、こちらのペースでやれてきたんじゃないかと思います。「堅川の背景」をしつこく追及してきました。野宿者の方々の暮らし、江東区のやり方、その不当性。公判、反対尋問でやれることはやったと思います。

きょう、公判の最後、園さんが大きな声で傍聴された皆さんに「ありがとう」と言い、皆さんもそれぞれ「がんばれ」と応えていました。

9月からの公判では、憲法、人権の観点から、しつこく、粘り強くやります。検察官が起訴したことを「しまった」と思うぐらいにやりたいと思っています。》

●大口昭彦弁護士(写真下)

《きょうまでの証人尋問で、本件の構造があらわになってきました。起訴状、公訴事実は「威力業務妨害」というが、なぜ「妨害」になるのか。検察の主張は矛盾だらけです。「被告人は、庁舎入口でピケの職員に体を押し付けたり、ガラスを蹴ったりし、そのために職員の通常業務が妨害された」と。しかし、ほんとうにそうなのか。

 園さんたちが庁舎に到着した午後4時の段階で、区役所は「レベル4」の警備体制を敷いたと証人は言いました。しかし、その段階ではまだ「妨害行為」は発生していません。区役所のカウンターで、多少のやりとりがあっただけです。

その後、役所側が違法な退去命令を出して、園さんたちを強制排除した。そこでまた、ごちゃごちゃとなった。それが4時半ごろです。

その後さらに1時間半、警戒態勢を取ったので、役所の本来の業務ができなかった、と証人のT課長は言いました。しかし、排除したのなら、すぐ業務に戻ればいいのです。

江東区は、「堅川」を敵視し、排除するために勝手に警備体制を取って、自作自演した。それが証人尋問で、いよいよ明らかになってきました。

検察は、なぜ園さんを起訴したのか。ガラスが割れたことを逆手にとって堅川の運動をつぶそうと公安警察が動いた。しかし、器物損壊では事件がつぶれた。それでも何とか事件にしたい。そういう公安の政治的意図から起訴が強行された。なので、当初から矛盾を抱えていて、それが公判で明らかになってきたのです。

私たちは国際人権法、憲法を掲げて闘い、無罪を実現する。そうして、検察が弾圧しようとしたことが、彼らの大きなマイナスになる。そうしなければならないと思います。

この闘いは、堅川の弾圧をはね返すのみでなく、園さんが闘ってきた東電前、経産省前のアクション、反原発の闘いへと戦線を広げて闘っていくことが大切です。検察が心の底から「しまった」と思う時が来るだろうと思います。9月から、全面的な反攻が始まりますが、必ず勝利したいと思います。》

◆園さんのご両親があいさつ

集会には園さんのご両親も参加され、次のようにあいさつされた。

●園さんのお父さん

《ご支援に力を割いてくださっている皆さま、ありがとうございます。きょう、本人の顔は、前回の公判の時より、落ち着いた感じがしました。前回は拘置所でいろいろあったようですが、きょうは、支援の皆さんの顔を見て、笑顔を送り返していたのが印象的でした。皆さんのご支援は今後、(保釈で)外に出てからの活動にも励みになると思います。》

●園さんのお母さん

《きょうの集会に参加させていただいた目的は二つあります。一つは、きょうの公判について、弁護士さんから直接お話を聞きたかったこと。こういう場で報告されることを、皆さんとの共通認識として知っておかなければならないと思ってきました。

二つ目に、支援してくださった方たちに、お礼を言いたくて来ました。お金、時間、エネルギー、体力、いろんなものを支援のために出してくださっていることに、ほんとうに、心より感謝申し上げます。》

◆すべての貧乏人の未来につながる闘い

続いて、山谷労働者福祉会館のMさんが、堅川の現状について報告した。この日、渋谷の野宿者の寝場所、共同炊事の拠点である美竹公園が早朝の6時半、渋谷区により「一時避難場所整備工事」名目で封鎖されたことにも触れ、Mさんは次のように話した。

 《きょう、渋谷の仲間が寝ているところを封鎖されて、寝る場所を失った人たちがいます。堅川の仲間たちは、そちらに駆けつけました。「追い出し」を自分のこととしてしか考えられない、現場に行かずにはいられない。そういう仲間たちです。

 堅川の現状ですが、今も公園の封鎖が続いています。野宿の小屋を理由にフェンスが張られて人が中に入れない状況です。堅川では、今も10人前後が暮らしています。アルミ缶や新聞を集めるのに、毎朝4時5時に起きて、みんなで作業し、一緒に闘っています。

 役所の動きはどうか。昨年度、3回の「指示書」の後で代執行がありましたが、今年度すでに「指示書」が3回も貼られ、2回目の代執行の可能性があります。区側は「追い出し」をするまで公園を開けないぞ、という構えです。

 私たちは、役所にずっと話し合いを求めています。荒木前課長は、土壇場でだまし討ちにしました。今、役所の「人権推進課」を窓口に第三者を入れた話し合いを求めています。2月の代執行を「なかったこと」にはさせない。貧しい人たちにとって、野宿とはどういうことか、役所に突きつけていく。》    この後、簡単な食べ物・飲み物で交流集会が開かれた。大飯原発再稼働阻止に向けた訴えなど、さまざまなアピールがあり、それぞれ園さんに向けた熱い連帯を語った。(了)

↓園さんの著書「ボクが東電前に立ったわけ」を手に、エピソードを語る、三一書房の小番さん

*写真提供=杭迫隆太


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