報告 : 原発いらない!3.11福島県民大集会 | |
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東日本大震災からちょうど1年目を迎える3月11日。福島県郡山市の開成山野球場で「原発いらない! 3・11福島県民大集会」が行なわれ、1万6000人が参加した。(主催・実行委) 12時過ぎ。県外から集会に参加する人々の長蛇の列が会場に続いている。 野球場に着き、ようやく客席に座るとすでに内野席は満員だ。やがて放射線量が高いと警戒が続く芝生の外野席にも、人々が流れ込んでいく。 歌手の加藤登紀子さんは、「百万本のバラ」「ALL You Need Is Love」「Power To The People」などを熱唱した。 ■集会が変革の機会に 集会実行委員長の竹中柳一さん(福島県平和フォーラム代表)は、「私たちにとって3月11日は、けっして忘れてはならない特別な日だ」と切り出した。 竹中さんは、「原発事故による放射性物質の拡散で、不安と苦しみのなかで生活している」。「私たちは水田や畑など、多くのものを失いつつある。多くの県民が自然豊かな故郷から追われている」と指摘。「この集会が、日本の新しい変革の機会になることを願っている」と結んだ。 作家の大江健三郎さんが登壇。震災以降力を落としていたが、市民集会に出ることで元気を与えられ、立ち直ったという。「ドイツは、政治ではなく倫理の観点から原発廃止を決めた。倫理的な責任を取ることが、人間の根本である」と強調。「原発事故を絶対になくすこと。それにはこの国の原発をすべて廃止することだ。そうすれば子どもたちが放射能被害を受けることもない」と力をこめた。 「ある朝。校庭に全校生徒が集められる。そして子供たちに、すべての原発の廃止が告げられる。私は近い将来、そんな日が来ることを想像している。ぜひ実現させましょう」。 ■事故を風化させないで 飯館村の菅野哲さんは、福島市で避難生活を送る。「私たちは40μsvを越える放射線を浴びせられた。汚染された水道水も飲まされた。いったいだれの責任ですか」と怒りをあらわにした。「村の高齢者が避難先で旅立っていきます。一日も早く安全で安心して暮らせる避難村を建設してください」。「みなさん。事故を風化させてはなりません。忘れてはならないのです。県民が一丸となってもっともっと全国・全世界に訴えていきましょう」。菅野さんは声を震わせて呼びかけた。 サッカー留学をしていた富岡高校(富岡町)から、あさか開成高校(郡山市)に転校した鈴木美穂さん。事故が起こるまで、「原発のことは何も理解していなかった」と打ち明ける。 避難所では黒い薬が配られた。「安定ヨウ素剤」だと今になって思う。行く先々で周囲から受ける対応に、「被災者」としての現実を突きつけられた気がした。不安を漏らしながらも、一緒に暮らす祖父母を思いやる複雑な心境を語った。 午後2時46分。スタンドを埋めつくした参加者は一斉に起立し、犠牲者に黙とうを捧げた。全国から集まった人々は、吹きすさぶ寒風に打たれながら、はるかグラウンド中央に設置されたステージに眼を凝らして、最後まで発言に聞き入った。 集会後、参加者は2コースに分かれてデモ行進。労組、市民団体などの無数ののぼり旗が翻った。薄赤に染まった雲の切れ間から、光が差し込んでいる。夕闇せまる市内に「原発NO」の声が響きわたった。(Y) Created by staff01. Last modified on 2012-03-15 21:40:22 Copyright: Default |