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地震・津波と原発事故が住民たちを打ちのめす南相馬市でボランティア
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↑ 南相馬に能美沿いに広がる田も畑も人家も農具も自動車など生きるすべてを奪った大地震と大津波の爪痕

 福島原発の事故がチェルノイブイリと同じ危機レベル7と発表された12日、友人たち4人で自主避難地区に指定された福島県南相馬市へ千葉県船橋市から車で出発した。市にとどまる避難者を支援するボランティアとして前日に登録した。前日の福島・茨城地域を襲った震度5の余震の影響で、計画していた常磐道が勿来から通行止めになり、コースを東北道に変えて盤越道の見張るインターで国道439に入った。相馬市に近づくに連れて道路に人影がまったくなくなる。車もまばらであった。退去地域の双葉町の手前の警察の検問を受けた。午後3時すぎに南相馬市に入ると、少し交通量が増えたが道を歩いている人は全く見えない。商店や民家もほとんど戸を閉じていた。
 南相馬市の中心部にある社会福祉会館に設けられた災害ボランティアセンターでは若い女性が受付をしていた。在宅者への物資補給、そのための物資仕訳、集団避難者の様々な支援、廃屋の跡かたずけなどの明日からの仕事を説明された。被ばくを含めて自己責任であること、衣食住の自給などボランティアのルールを説明された。仕事は朝8時半に集まって、その日の仕事を割り振られる。仕事は午後4時まで。我々の仕事は明日から始まる。受付の後、電話で必要物資と聞いていた紙コップ、洗濯用具、お年寄り用の衣類など、船橋で前日購入したり、自宅から持参した物資を渡した。避難者のための物品集積所を見せてくれた。大きな部屋いっぱいにまるでスーパーまーけ干支のようにいっぱい支援物資が積まれていた。
 いったん予約したビジネスホテルにチェックインしたあと、海べりの津波被害地区を見に行った。そこはまさに地獄であった。ほとんど後片付けされていない広大な津波の破壊の跡が無残に広がっていた。原発事故の深刻化で町の再開発が不安な中、荒れ果てた原野は住民たちの心を打ちのめすように広がっていた。
 明日からのボランティア活動を通して、住民の痛手、悲しみ、苦悩、そして希望を知ることができればと思う。(引き続き報告したい)
 <文・写真 高幣真公>


↑ 「この日300人のボランティアを登録されている」とセンター・スタッフが話した


↑ 全国から集まった被災者支援物資が部屋いっぱいに集積されている


Created by takaheims. Last modified on 2011-04-17 10:23:19 Copyright: Default

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