原発は塀の上の卵―アーサー・ビナード講演 | |
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原発は塀の上の卵―アーサー・ビナード講演 5月1日都内下北沢の都民教会で、詩人アーサー・ビナードさん(写真)の講演会が開かれた。ビナードさんは、原発事故をマザー・グースの歌のなかの「ハンプティー・ダンプティー」にたとえた。 「ずんぐりころりのハンプティー・ダンプティー 塀の上に腰かけていた。ハンプティー・ダンプティーはころりとすべりまっさかさまに落っこっちゃった。王さまの家来がみんな馬にのって馳せ参じて対応に当たって手はつくしたが・・・・・ハンプティー・ダンプティーをどうにももとにもどせなかったのだ。」ハンプティー・ダンプティーはなぞなぞで、答えは卵。無限の利益を生み出す「金の卵」の原発も塀の上にのっかっているように危なっかしく、いつ転落しても不思議はなく、そして割れてしまった場合、どうにももとにもどせない。 当日の講演の一部を要約して紹介する。 それでは企業や政府、権力者はなぜ原発が好きなのか。落語の「唐なす売り」のなかにその答えがある。勘当されて家を出る若旦那は「お天道様と米の飯はついてまわる」と言う。お天道様(太陽)は金持ちも貧乏人も区別しない。独り占めにできない。軍事力でおさえることもできない。誰も元締めになれないからもうからない。一方、原子力は危険と秘密に満ちているので一般市民を締め出してある一部の人間がコントロールできる。原子力村を作って自分たちだけが利益を吸い取ることができる。だから僕たちがやらなければならないのは太陽のエネルギーに切り替えることだ。 福島の詩人、若松丈太郎は、3・11前から日常の中の小さな予兆をうたってきた。たとえばムラサキツユクサの被爆による変化を。柏崎では、2007年には桜の花びらの奇形は5パーセントだった。中越地震による刈羽原発事故以後はそれが40パーセントになった。それで日本が大騒ぎになったかというとそうでもない。日常的にくりかえされる予兆を遠い出来事として、自分には関係ないこととしてすませていいのか。チェルノブイリの動植物の異常は、人間にも及んだ。時間のずれはあっても命のしくみは同じだから。誰も福島の昆虫や野鳥の話はしていない。しかし他の生き物をみて自分たちのことを知る必要がある。自分たちが危うい生き物であることを自覚する必要がある。 いま日本の信用は破綻している。かつて「メイドインジャパン」は、高品質と安全をイメージさせた。それが3・11以後は、「放射能汚染」に変わった。それを乗り越えるには、原発と手を切る以外ない。世界を脱原発の方向にひっぱていく以外ない。そうしてはじめてヒロシマ、ナガサキ、フクシマとして世界にみせる顔がある。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― ビナードさんは、3・11以後、米国に住む母親から家族を連れて帰ってくるようにとせがまれているいう。しかし彼は「まず浜岡を、次は柏崎を・・・みんな停めてからでないと帰れない」と語った。いま、精力的に原発についての講演を行っている。当日も夜行バスで広島に向かう予定と聞いた。(報告=佐々木有美) Created by staff01. Last modified on 2011-05-02 13:09:38 Copyright: Default |