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木下昌明の映画批評〜映画「ありあまるごちそう」
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●映画「ありあまるごちそう」
安い輸入食料を生む仕組みは 結局「誰」のためにあるのか?

 5年前に「ダーウィンの悪夢」をみて驚いたことがある。アフリカのビクトリア湖でとれる巨大魚が、外国資本の工場で加工され、旧ソ連機で輸送され、日本のスーパーの店頭にまで並んでいる話─生鮮食品さえもが世界をかけめぐるというグローバル経済の一面をそこにみたからだ。

 だから、オーストリアのエルヴィン・ヴァーゲンホーファ監督のドキュメンタリー「ありあまるごちそう」をみてもあまり驚くことはなかったが、世界の食文化の様変わりには改めて考えさせられた。

 冒頭はオーストリアの豊かな麦畑での収穫シーン。農民は、小麦が粗悪な塩より安いとぼやく。小麦はインドから大量に輸入されているからだ。それにまだ食べられるパンがゴミのように捨てられ、ウィーンでは年間2000トンも処分されている。ところが生産地のインドでは2億人が栄養失調で苦しんでいるという。ここに世界を逆立ちさせるグローバル経済のしくみをみることができる。

 つぎにカメラは南スペインの広大なトマト生産地をとらえる。上空からみると一帯は人工栽培のビニールハウスが密集し、夕日をあびて海面のように光っている。そこではアフリカの農民が働いている。彼らはヨーロッパからくる安い野菜に押されて働く場を失ってやってきたのだ。かつてジョン・フォードが描いた「怒りの葡萄」の季節労働者を想起させる。もぎたてのトマトはただちに国境をこえてEU諸国へと運ばれていく。

 この二つのケースをみただけでも、「ありあまるごちそう」を生み出す経済システムは、実は世界の人々を養うためではなく、ひたすら「利潤の最大化」をはかるために機能しているとわかる。このあと、なぜアマゾンの密林が伐採され、それと巨大鶏肉工場とがどう関わるのか追及されている。─すべての生産物は工業化・巨大化・オートメ化され、人々の生活もそのなかで踊らされる。(木下昌明/「サンデー毎日」2011年1月23日号)

*映画「ありあまるごちそう」は2月19日から東京・渋谷のシアター・イメージフォーラムほか全国順次公開 (C)Allegrofilm 2005


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