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「石原都知事の同性愛者差別発言、なにが問題か?」に参加して(壱花花)
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「石原都知事の同性愛者差別発言、なにが問題か?」に参加した感想(壱花花)

1 石原発言の何が問題か

1月14日(金)夜、東京・中野区の「なかのZERO小ホール」で、イベント「石原都知 事の同性愛者差別発言、なにが問題か?」が開催された。主催は「石原都知事の同性 愛者差別発言に抗議する有志の会」。性的マイノリティ、マジョリティに関係なく 様々なメンバーが参加している。

事の発端は、昨年12月に石原都知事が同性愛者に対する差別発言を行なったことにあ る。12月3日、PTA団体などが「東京都青少年の健全な育成に関する条例」の改正案の 成立を求める要望書を都知事に提出時、知事は「子供だけじゃなくて、テレビなんか にも同性愛者が平気で出るでしょ。日本は野放図になり過ぎている。使命感を持って やります」と発言した。12月7日、毎日新聞記者が都知事の定例会見で3日の発言の真 意を問いただしたところ、同性愛者についてさらに「どこかやっぱり足りない感じが する。遺伝とかのせいでしょう。マイノリティーで気の毒ですよ」「(米・サンフラ ンシスコを視察した際の記憶ととして)ゲイのパレードを見ましたけど、見てて本当 に気の毒だと思った。男のペア、女のペアあるけど、どこかやっぱり足りない感じが する」と発言した。

この発言に対して、インターネット上の個々人や、都議会や国会議員の一部、タレン ト、性的マイノリティ当事者及び支援グループなど多方面からの批判・抗議が噴出し た。しかし批判が大きな世論となって沸き起こっているとは言い難く、マスメディア の取り上げ方も小さい。このままでは発言はまたスルーされそうな状況である。「ま た」と言うのは、これまでの石原の数多の差別発言と「その後」を振り返ればご存知 の通り。この知事を3期12年も当選させている都民の民度を見れば、今回の同性愛 者差別発言がスルーされそうな状況なのもよく分かる。

だから、今回のイベントは石原発言そのものへの怒りはもちろんのこと、それを看過 する社会への危機感から、何とかしたいという思いにかられた有志が集まり、緊急に 企画されたものだった。準備期間が短かったにもかかわらず、参加者は出演者、ス タッフ、プレスも含めると357人。ホールは人で埋まった。皆、「何とかしなくて は」という思いから集まったのであろう。

実は私自身も、今回の石原発言を聞いた直後は、「また!」という怒りよりも、「ま たか」という諦めに近い感情を抱いてしまった。怒りの感情を持ったことはもちろん のことであるが、同時に「ああ、またコイツ言っているよ」というキワモノ扱いをし て終わりにしようとする自分がいた。どうせ4月に任期が終るのだから、と。石原の 言動には何度も傷つけられてきたから、感覚が麻痺してしまったのかもしれない。し かし日が経つにつれて、あまりにも石原発言への批判の世論(そしてメディア掲載) が小さいのを見て、これはまずいのではないかと思えてきた。石原個人がまずいとい うよりも、差別・排外主義者を通すこの社会が。それはこの間の、「在特会」や「頑 張れ日本!」などの活発な動きを見てきた危機感から来ている。そして歴史を見れ ば、差別・排外の行き着く先はどうなるかは自明である。

イベントの第一部はシンポジウム。初めにイトー・ターリさん(パフォーマンス・ アーティスト)の発言とパフォーマンスが行なわれた。このパフォーマンスは、「イ シハラスメント菌」と書かれた大きな風船を客席に投げて、「イシハラスメント菌」 に感染しないよう注意を呼びかけるという内容のものだった。私はこれまで数回イト ―・ターリさんのパフォーマンスを見てきて、例えば性暴力の被害者の哀しみなどを 表現したパフォーマンスなどは素晴らしいと思っていたが、この「イシハラスメント 菌」はいただけなかった。「菌」「感染」という言葉からは、子どものいじめを想起 させる。子ども時代に辛いいじめに遭った人は、傷が疼いたのではないだろうか。そ れに、HIVや肝炎などのウイルスと闘病している人への配慮が無いのではと思っ た。とりわけ同性愛者の運動は、HIVの啓蒙運動と関連が深いのだから。

パネリストの中にも、石原発言に「またか」と感じた人はいたようだ。小林りょう子 さん(性的マイノリティ当事者の母親)は「“ああ、またか”が第一印象。でも “ちょっと待てよ”と自分の中で考えた。自分の場合はマイノリティについての教育 を受けてこなかったので、知識がなく、子どもが悩んでいたことに対して配慮が足り なかった。特に母親というのは“自分のお腹にいた時に何かあったのでは”と悩んで しまいがち。もしそういう母親があの石原発言を聞いたら、“やっぱり私が悪いん だ”と塞ぎ込んでしまうだろう」と語った。

小林さんは夫妻で「NPO法人 LGBTの家族と友人をつなぐ会」を主宰している。司会 の島田暁さんが会に参加した時の様子を語った。「2〜3週間前にカミングアウトし たばかりの娘が、母親に連れられて初めて会に来た。娘は家から出ないで塞ぎ込んで いたという。会で話し始めると号泣。会の集まりに足を運べるのは当事者や家族のう ち氷山の一角であり、しかも初めての参加者というのはほとんどが深刻な状況を抱え て来る」。

昔より性的マイノリティへの理解が進んだ時代になったとは言っても、やはり自分の 家族のこととなると、うろたえる人がほとんどであろう。とりわけ中高年の世代(親 の世代)となると、性の規範が厳しい時代に育ってきたし、小林さんが言ったように 「マイノリティについての教育を受けてこなかった」人が多いであろう。そういう中 で都知事たる石原があのような発言をすることの責任は重い。

パネリストの沢部ひとみさん(パフスクール…ジェンダー、セクシュアリティ、マイ ノリティの視点に立ち、生きる知恵と勇気を共有し学び合う場を主宰)も「またか」 と思った一人だ。沢部さんは「人間は見知らぬ人、得体の知れない人に恐れを抱く」 と指摘。実は沢部さん自身も、1970年代を振り返ってみると、MTF(身体的には男性 であるが性自認が女性)を見て「びっくりした」という。「異性愛者が同性愛者に対 して、最初は違和感を持つのは仕方が無いこと。でも、“足りない”ということを、 公的な立場にある都知事が言うのは問題。集団の中で、代表が何を言うかで、集団が 動く。それが怖い」と語った。

2 足りないものとは何か?

イベントのサブタイトルは「“本当に足りないもの”とは何だろう?」。これは石原 発言への皮肉を込めたタイトルだ。司会者は各パネリストに「足りないものとは何で しょうか?」と尋ねた。大江千束さん(LOUD…中野区にあるレズビアンやバイセク シュアルの女性のためのコミュニティ・スペースの代表)は、「同性間のカップルを 保護する制度が足りない。同性婚やパートナーシップ制度に対しては批判を含め様々 な意見があるが、権利獲得運動の一つの到達点であると言える。もしこの制度があれ ば、都知事はあのような発言をしただろうか?」と発言。

私は婚姻制度そのものへの疑問があるので、同性婚やパートナーシップ制度には批判 ないしは距離を取る立場であるが、ここではそれは置いておくとして、「もしこの制 度があれば、都知事はあのような発言をしただろうか?」というところに着目した い。つまり石原は、「自分はあのような発言をしても許される」という状況をにらん で発言したわけであり、マイノリティへ優しくないこの社会全体の空気を読んだ確信 犯である。私たちが築いてきた社会の歪みが、石原を生み出したとも言える。社会運 動の重要性を感じた。

大江さんは、パネリストの小川葉子さんと同居しているレズビアンカップルだ。大江 さんは「女同士のパートナーと暮らしていると、“一体何だ”という目がある。集合 住宅に住んでいるので、周りから変なことを言われないように、挨拶やゴミ出しなど 心がけている」と語り、小川さんは「きちっと生きているのに、“足りない”と言わ れるのは悲しいし、憤慨している」と語った。

私は「きちっと生き」ていようがいまいが、差別発言に対しては怒る権利があると思 うし、そもそも「きちっと生き」る基準は人それぞれであると思っている。一組の カップルだけを見て「だからレズビアンは…」と決め付ける近所の人たちのほうが問 題であるわけだが、残念ながらそれが現実でもあるから、大江さん小川さんが「き ちっとしよう」と思う気持ちもわかる。ご近所との関係性は、個別に丁寧に築いてい くしかない。ただ、「私(たち)は普通ですから、差別しないで下さい」という物言 いを権力に対して言うことは、新たに「普通でない」者への線引きをするような気が する。 イベントの最後でも似たようなことを感じた。抗議デモの呼びかけアピールがなされ たわけだが、その中で「デモは都庁の周りをまわるコースを予定。納税者であるとい うスタンスを強調していきたい。私たち性的マイノリティは社会に貢献しているにも かかわらず、“足りない”と言われる」という主旨のことが言われた。私は税金を払 おうが払っていなかろうが、誰しも人権が踏みにじられたら怒る権利を持っていると 思う。デモには未成年の性的マイノリティも参加するであろうし。人権とは何かを差 し出した対価として与えられるものではない。

パネリストの石川大我さん(10代・20代のゲイのための友だち探しイベントを主催) が“足りないもの”として挙げたのは、「ゲイの自殺企図率は高い。都知事は人の痛 みに思いを馳せる想像力が足りない」。そして、「ただ抗議の雄叫びを上げるだけで なく、運動の獲得目標を設定することが大事」と発言。同性愛者の権利獲得は、前例 がないから個々人が試行錯誤しながら為されているのが現状であった。例えば海外で は同性婚が認められていても、日本の役所は結婚相手が同性だと判ると、「婚姻要件 具備証明書」の交付を拒否する問題があった。そこで同性愛者の活動グループの要請 によって、「独身証明書」の発行を以って国際同性結婚できることになった。石川さ んは「成功体験事例を情報共有していくことが大事」と語った。

石川大我さんの話の中で印象深かったのが、自身のことを語ったもの。子どもの頃、 テレビに出てくるゲイのタレントは、当たり前だけどみな年上ばかり。だから自分は だいぶ年の離れた人としか恋愛できないのだと思ったという。まさか自分と同世代の ゲイがいるとは思わず、孤独を感じていたとのこと。10代はお酒が飲めないから二丁 目にも行けないし、自分と同じ人を見つける機会を得がたい。その経験から、石川さ んは10代や20代の若い世代が友だち作りをできるようなイベントを企画している。孤 独を感じ不安に思っている若い人が、もし石原発言を聞いたら、ますます追い詰めら れるのではないだろうか。

石坂わたるさん(東京都内の選挙立候補者に、ゲイに関する政策アンケートを実施) は“足りないもの”として、「石原を選んでしまった有権者として私たちはどう考え ていくか。発言があった時にワッと盛り上がるだけでなく、私たちには長期的な対応 が足りなかった」と語った。

司会の島田暁さんはこのイベントを企画した動機として「石原発言は自分の中では沸 点を越えた発言だった。それなのに、抗議するゲイリブ団体がほとんど無かった。自 分たちの運動の足りなさを自覚した」と話した。

第二部では初めに歌川泰司さんが自作の漫画で1960年代以降の日本のゲイの歴史を解 説したが、これは面白かった。絵はコミカルだが内容は重い。ゲイが苦労しながらお 互いのつながりを模索してきた歴史がわかる。家族や世間の目を気にして刹那的な SEXでしかつながれなかったゲイたちが、次第に自分の人生の問題として、人や社会 との関わりを求めていく。90年代や2000年代になると、ゲイ雑誌では“老後”もテー マとして取り上げられる時代に。そして、ゲイの歴史であると同時に、メディアの歴 史としても見ることができる。トイレの落書き→ガリ版刷りの機関誌→文通コーナー →伝言ダイヤル→携帯→インターネット…。

第二部のメインはクロストーク。「『男のペア 女のペア』同居生活★喜怒哀楽」と いうテーマで、ゲイカップル、レズビアンカップルが一組ずつ登壇し、同居生活につ いて話した。この「男のペア 女のペア」という言葉も、石原発言を皮肉ったもの。 同居生活の中で生じるケンカの話や、お互いを尊重する話、仲直りのルール等がいろ いろと語られた後、最後に進行役の歌川泰司さんが「ノンケのみなさん、この話を聞 いて、同性愛者は“足りない”と思いますか?」と問いかけて終った。つまり「私た ち同性愛者はノンケ(異性愛者)と同じく普通に愛し合い、普通にケンカし、暮らし ているということを分かってほしい」と言いたいのであろうが、なぜ同性愛者が必死 になって「普通」であることを認めてもらうようにアピールしなくてはならないの か、必死になって心改めるべきは同性愛者を差別する側ではないか、と思う。そもそ も「普通」という概念は曖昧かつ排他的かつ自己中心的なものだ。 「私たちを足りないと思いますか?足りなくないでしょう?」という物言いは、差別 者の土俵に乗っかってしまっている気がする。「足りる、足りない」という土俵その ものを拒否すべきだと思う。また、「性的マイノリティの存在の可視化」や「顔の見 える性的マイノリティ」などの取り組みも、大事なことだと思う一方で、そのリスク が足を踏まれた側のみに科せられている理不尽さを感じる。

今回のイベントは、私としては一部で疑問符のつく点もあったものの、全体としては とても大事な取り組みだと思う。「有志の会」では3月にデモを予定している。詳細 は以下のブログに情報がアップされるであろうからご覧いただきたい。

http://ishiharakougi.blog137.fc2.com/


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