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木下昌明の映画批評「海の沈黙」〜人はどこまで抵抗できるのか
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●映画「海の沈黙」
人はどこまで抵抗できるのか 饒舌に対する沈黙という戦い

 対独レジスタンス映画といえば、大戦直後の1945年に公開されたロッセリーニの「無防備都市」やクレマンの「鉄路の闘い」が思い浮かぶ。文学でいえば、占領下のフランスで42年に“地下出版”されたヴェルコールの『海の沈黙』が有名だ。しかし筆者はその小説を若いころ読んで、このどこがレジスタンスなのか首を傾げた記憶がある。

 ところが、63年の歳月をへて日本初公開となるジャン=ピエール・メルヴィル監督の「海の沈黙」を見て驚きかつ感動した。レジスタンスの根っこにあるのはこういうことなのかと認識も新たにした。

 物語は、フランスの地方都市、老人と姪の二人が暮らしている家に、ドイツ軍の将校が寄宿する。将校は、昼は司令部に通い、夜は就寝前に二人の居間に寄り、フランスが好きだとあれこれ語りかけ、仲よくしようとする。彼は戦争映画でよく見かけるようなナチの悪玉将校とは違って、音楽家であり、軍服を好まない神経質そうな紳士である。それなのに二人は黙しつづける。その三人の心理的葛藤がドラマの中心になっている。

 原作の小説はジャン・ブリュレルという画家が「ヴェルコール」の偽名を使って書いた。映画は戦後の47年、監督がブリュレルの別荘を借りて撮影した。原作をほとんど忠実になぞっているが、原作が老人の「私」の視点でつづられているのに対し、映画はその特性をいかし、将校が見聞した占領下のパリの光景などを挿入することで、将校が二人に語った国と国との「結婚」の理想が、いかに現実と乖離したものかを明らかにしている。それによって将校の精神的敗北がクリアとなっている。

 レジスタンスとは、占領する側の融和政策に屈することなく沈黙を貫きとおす一人一人の「精神のたたかい」のなかにこそある、と映画は訴えている。ーーラストで、初めて沈黙を破る姪の一言が光る。(木下昌明/「サンデー毎日」2010年2月7日号)

*映画「海の沈黙」は2月20日から東京・神田神保町の岩波ホールでロードショー


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