カメラはどちら側にいたのか
追悼上映会「土本典昭の世界」
戦後日本のドキュメンタリー映画界を代表する一人に、世界の公害の原点といわれる水俣病の問題を追究した土本典昭がいる。
土本の映画づくりの特徴の一つは、何か事件が起きればカメラを持って馳せ参じる体のものではなく、カメラなしで現場に密着することから始める。水俣の場合、漁民のたたかいに参加して、彼らと行動をともにし、彼らの目線でものを見て、彼らも胸襟を開いてくれるようになってからカメラを回した。
土本は今年6月24日、79歳で死去した。今度、「土本典昭の世界」と題した追悼上映会が東京で催される。土本にはテレビなどを除いて28本の作品がある。そのうち第1作の「ある機関助士」(1963年)と最後の「みなまた日記」(04年)を含む長短17本が上映される。
なかでも「水俣―患者さんとその世界」(71年)、「水俣一揆」(73年)、「医学としての水俣病」3部作(74〜75年)は見逃せない。これらには公害病がなぜつくられ、隠され、それがいかに多くの患者漁民を悲惨な境遇に追いやったか、そして彼らがどうして声を上げるようになったかがつぶさにドキュメントされている。
そこから社会の病巣も見えてくるが、「水俣」では、タコを取る老人の働く姿が詩情豊かに描かれているように、病気の問題が生活そのものの中からすくいとられている。また「水俣一揆」では、チッソ本社での、患者と経営陣との交渉シーンが圧巻。患者側のリーダーがテーブルの上に座り込んで、社長に「あなたの座右の銘は何ですか」と問う。それを両者の背後から2台のカメラで撮っている。そこに映った「対立」は、単なる被害者対加害者という構図を超えて、人間の生きざままで問うものとなっている。
公害問題を知らない若い人にぜひ見てほしい。ここに生きた歴史がある。(木下昌明)
●追悼上映会「土本典昭の世界」は9月6日〜16日、ポレポレ東中野 問い合わせはTEL03-3371-0088 写真(c)塩田武史
*「サンデー毎日」08年9月14日号所収
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Last modified on 2008-09-06 11:15:11
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